「私」はどこにいるのか?③
前回の続き。
「私」はどこにいるのか?「私」は見る主体なのだから、見られるものではない。さらには、他人の目や鏡を使っても見られるものにはなり得ない。
となると、主体としての「私」は、まず物理的なものではない。脳でもなければ、身体のどこかでもない。だから、物理的な空間に位置していない。
では、心の中にあるのだろうか。もちろん、私の感覚や感情や思考などがあることは手に取るようにわかる。だが、私そのものを感じることはない。これは、たまたま感じられる手段が今のところないだけで、実は見つけ出すことができていないだけなのか、あるいは心の中にすらないのか、どちらかだろう。
さて、私そのものを感じることはできるのだろうか?
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