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玉堂の作り出した原風景~山種美術館「川合玉堂」

川合玉堂のまなざしは優しい。
このように言われることが多い。その作品も、曰く日本の原風景、曰く失われたニッポン等。
しかし、日本の原風景とはこのように穏やかなものなのだろうか。

たとえばこちら「早乙女」という作品。
ちょうど今くらいの時期だろうか。乙女たちが田植えに励んでいる。ずっと腰をかがめているから伸びをしているところだ。
彼女たちのおしゃべりが聞こえてきそうだ。唄なども歌っているのかもしれない。
ここだけ切り取れば、なんとも長閑な光景ではある。しかし、彼女たちはそれだけなのである。そう思えば長閑だなんて言ってられないだろう。

名もなき人々が日々の生活のために身を粉にして働いている。働かざるを得ない。起きて働いて食べて寝る、その繰り返し。
そこに何らかの価値を見出さずにはやりきれない。
玉堂はこのような思いを込めていたのではないか。これら市井の人びとの生業の果てに我々が生きているということを。

そう、玉堂が日本の原風景を切り取ったのではない。こういった風景を「日本の原風景」足らしめた張本人こそ玉堂なのだ。彼の作品を観るとたしかにその慈しみを感じられる。ただ同時にやるせない気持も伝わってくるようで、ただその作品の前で虚脱してしまうのである。

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