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カルヴァン主義は換骨奪胎して通俗哲学になった-1

司馬遼太郎「太郎の国の物語」4、自助論の世界 より

■キリスト教が根付かない国のプロテスタンティズム
「キリスト教の側が、随分日本に病院とか学校を立ててくれました。聖心女子大とかラサールとか南山大学、立教大学、上智大学・・・プロテスタントの方は関東学院、関西学院、西南学院とか、東北学院とか広島女学院・・・あるいは同志社大学とか、病院で言うと聖路加病院とか、いろいろありますですね。その割にはですね・・・信者は6~70万・・・80万はいってないんじゃないでしょうか。」

■プロテスタントとカトリックは気質が違う
「イギリスが新教(プロテスタント)になり、イギリス人がアイルランドを侵略、征服しました。ですから、アイルランド人にしてみればプロテスタントは敵だと思ってるわけですね。カトリックというのは割合おおらかですから、お金が無くなったら物乞いしたっていいんですね。プロテスタントはそれを望みません。自分の力で一生懸命働け、働いたお金で飯を食えと。カトリックは、持てる者からいただくのは当たり前だ、というところがちょっとありましてですね、これは、世界中のカトリックがそうだというんじゃなくて、古典的なカトリックですね。

北の方に行くとプロテスタントの衆がいる。その連中は朝から晩まで一生懸命働いている。馬鹿みたいに働いている。家をピカピカに掃除して、しまいに磨くところが無くなると、ドアのノブまで磨いてるよというのが、カトリックのプロテスタントに対する悪口ですね。

これに対して、アイリッシュのプロテスタントの人はですね、カトリックの人に向かって、あの連中はいいかげんで、仕事終わりに道具をきちんと片づけないから、次の日の朝は、道具を揃えるところから始めなければならないし、他の人がその道具を使う場合には、何処に行ったか分からない。あの連中にはビジネスというものができないんだとまで、カトリックに対して悪口を言っています。

■商工業の発達とプロテスタントの自己責任論
プロテスタントというカトリックに対して文句を言う人たちが出てきたというのは、ヨーロッパで商工業が発達してきて、カトリックのようにのんびりしたことでは、新しいビジネスに参加できないという事情がありました。工業にしても商業にしても、あるいは為替のやり取りをするというような、ややこしい仕事が起こってきますと、農業や牧畜で暮らしてきた人たちではうまくいかないわけです。

そこから飛び出してきて都市生活を送る、そしてそのややこしいビジネスに参加する人たちは、全部に責任を持たなければいけない。自分が責任を持つ、自分がきちっとやる。それから、自分については、「天は自らを助くる者を助く」というように生きよ、無駄遣いするな、勤勉であれ。

非常に卑俗な例で言いますと、カトリックは教会が神様の卸問屋であり、信者は小売で教会からの神様を頂いていればいい。それに対しプロテスタントは、信者自身が神様と直取引する、牧師さんもいらっしゃいますが、あくまでも介添え人であって、信者自身が神様と直取引する。

神様と信者の間は垂直の関係であって、曲がったりカーブしたりしていない。その代わりプロテスタントは、人が見ていない時でもきちっとしていなければならない。そしてこれを、明治人に置き換えてみてほしいんですよね。

■資本主義の精神
マックス・ウェーバーという人は、非常に良く見抜きましたですね。産業が興って来るビジネスが興って来る、プロテスタンティズムが産業社会と表裏一体になって進んできて・・・イギリスはカトリックできましたけれど、プロテスタントになって・・・カルビン(カルヴァン)という人が、非常にイギリスに影響を与えて、イギリスの清教徒を生んでゆく元になった。

産業革命を生んだ国ですから、非常に産業が興ってきて、農村にはなかったビジネスという「目に見えない世界」というものを運営する必要が発生し、そういう社会には、プロテスタントのルールというものが必要だったわけですね。

他人に対して厳しく、その代わり自分に対しても厳しい。貸した金は取り立てるというのがプロテスタントのやり方です。プロテスタントもいいところばかりではありません。むろん、貸りた金は返さなければいけませんけど、カトリック的なあいまいさはないわけです。非常に厳しいものでした。だから、ちょっとこれだけのことを頭に入れといてもらって、明治時代・・・

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