2024/3/30

午前10時。自宅にいて、外は快晴。こんなタイミングで日記を書くのは初めてだ。他にもうやることがなくてどうしようもない時にこの文章は精神安定のため役立ててきたのにこうして不必要なタイミングで書き出してしまっているのは何故だろう。嫌な贅沢をしている気持ちだ。FF7のリメイクの動画を見て久しぶりにその世界に没入できていることが嬉しい。昨日は春琴抄を読んだ。そして太陽の塔も。太陽の塔は読んだことあったわ。そして魯迅と若きウェルテルの悩みと異邦人をブックオフで買った。買わなくていい本を買った。しかし春琴抄は良かった。読んだ二つの本の語彙が圧倒的すぎて俺ももっと言葉を知らねばならんと思った。もっと読書をいっぱいしよう。そしてもっと理系分野の造詣を深めよう。あまりに世界を知らなすぎる。もっと知りたい。好奇心はある。この好奇心に沿って進むことに何の障害もない。さあ。今日は18時に用事がある。それまでどうやって時間を使ってくれようか。外は晴れ。公園にでもいくべきか。しかし、今、生活に必要でないことをする精神的気力がない。ピアノは少し弾いたけどやはりそんなに身は入らなかった。きっとギターだって。もっと生活に必要なことをしよう。それでいいじゃないか。これは俺が俺を取り戻すまでの物語。焦らずまずは自分の気持ちの赴くままに過ごしてみよう。
しかし、自分の気持ちの赴くままに時間を使うことのなんという難しさよ。

13:18。風呂に入った。その前にバリカンでもみあげと眉毛を剃ってみた。もみあげはほとんど刈り上げて問題がないから手加減はいらないが眉毛は難しい。右を剃ってみて左を剃ってみて、若干左を剃りすぎたと思って右をもう一度剃ってみたら今度も右も剃りすぎてまた左を・・・。そうしているうちに土曜の真昼に眉毛のない男が誕生した。みたいなことを想像したらがっかりよりも面白い気がして思わず笑みが・・・。
ああ、ダメだ。ここには本心しか書かないと決めているのに、直前にフィクションを書こうと頑張っていたからいつの間にか頭の中に込み上げるモノローグもなんか人目に触れて面白そうなことばっかり書こうとしている。眉毛がなくなることが今面白いわけがない。もしそうなったら、ここまで不運な境遇に神様はついでにこんな嫌がらせもしてくるのかよとどんよりした気持ちになる。


ああ、この素晴らしい春の日を誰かと共有したい。ああ、なぜかこの期に及んでどうして大学に入りたての頃をこんなに思い出すんだろう。社会人になってからもこういう日を人と共有して楽しい思い出はしこたま作ったけれども、今こういう状況になってみたら何故か、そういう入社以降の思い出は特に去来しないし、してもそこまでセンチメンタルにならない。むしろセンチメンタルに、ありていにいって「あの時は楽しかったな」と思い出されるのは大学一年生の頃だ。あの頃も無敵だった。無知だし幼稚だし、ダサいし、何をやってもどうしようもなく中途半端だったけれども、無敵だった。そして周りも俺のその不完全の、不完全ならではの無敵を許してくれているみたいだった。どこに行くにも自転車で、今も関係の続く友人たちといろんな場所に行った。無敵だったのにどこか不満だった。俺が本当には認められていないと感じていた。俺の本当の力はまだ発揮されていないと思っていた。俺はもっと人から褒めそやされて然るべき人間だと思っていた。そういうフラストレーションのような気持ちと良い思いがないまぜになって複雑な心境だったから、当時はその楽しさを存分に味わいきれていなかったかもしれない。いや味わえてなかった。あの日々にはあの日々の辛さがあった。それはあの日々の中では紛れもなく本物だったから今から見てあれやこれやいうのは申し訳ない。


それと比べて就職してからの俺にはフラストレーションがなかった。単純な一色、楽しいの一言だった。俺はついに社会から認められたと思っていた。自分は実はこう見えて器用で、社会の中でもきちんと結果を出そうと思えば出せるのだと思っていた自信が、ついに社会人になったことで報われた感覚があったし、大学時代に右往左往して休学とか鬱屈としていたけれどもそういう経験が就活にいろんな意味で良い影響を与えたと思って、友人連中がみな就活に苦戦していることを尻目に、ついに俺が勝つ瞬間が来たのだなと思った。勝負。勝負だと思っていた。いや、今も思っているし、それは別にあながち間違っていない。間違っていないというか、現実的に勝負として捉えた方が今の社会構造の中で理解しやすい状況だって多いじゃないか。そういう事を見ないふりして、人生は勝負なんかじゃないよと老成する考え方は慇懃無礼というか、そういう人にはこう聞いてみたい。ではあんたの子供には勉強をさせないのか。とか。いや、勉強とか言われると俺も弱い。別に東大に行ったわけではないし。でも要は現実的に世知辛い状況の中で戦わないといけなくて、そこでは踏ん張った方がいい状況、そして成功と失敗が短期的な視点で見てはっきりする状況だってあるじゃないか。そりゃ長い目で見たら、(これは俺の座右の銘でもあるけれども)勝負の女神が最後に微笑む方が勝つのだという考え方、どう生きたって、短期的な勝負に負けても色々回り道をして最終的にそんな短期的な勝敗に関係なく幸せになれる事だってあるだろうけれども、そういう短期的な勝負で自信を失ってしまって長期的な勝負への意欲も薄れてしまったりとかそういう事だってあるじゃないか。まあもうこれについて云々言われても、大体は俺の中で決着出来ているし誰からも何か言われる筋合いはない。つまり、俺は就活で勝ったと思ったし、俺は元々勝てる人間だと思っていたからようやく証明できたという気持ちになった。お金もそれなりにもらえて、なんだか自分がエリートになれた気がして嬉しかったし、並行して友達とシェアハウスみたいな生き方もスマートでカッコいいなと自分で思っていたから自信に満ち溢れていた。それが俺の自信を助長した。その日々三年。


