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ぼくをかたどる陰影について(留年へ向けた覚書)

(pdfで読むことをおすすめします)

 はじめに書いておきたいのは、この文章は、かなり長くなるはずだ。すごく長い。とても長い。そのうえ、なんとなく長いわけじゃない。ここには分量相応の重みがある(はずだ)。書くのがつらいのと同時に、読むのもつらい。非常につらい。そんなもの、いったい、誰が読むのだろう? わざわざつらい気持ちになる必要なんか、どこにもないのに。でも、この先ぼくが書くことになる文章は、あくまで「読むのがつらい」文章であって、「読みづらい」文章ではない……はずだ。ぼくは文章のプロじゃないから、読みやすさは保証できない。自分では読みやすいと思っても、他の人にはまったく解読できない、なんてことがある。いや、むしろ、文章とはそういうものかもしれない。個人的な暗号。いや、いや、もっと、もっと突き詰めると、書いた当時の自分にしか読み解けない、なんてこともある。再現不能な個人的な暗号。目の前の景色をうつした瞬間黒い煙を出しながら燃えつきる8ミリ映画フィルム(そんな映画があるならみてみたい、それはきっとすばらしい映画に違いない)。そもそも、プロの作家の書く文章は、はたして、ほんとうに読みやすいのか?

 今回、note版とは別にpdf版を用意した。内容はほとんど違わないのに。なぜか? 理由はね、えっと、うーん、言葉で説明するのはぶすいだから、pdf版の文章を読んでほしい。

 ここまで567字、これで、ひとまずの序文としたい。序文が終わると、すぐにぼくの個人的な経験に入るつもりだ。痛々しい、自分語りへ入るつもりだ。年末のどこか張りつめた祝祭の雰囲気に身をゆだね、文字に起こすことで、ぼくはぼくの抱えてきた痛々しさを2023年に置いていきたいと思う。打ち明ける前のぼくと、後のぼくとでは、きっと、おそらく、べつの人間になっているはずだ。うん、なっているはず。 


 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院元院長、文化人類学者の上田紀行は、講義やゼミの最中「大学生は留年するといいよ俺は留年して変わったから」と声高に語る。
 ガロア理論にその名を残す早熟の大数学者エヴァリスト・ガロアは、想定外の留年で生じた余剰時間を数学の勉強に充てることでその才能を開花させた。
 戦後随一の批評家である加藤典洋は、自身の留年経験と文学から置き去りにされる感覚を駆動力に名著『テクストから遠く離れて』を著した。

 それって、ほんとうにほんとうだろうか。成功譚ばかり喧しくないか。留年は未来の美談になりうるのか。事実、留年がほとんど確定したとき、ぼくは深く暗く冷たい井戸の底で体育座りをして眼を瞑っていた。底へ向かって一直線に、一定のペースで絶えず落ちてくる、微生物の死体の混じって濁って生臭い水滴を黒髪の中の剥き出しの生白いつむじで受けとめつづけた。雨垂れ石を穿つ、ということわざ、あるいは水滴石穿、という四字熟語では決して語られることのないネガティブな側面、継続した努力の末ついには硬い石に穴を開ける雄渾な水滴があれば反対に水滴ごときに穴を開けられ壊されてしまうちっぽけな石ころが存在する、という現実を、思わずぼくは直視することになったし、これからも目を逸らさずに穴が開くまで見つめつづける決心と共に、ぼくというちっぽけな存在を取り巻くあらゆる肉体と観念の歴程をここに開陳する。

 これから引き続く文章は読まれる他者の存在をあまり想定していない。つまるところ自己治癒が目的の私的な言葉の塊である。だから読みにくい箇所が多々あるかもしれない、まったく共感できないかもしれない。しかし願わくは、ぼくと同じようにひとりきりで悩んでいる井戸の底の落第生、目には見えない重たい荷物を背負っていつ押し潰されるかわからない恐怖に怯えながら前へ進もうと必死に歩きつづける大勢の人々、さらにはこれから先、真っ黒く粘っこいしがらみに捕らわれて全身を締めつける苦しみを味わうことになるかもしれない束の間の晴眼者たちに、ほんのすこしの安らぎをもたらせたら、ぼくはほんとうにうれしい。


