6. 自分には浪人生になる必要があった話。
こんばんは。どうも、romiです。今日は「自分には浪人生になる必要があった話」です。
自分はタイトル通り、浪人生になる必要がありました。浪人したからこそ、自分の人生が始まったように思います。
自分は高校生になるまで自分の人生を生きている感覚がありませんでした。親の言われた通り塾に通い、志望校を選び、自分は親の人生の2周目をさせられているだけだと思っていました。ゲームの2周目みたいなやつですね。自分の意志があることもありましたが、何を言っても自分の意見など子供の世迷言だと否定され続ける日々。自分が高校生になる頃にはもう、何を言っても無駄なんだと、自分は両親に従うしかないのだと諦めていました。
というのも、自力で大学に行こうにも親の収入が低くはないために奨学金制度は受けられないし、かといって自分が本当に行きたい学問の道に進もうとすれば両親はあらゆる手回しをして妨害をしてくる。一方で親が希望通りの大学を自分が志望していれば、衣食住を提供してもらえるうえに金銭的援助はしてもらえるし、高校にも通い続けることができる。当時の自分には、従うのが最善策だと諦めるぐらいしか判断能力が残っていませんでした。
そんな状況でも一人で夢をかなえてやると思えるぐらいに野心があればよかったのですが、恐ろしいものですね。なんでも否定され続けて育つと、それにも気づけない自分になっていました。
自分は、高校3年生の時、親の志望通りの学部に願書を出しました。そしてとあることに気が付きます。「親の志望する学部を受験して不合格になれば、この子には無理だと諦めてもらえるんじゃないか?」と。親に言われるがまま勉強していた自分は、もちろん身が入るわけもなく劣等生。落ちればいいのなら、自分が必至こいて勉強する意味もないではないかと。
そこからは日記ばかり書くようになりました。高校では劣等感に苛まれ、家に帰れば怒号を浴びながら机に向かい、早朝には太陽が浴びる前には高校に行く日々。正直あの頃には戻りたくない…。
そして、大学受験は不合格。その通知を見たときに、自分はどこかホッとした半面、どこかつらくもありました。今までは「合格もできるけど不合格を選ぶ」という選択をしていただけだったんです。でもいざ不合格になると、「あなたは不合格の選択しかできなくて、不合格です」という状況に代わってしまったんです。もっと早く気づけよ…とも思いましたが、そこで初めて「親の志望学部にとりあえず進んで仮面浪人する」という選択肢もあったことに気づきます。我ながら情けないですね…
その後は浪人が始まります。親はなんとしてでも子供を志望学部に合格させようと、予備校に通わせました。自分も最初の方はなんだかんだ不合格の情けなさでダメージが入っていたので、とりあえず勉強していました。でもそのうち痛みを忘れ、授業に出る意味がわからなくなっていきます。さぼって一人カラオケに行ったり、公園でぼーっとしていたときもありました。
そんなある日、数学の授業の板書を必死に写す同級生が話しかけてきました。同級生はわからない数式があったらしく、自分に質問してきました。自分もすぐには説明できずバタバタしていると、同級生は「とりあえず板書写せばいいよね!」とほかの同級生たちとわらわら話しながら板書を再び写しはじめました。
その同級生たちの輪を遠くからみた時、自分は気づいてしまったんです。どうせこの同級生たちは、ありあわせの不合格者たちで集まって楽しくもない慰めあいをしながら、この問題を写した後に復習することなんてないだろうと。そうして同じようにたくさんの問題を毎日解いて、結局受験に落ちるんだろうと。そして、それは自分のことじゃないか…!と。
一生懸命この板書を写して、振り返ることもなく、また受験するであろう自分の姿が客観的に見えた瞬間でした。
そもそもですよ。自分が所属しているクラスの人数だけで、志望学部の合格枠の人数を超えているんです。他校や他県の生徒も受験するんだからもっと人数は増える。どんなに頑張っても、全員は合格できるわけないんです。
衝撃でした…。
