太陽浴びて 2024/7/26

屋久島から帰った。何泊したんだろう、特に興味はない。一瞬だった気もするし、東京の家を出発したことがもうずっと昔だったような気もする。←こういう言い方をする癖があります。時間というのがもうずっと僕の関心の中心にあるから。時々一年前のことより一週間前のことの方が昔のことのように思えることもある。過去のことっていうのは本当に面白い。淋しい。

行く前、宿も特に決まってないし、滞在日数も決まってないし、屋久島のことよく知らないし、そもそも本当に行きたいのかもよく分からなくなっていた。でもそういう時、人に「屋久島いくんだあ」って言ったら、「え〜めっちゃいいじゃ〜ん」っていう反応ばっかりだから「そうなんスわあ」みたいな反応をしてみたりして、何となく自他の間に横たわる違和感で心が曇った。「屋久島いくんだあ」って人に言われて、屋久島に行くことに実はそこまで楽しみになりきれていない可能性にたどり着ける人なんていないからこれは本当にただただ自分の状態がおかしい。と思えば思うほど自分がおかしいのだと思うことでそれがさらに認知的不協和を生んで苦しめられる。苦しめられるという言い方は大袈裟。それほどではない。ただただ何というか、「itchy」っていうのかな。

ここまで書いてみて認めざるを得ないけれども、今まったくいい文章を書けない。書けない状態の自分だ。文章を書く癖をつけて8年くらい。いまだにその状態かそうじゃないかが実際に文章を書き出してみないと分からない。もっと分からないのは、そういういい文章を書けない状態だと自分が思っている時に書いた文章が本当にいい文章じゃないのかどうかも分からない。むしろ、自信満々で、自分の中で何か必然性があってピアノを一心不乱に弾いている時のようにキーボードを叩いている時の文章の方が、逆に何か伝わってこないものを多分に含んでいる時があるというか。いや、そうでもないか。いい文章を書くときはこういう、書きながら感情や思考が行ったり来たりする様をこんな風に全て残さない。最終的に自分がたどり着いた感情と思考を記述しようとする。いや、しかしそれで面白いのか。こういう、これは良いことか悪いことかとか脳みそで思案している、脳みそに浮かんでいる言葉をただただ無心で文字に起こしているこういう書き方が、実は何らかの迫真性を帯びる可能性だってあるんじゃないのか。今はこんなことを書いている場合ではない。書きたいとも思っていない。誰もそんなことに興味はない。

まあとにかく何だか文章を書きづらい状態にいる自分なので、これ以上文章を書いているとどんどん苦しくなるから早めに切り上げたい。当初書こうと思っていた屋久島での色々な行動とその感想についてはもうほとんど書けない。書く体力がない。とにかくこのままこの文章を終わらせてしまったら何だか、屋久島が微妙だったんじゃないかと思われそうでそれがひどく不服なので、これだけは強調しておくが、楽しかった。とても。太陽はこれでもかというほど背中の皮膚を焼いて、瞳を焦がし、髪の毛からは潤いを奪い去ったが、その熱は僕の心を点火した。精神の隅々まで明るく照らして乾かした。あのフィールドで鬱々とすることは難しい。鬱々とすることが故郷のように思える自分からすると、あれ?帰れない!?ってなっていたりもした。意味不明でしょう。分からなくていいよ。俺は複雑な人間なんだ。でも、だから分かって欲しいんだね。言葉でそう言ってくれることは簡単だけれど。

近いうちまた旅に出ます。過去を振り返ると辛いことばかりだから、振り返る余裕もないくらいずっとフルスロットルで9月くらいまで行こうと思う。
誰が俺をそうしたか?
お前だよ。


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