そしてこうして没落して都内に出てきてタフな日々を送っていて、そういう直前のネガティブのない、ただ楽しかった日々がそこまで思い出されないのは如何なるや。と思っていたけれども、まだ直前の暮らしは俺にとって思い出というほど昔のことじゃないし、全然一週間前までそこにいたわけだし、単に、まだセンチメンタルの対象になっていないだけなのかもしれない。それに対して大学一年なんてもう10年も近い昔のことで、あの時遊んでいた人たちは日本のいろんな場所にいて容易に会えない。いやもう綺麗事はやめて、こうして晴れた春の日にいい匂いの風が部屋に入ってきて鼻腔をくすぐる瞬間には決まってある女性に突き当たる。俺にとってなんなんだろう。ただならぬ存在であり叶わぬ存在。しかしてその実体とは。大学生の間中、幻想を彼女に投影して見てしまっていたから幻が大きくなりすぎていて、彼女自身を感じることがやけに新鮮である。前に会った時、ついに彼女の実体としっかりおしゃべりできたように感じた。彼女に対して、少なくとも彼女と接している間中、彼女の事を神の如き存在だと思って接してはいなかった。むしろ近年初めましてで会う程度の、なんか可愛いなと思う女性Aに対してのコミュニケーションがごく自然に行われたことは俺にとって月日の流れと自分の成長を感じてむず痒い嬉しさがあった。
ところが今もこうして東京で一人になった瞬間彼女の事を滔々と文章にして世の中に垂れ流していて、一体彼女は俺にとってどういう存在に成り果ててしまったんだろう。ここまで彼女の事を思っている人間って他にいるだろうか。大学二年のクリスマスに告白してフラれたけど、その時、俺にとって彼女はとっても特別で、この愛は他の人とは全くレベルの違う大きさだと伝えたつもりだったし事実伝わったかもしれないけど、俺も彼女もそんなこと信じてなかった。なのに今、今もこの瞬間彼女の事を思い出しているってのは、やっぱりそれは時間を超えて本当だったのかもしれない。
つくづく恋愛のことしか頭にないな。どうなっているんだ。俺はもっと硬派な人間でありたかった。こんなに、誰かが好きでみたいなことで自分の行動を選ぶような軽薄な人間になりたくはなかった。いや、こんな卑下はこれくらいにしておこう。これ以上卑下したら、別にそれはそれほど卑下することでもないぞという弁護側の自分が現れて結局最終的にはやっぱり俺は恋愛のことで頭がいっぱいで然るべきで、それは間違ったことじゃないのだという気持ちが強化されるだけで、こうして卑下している時に言外に望んでいたそんな自分からの脱却に寄与するどころかあまつさえ助長する。


今俺は30人くらいで居酒屋で飲み会がしたい。あの、色々な机で色々な人間が喋っていて俺はそこをどう飛翔してやろうかとか、どこで羽を休めてやろうかとか、自分にとってそれが胸三寸に思えてワクワクしてしまう空間が恋しい。俺は今一切の自信を奪い去られているけれども、もし目の前にそういう飲み会があったらきっと往年と変わらぬ自信と笑顔で参加して、きっととても愉快な気持ちを家に持ち帰ることができるだろうし、もしそこに初めましての女性がいてその女性が自分にとって魅力的だったりした日には現金にも世界が急に彩りを取り戻すんだろう。
雑念は置いておいても、そういうの関係なく、飲み会が恋しい。それか大人数で旅行とかしたい。結局、確かに人が好きなのかもしれないから。


しかして。俺は今没落貴族。しかし人生でそう何度も没落するわけでもなし。あってたまるか。つまり、今はこの没落趣味に思う存分没落して、その中で溺れれば良い。苦しい気持ちも辛い気持ちも死にたい気持ちも没落趣味であり、人生で今しかないこの没落を楽しむためにあると思えばそういう嫌な気持ちをポジティブに受け取れるんじゃないか。だから問題ないよ。ダメなことなんて一つもない。俺はまだまだここから。勝負はまだここから。勝負の女神はまだなににも微笑んでいないよ。今は没落しているからこそ可能になっていることに目を向けるべきだ。そうだ。それでいい。苦しくてもいい。苦しさを楽しめ。そう何度も苦しめるわけじゃないぞ。これすらもきっと老人になって死ぬ時は懐かしい痛みなんだろうから。今はそれを楽しまないと。大学一年の時にあの時間の良さを存分に味わっていなかったことを今後悔しているのなら尚更。今だって尊い時間を過ごしているんだ。俺は。ふふふふふふうふふふふふふ。

札幌発の劇団Road of座のブログです。主に代表で役者の大橋が更新しています。サポートよろしくお願いします!