「自分に本当に必要なことが、クラスメイトと同じ内容なわけがないではないか」「自分の一番理解できない問題を、確実に理解できるようになることの方がよっぽど大事じゃないか」と気づいた自分は、そこからクラスメイトとつるむのはおろか、授業に出る足も遠のいてしまいます。(今思えば、自分じゃないだれかからたまたま弱点を見つけてもらうことも大事なので、授業には出た方がいいのですが)
そして同時に、自分の将来に疑問を覚えはじめます。授業を受けるか受けないかの選択ができるのに、自分の将来の選択はできないのか?自分が今必死に勉強しはじめたのは何のためだ?自分は本当は何をしたいんだ?と。
自分はお金持ちになって何もしないのが理想ではあるけれど、もし何もしなくていいという理想の暮らしを手に入れた後なら、芸術や言語の勉強をしたい。建築とかも勉強してみたい。劣等生の自分だったけど、本当は知りたいことややりたいことがあったことに気づきます。
そして、今回は高校生だったころの自分の反省を活かし、とりあえず大学生という社会的地位とモラトリアムを獲得することも考えはじめます。両親が納得できるのは本当にその志望学部だけなのか。交渉してわずかでもその幅を広げることはできないか。自分が今すぐに学びたいことを学ぶ必要があるのか。人生設計の順番を前後させるのもありなのではないか、などなど。
最終的に、自分は両親が志望する学部よりも強く志望する学部があることを伝えます。しかし、自分が一番志望する芸術系などは両親が一番反対する学部でした。そこで、自分も妥協できる学部でなおかつ両親がぎりぎり妥協できそうな学部を伝え、その学部を狙うことに作戦を変更します。
自分は結局、モラトリアムを獲得する間に自分の夢を何とか掴む準備をすることにしました。親を完全に説得できるのが一番かもしれませんが、自分が夢をかなえるために、今の自分の希望を押し通すことが最善策ではないと考えられるぐらいには大人になりました。
その後、自分は何とか妥協した学部に合格し、モラトリアムを獲得しました。最善策はとったものの、実家にいたころとはまた違うつらさがあります。金銭的な面を自分でどうにかしないといけない苦労だったり、自分が学ぶ必要がないのではないかと考えることもしないといけなかったり。それでも、「自分が決めた選択だから」という事実が、自分に踏ん張る力をくれます。選択したのは自分だから、自分に責任があると納得できる。
もし、親の志望学部にストレートで合格していたら。自分は浪人という何者でもないという負い目や、貴重な10代の1年を失わずに済んだかもしれません。でも、その後、頑張ることができなかったと思います。自分で何かを選択できるようになった時が来ても、いつかそれを人のせいにしていたかもしれない。責任を人に擦り付けて、自分が楽しいと思えない人生をじりじり諦めながら送っていたかもしれない。
自分には、あの教室での出来事が、浪人生になることが、必要だったんだと思います。
自分の浪人時代の話をして、「今がきつくても、きっといつかいいことがあるよ」なんて話をするつもりはないです。今きつかったら、きついです。痛くてきつくてつらいです。チャンスをつかむ努力をしても、結局チャンスが降ってくるのはランダムです。
でも自分が絶望しているとき、絶望してもなおほんの少しだけ、選択できる余地が残っていることがあります。朝ご飯を食べるか食べないかとかそういうレベルの話で十分です。今の自分に決められることやできることは本当の本当に何もないのか、自分が見て見ぬふりをしていたり、まだ気づけていない可能性があったりしないか、未来の自分には最後にもう一回だけでいいから考えてくれることを願います。
その小さな選択が自分に小さな満足感や責任感をくれるかもしれない。自分は選択できるんだということ、自分は自分の人生を生きているんだという実感をくれるかもしれない。それこそが、自分がどん底に落ちたときに自分を助けてくれる最大の武器になると思います。
未来への期待にはならないかもしれないけれど、想像しえない未来にも踏み出せる勇気として、この話を残します。