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X-QUESTトリコロールスター #なに空 ネタバレを含む感想つらつら。

<Privatter 2019-06-27 17:08:28 からの転記>

思った事を書き殴って残しておきたいだけのキロク。
他人様に読ませるためのものでは無く。


コンジキもベニクラゲマンもカッコ良かったし、タカシさんとキヨシさんじゃないと出ない色だな、と感服。やっぱり以前本編をしっかり一本やっただけある。

……なんだけど、私に刺さったのは『なにもない空間の男』で。
初演で全く情報が無い(というか、台本なんて一文字も無い)のに、情報公開の時点で勘というか嗅覚というかが反応していた。
これは「演劇」だ!と。(※ピーターブルックは知らない)

そして、実際そうだった。無論、主演が高田淳(愛称ずん)で、高田無双していたことは大きな要因。温泉の民だからね。でも、作品世界が面白いと思えなかったら刺さるわけがなくて。

『なにもない空間の男』は響く人にはとても響くけど、そうで無い人もかなりいたんじゃないかなぁ。だから、中編3作の同時上演で、選択範囲が広かったことは良かった気がする。どれか一つは気に入る作品あるじゃん?


ところで。演劇で演劇をやるのが、最近の流行りなのか。(真顔)

それの真骨頂を見てしまった気がして。


トクさんの脚本はこれまでもメタ要素を持ってくることがあったから、驚きはしないけれど、ただ軸のひとつにまでするとは思ってなかった。
役者を生業とする現実の高田淳と、作中登場人物のタカラダジュン(しかも幼フォルムと大人フォルムの二人)が、クロスオーバーしていくのが面白い。
正確に言うと、冒頭に出てくる大人フォルム/劇作家はタカラダジュンという名前が付いてる保証はないんだけども。

劇作家の語りの中で、.5の話も出てきたけれど、あれは別に批判じゃなくて分かりやすい例示なだけ。パブリックイメージを上手くメタ要素として盛り込んだだけなのよね。
基本的には”演劇あるある”の話。頷くしかできない事象が次から次へと提示されて、もう赤べこですよ、こっちは。
「退屈は敵である」例示とか、「説明」についての論、「SHOWである為」に必要な材料なんかも同意しかなくて、共鳴してる感覚になる。
(しょうもない事だけど、隣の人が…で言いかけて言い直すの好き)

「次元を超える」ためのscrap&buildが出来ているか、という話を聞きながら、
これまでの「超えた」作品と「超えなかった」作品を思い出してた。
そりゃ”虚無リンピック”入賞するわな。


演劇は社会を映す鏡でもある。
脚本を書いた時代が、否応無く編み込まれる。持つメッセージに反映する。
例えそれが時代劇でもファンタジーでもだ。

クエストの物語は表に見えてるものだけでも楽しめるし、裏を深読みしてもいいし、言葉遊びも非言語表現も内包している。演劇的には贅沢なんだと思う。これまでの作品も大いに支持されているのは、それの証明よね。
「突然、訳の分からない肉体表現になるのも、嫌いじゃない」(※ニュアンス)
って言った直後に本当にダンスパートが入ると、
だからずんさんは、この人達は、クエストの劇団員でいるのか!とハラオチする。
(上手く言えないんだけど、ずんさんがクエストに居続けてる事に否定ではない不思議感は持っていたので…)

ニーチェの
「深淵をのぞく時、深淵もまたお前をのぞいているのだ」
を今更ながら感じたりしてる。
というか、別作品を見ながら『なに空』からの影響を感じてしまったあたり、自分も相当白く染まってしまったな。
だって、あぁ白い壁がある……やることが想像つく……そして説明過多で退屈だな、って思ってしまったんだもの。

『演劇をつまらなくするもの撲滅委員会』には、私も参加したい。

100人中100人が、面白い!と感じる作品を作るのは至難の技だ。
でも、退屈しない作品を作るのはそこまでじゃないと思う。

あー、なんかズレてきたな。


世界観とは別のしっかりした柱だった、高田淳という役者の話をしようか。

背も高く、容姿も申し分なく、聡明で地頭が良く、気配りも出来る。輪廻の中で人間やるの5回目とかなんだろうなって思う。
そんな人である上に、演劇が好きで芝居が上手いって、どんだけ役満なんだよ……。(たぶん麻雀も強いほうだと思うな…)

