【過去選♯7】ある風景

この一年は本当に奇妙であったとつくづく思う。何をしたかと問われると、何もしていなかったのかもしれない。もといた場所に一年をかけて戻ることに盛大に労力を使っているという表現が最適である。


先日は我がホストマザー、ヴィーダの記念すべき誕生日であった。彼女には子どもがたくさんいたが、今は皆それぞれの家庭へ巣出っていっている。そういえば夫を見たことがないな。怖くて聞けないけれど。彼女の長い歴史にはきっと色んな誕生日の記憶があるのだろう。愛する人と過ごしたロマンチックな日もあっただろうし、子どもが家中走り回ってろくに浸れなかった日もあっただろう。人はみな、年を取るごとに否応なしに時の厚みを増していって、かけがえのないその人だけの人生を形成する。僕はそんな深遠な営みを尊崇し、かくも厳かな神域があるのだと痛感するのである。そして今、その領域に属するどこの誰だか分かったもんじゃない日本人の僕と、ベトナム人と韓国人の面々。なんとも興味深い因果であるかな。


食卓は思いの外いろいろな話題で盛り上がっていた。彼女のスマートフォンからはジョン・レノンが流れていた。イマジン。遠くの居間ではつきっぱなしのテレビがニュースを伝えている。北の方で雪が降ったらしい。いつもより豪華な夕食を無言で食べ続けるキャロライン。ユーチューブの自動再生で曲が変わる。ビリー・ジョエル。ピアノマン。水を取ってというオリビアの声に僕とヴィーダが反応して、結局僕が取る。



おい若いの、あの思い出の一曲を弾いてくれないか。もうどんなんだったか覚えてもないんだけど。でもなんだか悲しくて、甘いやつなんだよ。若いときは全部歌えたんだがな。
『ピアノマン』(ビリー・ジョエル)より 



何気なく、この曲弾けるんですよって言ってみた。反応のよい一同。フォークが皿に当たる音。椅子の軋み。さっきより強くなった風の音。こんな良い日が日本にあるものかと勝手に日本へ責任転嫁してみる。


弾いてみてよ。


ヴィーダがそう言う。ピアノならうちの子どもが小さいときに弾いてたやつがあるからと。もののはずみで言うんじゃなかったと後悔する。前は謙虚に振る舞いつつその実は自分をひけらかしていた僕だが、ここではなんだかそんなことはしたくない。ここではこの荘厳な空間を自らという物からさえ脱皮して浸っていたい。ありていに言って僕はもうたとえ数人の前にでも出ることが嫌になっていた。目立たないように集団に没入し、暗がりでどうでもいいことを永遠に考えていたくなっていた。


だがほこりまみれのピアノは既にテレビの下から引っ張り出され、みんな電源がついたと喜んでいる。空気は読まなければならない。どこからともなくやってくる椅子。座って白と黒の鍵盤を凝視する。思えばピアノは僕にとって自己満足の象徴だったように思う。大した腕もないのにな。ピアノは小さくておそらく同時に鳴る音の数も限られている種類であろう。本番前の、逃げられないぞという時に感じるあの全身のピリピリ感が全身を電流のように走り抜ける。この電流は顔を熱くして末端を冷たくするくせ者で、また謎のシステムによって尿意さえも促進するやつだ。


しかし、僕は実はそれが好きだった。コレだよ、コレコレ。コレがないと。全く何も展望がないときでさえ不思議と僕は本番前はワクワクが止まらない人種であった。そして今回もそれだった。ニヤニヤしながら弾き始めた。


弾いてるときは無我夢中でなんなら歌っていた。気がつくとみんなこっちを見てて、温かな拍手が生まれる。すごいよ。とか。隠してたのね。とか。ブラボー。とか。ちっぽけな誕生日会の、数人の拍手と称賛の言葉を浴びる。ちっぽけなのに、僕が生まれてからずっと求めていているものは本当に、ただ一つ、これだった。振り返ってみると、僕はいつも全くブレないでこれだけが欲しかったんだ。もしこれがないなら、これを対価として得られないのであれば、僕はアマゾンにでもサハラ砂漠にでもレイキャビクにでも行ってのびのびと生きる。これ以上、見たくない顔面と駆け引きする必要もない。運良く英語もしゃべれるようになるのだし。



ってそんで、お誕生日おめでとうってその中で言ってみたらカッコつけすぎて照れたっていう話。





※この記事は2017年11月26日に、はてなブログ「隔日おおはしゃぎ」に掲載されたものに加筆、修正したものです

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