 壊れるといっても「破壊」みたいに瞬発的な壊れ方ではなく、ここでいう「壊れた」とは「瓦解」のようにボロボロとすこしずつ形を失っていく一過程を指す。それでもいくつかのトリガーとなる出来事はあって、ぼくの壊れた瞬間の数々を挙げるならば、代表的なものは次の三つ。

  1. 先端バイオものつくり

  2. 実験レポート

  3. FIFAワールドカップカタール2022

「先端バイオものつくり」は、ぼくの所属する東京工業大学生命理工学院生命理工学系の専門科目である。簡単にシラバスを引用する。「学生が自主的に少人数のグループをつくり、バイオに関連した先端トピックスや、生命理工学分野の課題を自ら見つけ出し、授業担当教員やTAからの助言をもとに研究戦略と実験設計を行ったのち、実験やものつくりをグループ毎に行う」まあ、要するに、研究者を目指している意識の高い学生が対象のかなりハードな講義である。そのころのぼくはある程度成績が良く、出席の取られない講義は休み、課題の提出期限にはしばしば遅れるなど、真面目な学生ではなかったが、自分の能力がアカデミアを前にどれくらい通用するかには興味をもっていた。
 けれどやっぱり、中途半端な心意気で履修すべき講義ではなかった。先生陣からは発表内容について厳しく詰められるし、ぼくがペアを組むことになった学生は前々から悪い意味で目についていた、いわゆる「アスペ」っぽい、コミュニケーションの取りづらさをたびたび感じるような男だった。東工大にはそういう学生が比較的多い。頭は良いが東大には行けない理系特化型の人間の受け皿。くわえて真面目な人ばかりだ。天賦の才があるならわざわざこんな大学に入る必要はない。東大の進振りを避けるために進学する人、共通テストでコケた人、家が近くの人、東工大を選ぶそれ以外の理由を教えてほしい。なぜ? 実際のところ、進路はほとんど無意識のうちに決まっている。複数の選択肢を前に考えあぐねているように見えて、ぼくらの額に眠ったままの第三の瞳は薄い瞼の肉の裏から血で赤く透けた一本の未来を凝視する。

 いつもいつも、途中で投げ出してきた人生だった。囲碁にはじまり、水泳、中学受験、ボルダリング、高校受験、ヴァイオリン、数学、大学受験、そして生物学。あらゆる物事を途中で投げ出した。なまじ器用だから具合が悪い。器用貧乏。すべて清々しいまでの中途半端。中学校の生徒会長に立候補したとき、推薦演説の依頼を快諾してくれた友人が壇上で無邪気に用いた言葉をぼくはときどき思い出す。「みなさん、おはようございます。……。ぼくが中川くんを生徒会長に推薦する理由はみっつあります。……。ふたつめは、多趣味である点です。かれは、囲碁に水泳、ボルダリングと、いろいろなことに興味をもっています。……」時間にして一分にも満たない、こんな些細な出来事を、数年経ったいまでも覚えている時点で、ちょっと、おかしい。今日までそして明日からの人生を、生まれた瞬間を起点に伸びゆく時間経過の数直線で表したところで、この出来事は肉眼で見ることの叶わないごく小さな黒鉛の欠片だ。けれどぼくにとって彼の発した何気ない言葉は、それまでよどみなく流れていた生活の風景をポジからネガへと一変させてしまうような、生意気に黒光りする鋭いくさびのような言葉だった。

 先端バイオものつくりの三回目の講義をすっぽかして以来、ぼくはまともにメールをチェックできなくなってしまった。はじめての落単が決まった瞬間だった。この落単をきっかけに、直接関係のない他の科目もボロボロと落とした。そして、いまでも、ぼくはメールが見られないままだ。致命的に。


