鉄道の旅 2024/8/1

8月となりました。時間がどんどん過ぎていく。皆が有意義で愉快でおもろくて学びある時間を過ごしているのに俺ときたら、という思考で頭がいっぱいになって昨日の今くらいの時間は車窓を見ながら落ち込んでいましたが昨晩福島で友人と会って色々話したら何だか自信みたいなものが戻ってきて今は気持ち穏やかです。

昨日東京を出発し青春18きっぷを駆使して東日本を北上し最終目的地札幌を目指す旅。これまでバイクでしか旅行をしたことのなかった東北を鉄道で巡るというのはそれはそれで新しい感覚があります。問題は、ただ、いつだって、目の前の経験や事象それ自体ではなく、今自分がまさにそれを求めているかということに尽きるでしょう。それでいうと、今俺はあんまりこれを求めてないんじゃないかと思ったり。自分のことなのに、自分のことだから、もうすぐ29歳になるっていうのに、いまだに自分を、自分の思う通りに、自分の望む通りに、自分の心快哉と叫ぶように、自分を操縦することが苦手です。

鉄道の旅は乗り換えの都合上結構待つ時間があります。この時間をどう使うか。もちろんお金はないのであまり選択肢は多くない。そもそもこの炎天下、金を使わず涼む事も結構難しい。大きい駅では駅前の複合施設の4階とかに大抵休憩スペースがあるからそこのベンチにいればいい。しかしベンチにいて一体何を・・・。これは今まさにこの文章を綴っている自分がやっている事です。出来るだけリュックを重くしたくないから時間潰しの道具も全然持っていない。スマホは、やっていいか分からないけど近くのコンセントで充電していて使えない。本くらいあればと思うが、本はあれは結構重いのです。今回それを持ってきていないからリュックが軽くて移動自体はかなり快適となります。しかし待ち時間。こういう時間人々はスマホを見るのに慣れてしまった。先日実家で、居間で延々と流れているニュースまたはありふれて落ちている新聞で、「小学生の国語能力の危機 過去最低水準」みたいなことを伝えておりました。いったいなぜ、と文章は問い、すぐ後によく知らない識者がスマートフォンの使いすぎである(SNS等)と結論づけていた。今スマホがない状態で待ち時間を過ごしていて思う。ダメなのはスマホ、SNSではない。その時間、かつてスマホがなかった時代人々が時間潰しに利用していた事ごとをする時間がなくなってしまったのがいけないのだ。つまり、読書だったり、ここ最近見に降りかかった出来事たちの咀嚼だったり。

2024/8/18

あれから時間が経ってしまった。上記の文章は仙台駅の駅ビルで書いていた記憶。しかしここは札幌です。そう思うとこの三週間かなり忙しく、濃密に過ごしていた。確か前の文章はしっかり書こうと思っていたら電車の時間が思いの外ギリギリになっていて急いでPCを閉じたんだった。本当にそれから色々あって今泣きそうなんだけれども今日はこの辺で。この文章にどう蓋をしようか悩んでいる。ああそうだ。誕生日も気づけば8日前だ。29歳になりました。年々鬱々とした気持ちが進行していて、2024年なんて最低だった。これからの一年は人間と信頼関係を結べたらいいな。半年も経てば海の景色のストーリーくらいあげていいやと思えてしまうような人間とではなく。誰のこと言ってると思う?
お前だよ。

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