『なに空』の上演時間は70分(だったはず)。
その内、65分はアクトエリアに出ていた。60分は喋っていた。
あれ、これって一人芝居でしたっけ???ぐらいの出方をしている。
なのに、淀みなく流暢に膨大な量のセリフを喋り続けるのだ。
あれ、アンドロイドでしたっけ???なんて言いたくなる。
それをやれてしまう役者であることは、これまでで十分に感じていた事だとしても。

彼の身体表現の機微が好きで、アクションで動けることも、指先まで役としての意思を持ってることも、すごいと感じている。なにより、声と表情の作り方が秀逸なのだ。
それは『なに空』に於いても例外でなく、というか、むしろそれが起爆剤であり導入力を発揮する。バチン!と空気を変える、世界を制する、のは、声だった。

声優という職業でなくても、むしろ日常生活でも、声は最も効果的に感情や状況を伝える。伝えてしまう。
その声を、意識して制御して使い分けて伝えたら、強力な武器になる。ずんさんはそれを演技に於いて発揮するのに長けているのだ。
声と、くるくると変わる表情、いやむしろ目の色が、あの空間を掌握していた。
それを彼自身が、楽しんでいた。喜んでいた。遊んでいた。

あぁ、遊んでいたのだ。毎日毎回刻々と変わっていく客席と、空間と、打てば響く共演者と。面白いオモチャを与えられた子供のように。

だからこそあんなに全身で、一ミリの嘘も無く、
「演劇が好きだ」と叫べるのか。


蛙を熱湯に入れると驚いて逃げるが、水に入れてじっくり煮ると気付かずに茹であがってしまう、という「茹でガエルの法則」は聞いたことがあるでしょう。(生物学的には間違いだそうですが)
最終的に作中登場人物のタカラダジュンによって物語終盤で明かされるものは、それにも近い、非常にゆったりとした暴力と拷問の累積だった。
言葉という情報が現代日本にとって、どれだけ当たり前であるかなんて、普通は考えない。
(落語には、ままある)
(あと、Twitterで近しい話題を見かけていたので、トクさんの着想もその辺りにありそう)
母が掛ける「あなたは、良い子ね」の言葉は、一度目に聞いても重みがあったのに(長男長女なら分かるよね?)
二度目からは、倍以上の重さになったし、鈍器だった。

それを経た上で、作中登場人物のタカラダジュンが未来に向かって叫ぶ姿は、力強かった。

それを演じる役者・高田淳が、力強かった。



ただ、ずんさんだけの功績では無くて。

周りにいるたくさんの登場人物が、豊かに支えていた。
生半可な役者だと、多分ずんさんのオーラに喰われて潰されちゃうんだけど、一度たりとも負けてなかったな。
中でも、土田さんとのやりとりは本当に痺れるものがある。


トクさんがこの作品を通して、提示したかったことの何割を感じ取れたのかは分からないけれど、
今この時期に、役者・高田淳という媒体(media)を使って、届けたいと思ったことが
みっしりと、みつしりと白い匣に、詰められていた。


当たり前のことを言いますね。
白い空間って、色が目立つんですよ。
だから色の明かりがとても鋭くて。”ナマ”の明かりが普段以上に温かくて。
生まれる影すら、温かくて。



役者を生業として生きていくって、小劇場を主戦場にしていると、もんっっっのすごく過酷なんですよね。
(映像の世界で売れっ子になったら、それはそれで過酷だとも思うけれど)
だから、おいそれと「長く続けて欲しい」とは役者に言えない。
ただ「また会いましょうね」と小さな願いを繰り返す。

そんな中で、「演劇に携わっていきたい」と高らかに宣言したタカラダジュンが、
嘘偽りなく高田淳だ、と感じられた事が嬉しいのです。










<黒い空間のハナシ>
あの、ですね。
もしも願いが叶うなら、アルフレッドに5人目くらいにヤられたい。バスッと。
悪魔に頼む気は無いけれど、アルフレッドを呼ぶ呪文は唱えているから。


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