 レポートはレポートでも、こと実験レポートはぼくの大敵である。たとえば人文学系のレポートならレトリックが過剰でも許されそうな独特のユルさがあるが、理系のレポート、なかでも実験レポートではそうはいかない。実験で得られた事実を過不足なく簡潔に書き連ね、そこから論理的に導き出した結果や展望や結論で締めくくられる文章は無味乾燥の、情感から切り離された物質としての人体が紡ぐ化学繊維の白布のごとく機械的で温かみに欠けた手ざわりが気持ち悪い。そこには物質的恍惚すらない。レポートの言葉は日本語のようで日本語でないし、英語の論文で使われる言葉も英語のようで英語でない。どの言語に翻訳しても等しく同じ内容を伝えるようチューニングされた特殊な言葉は「アカデミア語」といってもいいかもしれない。日本語の魅力と可能性を限りなく削ぎ落した人工言語にぼくは嫌悪感をもよおす。何行も何行も、何枚も何枚もレポートを書いてきた学生は極めてフラットな言葉に感染し、いつしか不感症に陥り、触覚は麻痺、盲に聾に唖、ついには日本語の素晴らしさを完全に忘れてしまう。新しい言葉の萌芽の一粒も見当たらない文明の荒地に取り残されたぼくらの、未来なき未来……。

 こちらこそ「否定の言葉に感染した」尽きることのない悪口を書き連ねてしまったが、嫌いだからといってレポートを書かない、もしくは書けない言い訳にはならない。レポートを提出できなくなったのは、病的なまでの先延ばし癖を有する、紛うことなきぼくの落ち度である。先端バイオものつくりの落単確定によって壊れたちっぽけな完璧主義は実験レポートにまでおよび、ぼくは必修科目の生命理工学基礎実験・演習を落とした。
 ノートパソコンを開く。ここまでは大丈夫。でも、実験レポートのフォーマットを開こうとすると、とつぜん、頭が真っ白になる。両手も白く、顔面蒼白。リアス式海岸の岩戸の陰に数世紀もの間放置され風化した大理石の彫像のごとくキーボードに手を置いたままぼくは風にもまれる塵芥となって散り散りの死を死んでいる。

 こういう文章は書けるのに、実験レポートは書けないなんて、ふしぎ。そう思う人もいるだろう。ぼくもそう思う。けれど、世の中には、論理では説明できない事柄が存外多いのだ。構造主義の賜物である論理の骨組みに肉づいた線と数字と専門用語が九割の東工大において、これは信じがたいことかもしれない。論理があればなんでもできる。他ならぬぼく自身、かつてはそう信じていた。信じていたからこそ、過剰な論理の脆弱さを、いま、あらためて指摘することができる。

この家の麵は近隣では傑出しているので、毎日、ほとんど毎食ごとに食べにくることにしてあるのだが、どういうわけか、あとの料理はことごとくでたらめである。麵も傑出しているのは湯麵だけで、炒麵となると、とたんにでたらめになるという奇癖がある。これが何故なのか、これから日をかけて観察と分析にふけりたいと思っている。

大岡玲 編『開高健短篇選』より「一日」(岩波文庫)

 ぼくの敬愛する作家のひとり、開高健によって書かれた短篇『一日』の一部を引用した。この小説自体は、大江健三郎と古井由吉の対談集『文学の淵を渡る』収録の企画「百年の短篇小説を読む」で知ったのだが、なかでも先の断片には文学と論理の地平線が夕焼けに照らされ、埋もり、隠れている。「観察と分析」という、いかにも科学的なフレーズが差し込まれたこの一節を取り上げた大江は、開高の観察眼と分析力を評価すると共に、嘘をつくことのできなかった彼生来の弱みを指摘した。他でもない『一日』こそ、戦時下のベトナム駐在経験を基に書かれた作品のひとつである。彼の筆にはいつも現実が重くのしかかっていた。完全なる虚構ではなかった。もちろん、論理と虚構は本来相対する概念ではない。しかし、虚構から虚構なりの論理を導こうとしたのが三島由紀夫だとすれば、現実の論理から虚構を生み出そうとしたのが開高健だといえ、現在も熱烈な支持を得ている前者に比べると後者は若干見劣りする。書店に行けば「み」からはじまる新潮文庫のオレンジ背表紙は必ずといっていいほど見かけるが、「か」からはじまるグレーの背表紙は目立たないし、大型書店でない限り置かれていること自体珍しい。
 観察と分析を土壌に論理は成熟する。開高の場合、避けがたく生々しい現実──空襲で焼け野原となった故郷の原風景──をまず直視したことによって刻みつけられた論理があまりにも強固で、虚構らしい虚構ごときでは肉薄できなかった結果、私小説やエッセイ、ルポルタージュの方面へ流されていった。この方向転換は結果的には功を奏し、彼の名はいまも、ノンフィクション作家の登竜門「開高健ノンフィクション賞」に残っている。

 嘘のつけない論理がある。小説家としては致命的な矛盾に身体ごとねじ切られ、彼は死んでしまった。実際には食道癌に肺炎を併発して五十八歳で亡くなったのだが、還暦を迎えてもなお生きながらえていたならば、耐えがたい矛盾の渦中で彼はそのうち自殺しただろう。事実、開高健は幼少の頃から躁鬱の症状に悩まされていた。


 サッカーW杯は、ほんとうに、心躍るひとときだった。観られる限りのすべての試合をぼくは部室で見届けた。部室棟は午後8時を越えて使ってはいけないのだが、そんな規則にはお構いなく、夜を徹してプレイヤーとボールの行方を追いつづけた。誰かがゴールを決めると、きまって他の部室から歓声が上がった。どこのだれだかわからない歓声はいまでも耳の中でこだましている。ドアと廊下を隔ててぼくらはきっと寸分たがわぬガッツポーズで喜んだことだろう。楽しかったなあ、うん。楽しかった。日本対クロアチア戦はPK戦まで目が離せなかったし、アルゼンチン対フランスの決勝戦ほど手に汗握る試合はなかった。印象深い試合は他にもたくさんある。一ヶ月間、ぼくの心は何度も揺さぶられた。そのせいもある。過度に揺さぶられたぼくの心は定位置を忘れてしまったのだ。熱せられて曲げられて、ぼくの心は真っ白に燃えつきた。実験レポートの作成を口実にエナジードリンクを常飲し、醒めた赤目でサッカー観戦に没頭する、昼夜逆転他あらゆる矛盾に充ちた部室での生活はあまり長くは続かなかった。そう、壊れてしまったから。

  大学に行けない日々が続いた。
  しばらく続いた。
  つらかった。
  うん。
  つらかったなあ。
  つらかったよ、マジで。
  けっこうつらかった。
  そんな気がする。
  ほんとうにつらかったのかな?
  どうだろう。
  実をいうと、あんまり覚えてないんだ。
  いまも続いている。
  あんまり覚えてないんだよ。
  たまにしか行けてない。
  つらい。
  まだつらい。
  覚えてない。
  なにもかも忘れた。
  忘れちゃった‼
  わからない。
  わからないんだよなにもかもが。


 ADHDであるとかASDであるとか、アルファベットに託けて、不具の精神、魂の畸形たる発達障害をきらびやかに着飾る者たち。診断に漏れるとあるいはHSPを名乗る。ハイリー・センシティブ・パーソン、感じやすい人、繊細さん、多感症。なんか、エロいな。ファッショナブルでインテリジェントなラベリング。くわえて日本語からの遁走、責任の所在をうやむやにして欧化政策に肌を白染めされた根無し草、無国籍者。「英語が好きです」はい、そうですね。「こんど留学行きます」はあ、そうですか。いつか鬱病はディプレッション、統合失調症はスキツォフレニアと呼ばれるようになるかもしれない。現に糖尿病はダイアベティスへの名称変更が検討されている。明治の翻訳家の惜しみない努力はなんだったのか。ぼくらはいま一度、黒岩涙香の時代に遡るべきではないのだろうか。

 遡る、という言葉を使った。さかのぼる、いい響きだ。上顎に舌の腹を近づけて作った平たい隙間に息を通して擦れる「さ」、舌の根元をのどちんこの上にくっつけて勢いよく吐き出す「か」、舌先を上の歯と歯茎の境に押しつけてから引く「の」、口を閉じて溜めた空気を吹き出しながら唇を震わす「ぼ」、巻いた舌先が上顎に当たってリズミカルに弾むフィナーレの「る」。三種類の美しく滑らかな母音の流れに裏打ちされた五種類の子音を口の中で編んで奏でる端的で完璧な自動詞の音楽が「辶(二点しんにょう)」のイカダに乗ってゆるやかな時空の大河をのぼっている。船頭には小柄なゴンドラ漕ぎが、顔は……逆光で黒く塗りつぶされて見えない。残念ながら。

 実はもう、すでに、元旦をすぎてこの文章を書いている。それどころか、いまは元日の深夜、一月二日が侵されつつある(期限内に終わらせられないのがぼくの悪いところだ)。ぼくはまだ2023年にいる。まだ、まだ。もうすこしの辛抱。もうすこしで2023年を清算できる。けれど世界は無情にも先へ進んでいて、「今年も頑張ります」とか「悔いのない一年にしたい!」とか、紋切りの極みのような、練られていない、練ろうともしていない自動生成の言葉を目にするたび、彼らの重たげな頭の中に収まったどろどろしわしわの観念の臓器に巣食う無限成長の神話を疑わずにはいられない。「今日よりも良い明日へ」がキャッチコピーのその神話が信仰をもたない日本人の大きな支えであったことはたしかだろう。そしていまでも、主にインテリやオプティミストの間では最大の格率だと思う。SNSで何度も見かけた。今日よりも良い明日、明日よりも良い明後日へ。演繹的に導き出されるすばらしき未来の自画像。

 だが、どうだ。無際限の発展成長はさながら悪性新生物のごとく、ぶくぶく願望の膨れて重たくなった霊肉は熱いアスファルトの大地へずぶずぶ沈みこみ、同じく膨れあがった都市の機構と一体化、しまいに彼らは大きな社会の小さな歯車、ガチガチ歯と歯を噛み合わせ鳴らしながら懸命にくるくる回り、走り回りひた走り、回るうちに錆び、鈍重になり、その間にも歯は噛み締められ、歯ぎしり、すり減り、心もすっかりすり減らし、けれどこの先もっと良くなるにはずっと頑張りつづけなくちゃいけないのぼりつづけなくちゃいけない、上り坂を踏みしめ、頂を目指しうごめく歯車の群れ、するといちどきに隆起するアスファルト、やったぞ、のぼったぞ、新鮮な朝陽を光背にあかねさす歯車の網目、まだだ、もっと、もっと高く、脚立にのぼって高く神輿を担いで高く、そんな高みを目指すさなか不意に気づく、息ができない、手先が凍る、脚がしびれる、力が入らない、なのに空はまだ青い、真っ青、言葉通り青天井、上の上なんてなかった、だって頂上がないんだから、空が覆いかぶさっていたんだから。手先もないし脚もない体もない、歯しかない、歯、ギザギザの犬歯だらけの、それもいまや削れたつるつるの歯車が雨あられのごとく地上に降り注ぎ乱反射で黒一色のよだれくさい虹が空に架かるのはほんの一瞬、アスファルトはやわらかいから地面に当たるとあたり一面変な音、ぼすっ、ぼすっ、の腑抜けた合唱。

 かなり脱線してしまった。いまは一月十五日の深夜。書くたびに読み返し、書き直し書き加える部分がどんどん増えていくから、どうしても時間がかかる。一月も半分が終わってしまった。なにを書こうとしてたんだっけ。そうだ。
 ぼくは上昇志向を否定したい。もちろん、ぼくも一時期は「他人より優れていたい」と強く思い込んでいて、たとえば勉強であるとかスポーツであるとか、あるいは容貌であるとか、ありとあらゆる事柄を周りと比べて、そのたびに一喜一憂していた。勉強であれば内申点やGPA、スポーツならタイムや得点、容貌は……すこし難しいけれど、身長とか鼻の高さとか、数値化できる指標があればそこには必ず上下関係が生まれる。順序が生まれる。そこに順序があるからこそ、入試制度やコンペティション、さらには恋愛市場(この言葉すごく嫌い)が成立する。上下関係は生きていくうえで欠かせない社会構造であるし、上下関係を生き抜くうえで上昇志向は欠かせない心がけだ。でも、でもさあ。

 でもさあ、それってすっごくつらいことだと思う。なにかにつけて上と下とを神経質に気にして、追い抜け追い越せの挟み撃ちに生きるなんて。それじゃ「自分の上と下に誰かいる」じゃなくて「上と下に挟まれたのが自分」みたいに、他人に立脚した自分というか、存在が反転してしまうというか、自分がなんのために生きているのかわからなくなってしまいそう、というか、ぼく自身、なんのために生きているのかわからなくなってしまった。ロンパリ、と書くと差別になってしまうからよくないけれど、このごろのぼくはまさしく強度の斜視の限りない盲だった。何かを見ているようで何も見ていない。右目はビッグ・ベン、左目はエッフェル塔を見据えながら千鳥足で進むぼくの足元がイギリス海峡の潮で濡れることにも気づかないまま……。両眼は周りの景色を見るためだけじゃなくて、他でもない、眼の裏側、身体の内側にじんわり滲んで広がるあやふやな自己を厳しく見つめるためについている、と思う。ぜんぜん科学的じゃないけどさ。

 登ることは身を削ることだ。だから、ぼくは、ぼく自身がダメであると敗北を認めたうえで、種々の競争からの撤退を宣言し、アスファルトでできた山を下ることにする。そろそろと、足を引きずりながら、ゆっくり下ることにする。

 印象的な台詞をふたつ、思い出した。ぼくは演劇をやっているから、あらゆる場面のあらゆる人のさりげない発言を心に深く刻みつけ、収集する癖がある。具体的なシチュエーションの説明は省くので、各々の想像力でもって、以下の台詞の前後の文脈を補ってほしい。

「(質疑応答にて)卒論を先延ばしにすると、留年して、稼げるはずだったお金それも最初の数年じゃなくて最後の数年で稼げるはずだった給料が得られなくなるから、時間の面でも金額の面でもそれが無駄なコストになるってことです」

「(飲み会にて)留年、ってことは、つまり、おバカさんってことですか? TAやる人って頭のいい人だけかと思ってたあ!」


 記憶力に優れた方なら、もしかしたら、この文章の最初の方に使われた「井戸の比喩」を覚えているかもしれない。覚えていたら、ありがとう。覚えてなくても、だいじょうぶ。
 鋭い人だと、もしかしたら、井戸の比喩から村上春樹を連想するかもしれない。それは、正直、やめてほしい。冒頭を次姉に読ませたら、予想通り「あーむらかみはるきー」と言われた。やめてほしい。言葉は誰のものでもないのだから。もちろん、新人賞に応募するときには避けなければならない比喩ではあるだろうが。

 かれこれぼくは一年以上「書くこと」に向き合ってきた。そしてある程度、日本語を使えるようになった。日本語を使いこなすって、思ったより、むずかしい。なにせぼくは他ならぬ東工大生で、東工大生の文章の悲惨さはTAの経験からよくわかっているから、なかでもかなり伸びた方だと思う。でも、いいことばかりじゃない。言葉を知るたび、ぼくは暗く底のない井戸を降りていく悪夢にさいなまれる。本来、自分の姿を直接目にすることは叶わない。鏡に映る自分は光の反射を介した間接の姿である。けれど言葉を使うと、間接的にではあるけれど、直截の生々しさをもって自己の像が浮かび上がってくるようで恐ろしい。

 そこで、言葉について記された素晴らしい詩を最後に、ぼくをかたどる陰影を締めくくりたい。ひらがなとカタカナと漢字と、すこしの記号とアルファベットで描かれた陰影のデッサンを、借り物の言葉によって、ひとまず、ここに締めくくる。

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
 
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
 
あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
 
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
 
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる

田村隆一『帰途』

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