見出し画像

読書感想文のコツ

小・中学校の夏休みの宿題の中でも嫌われ者代表、それが読書感想文なのではないだろうか。夏休みも残りわずかという時期まで手を付けず、地獄を見た人も多いはずだ。ほとんど読みもせずにあらすじを長々と書いて終了、というパターンもクラスに何人もいた。

それに反して、私は読書感想文が楽しみな宿題の一つだった。楽しみであえて残していたくらいだ。それは読書が好きで、かつ文を書くのが好きということもあったけど、今思い返せば、読書感想文が得意だったから、というのが一番大きかった気がする。

どう書けば褒められるか、が分かっていた

言い換えると、褒められるのが分かっていたから、評価される読書感想文が書ける自信があったから、ということになる。当時そこまで明確に自覚していたわけではないけれど、なんとなく自分の中で、先生たち・大人たちの目に留まる読書感想文のコツをつかんでいたように思う。

冒頭で、ほとんど読まずにあらすじだけで読書感想文を仕上げる人がいる、と書いたが、私は、そんな読み込まなくても(極端な話ざっとページをめくるだけでも)ある程度読書感想文は書けると思っている。

私が考える”読書感想文のコツ”

私の読書感想文のコツは、下の2つのポイントを押さえて書くこと。
 ①特定のフレーズを取り上げる
 ②自分の実体験を具体的に書く

読書感想文が苦手な人がよく陥りがちなのが、作品全体を網羅した感想文にしなくてはと気負いすぎることだと思っていて。別にストーリーを追いかける構成にする必要はない。さらには、その作品の肝に必ずしも触れる必要だってない。例えば、主人公と母親の確執が肝となる小説だったとしても、読書感想文でそれに触れなくてはならないルールはないので、主人公と友人の何気ないやりとりを取り上げて感想文を仕上げたって何の問題もない。

読む人によって、最も印象に残る部分は違う。その人が普段どんなことに悩んでいるか、どんな経験をしてきたか、そういったことで感じ方は絶対に違ってくる。それに、小説の楽しみ方もそれぞれで、登場人物に感情移入する人、情景描写を大切に読みたい人、心地よい会話文を求める人…そうなると、必然的に浮かぶシーンはバラバラで当然なのだ。

少し真面目に語ってしまったが、何が言いたいのかというと、①特定のフレーズは本の帯に書かれるような重要なフレーズである必要はない、ということだ。作品内の重要度に関係なく、本当に自分にとって印象的だったもので良い。

取り上げるフレーズを定めたら、そこから②自分の実体験に結び付けていく。なぜそのフレーズが印象に残ったのか整理してみると、ピンとくる自身の体験が見つかりやすい。ここでもよく陥りがちなのが、ストーリーと同じような体験を出さなくてはと思い込むパターン。そんなルールはない。

例を挙げると、「大好きだった祖父が死んだ日の月は、今まで見たどんな月よりも美しくて、なんだか無性に腹が立った」という一文を取り上げて実体験を書くとき、別に大切な誰かが亡くなった話でなくても、部活の最後の試合で負けた話でも親友と喧嘩をした話でも、”月の美しさが自分の感情を逆撫でしてきたように感じた”という部分できちんとリンクする。(これは文章力も要するが)楽しみにしていたドーナツを妹に食べられた話、とか一見しょうもない体験だって、その人の中で結び付いたのならそれは確かに”読書感想文”と言えるのだ。

読書感想文が苦手な人へ

所詮読書感想文が得意な人のやり方だ、と受け入れがたい人もいるだろう。あえて読書感想文が苦手な人に向けてさらにコツを伝えるなら。
 ①と②の流れは逆でもかまわない

読書感想文は原稿用紙何枚分も文章を書くことになるので、それだけできっと億劫なはずだ。同じ書くなら、すんなり埋められるのが理想だ。だったら、自分がどんな体験なら一番ストレスなく書けるかを先に考えてしまえばいい。

部活の悔しい体験が書きやすいなら、青春小説を選んで主人公が試合で負けたシーンを見つけて、その中で一つフレーズを選ぶ。友人との日常的な体験が書きやすいなら、学園ものやコメディ小説を選んで会話文が続くシーンを見つけて、その中で一つフレーズを選ぶ。漠然とした将来への不安を実体験として書きなぐりたいなら、教科書に載っているような文豪たちの純文学をおすすめする(かなりそれっぽくなる)。

この方法の画期的かつ情けないポイントは、作品そのものを読む必要がないということだ。ほとんど読まずして、読書感想文が書けます。

私みたいな人へ

今も昔もあまのじゃくな私は、①特定のフレーズを取り上げる、で気を付けていたことがある。人が選ばなそうな、作品内での重要度が低いフレーズをあえて選ぶことだ。

そうすると、同じ作品で読書感想文を書く周りの人と簡単に差別化できる。自由図書ではなく課題図書で書くならば、この方法がベストだと思う。

あまりにも戦略的で純粋さに欠けるが、私はこの方法で毎年校内では代表に選出され、地区や県でほぼ毎年入選していた。実績が伴っていますので、本当に使えることは使えるのです、この方法は。

評価と引き換えに、子どもらしさは失っていた

驚きなのが、最近本屋さんで立ち読みした小説に、似たような感覚を持ったキャラクターが出てきたことだ(どの作品かピンと来る人もいるのでは?ちなみに私はタイトルを忘れてしまいました…笑)。私だけじゃなかったんだなぁ、とほっとしたような、悔しいような。

ただ、ここまで書いてきてシンプルに思うのは、子どもの頃の私は本当に、小賢しいやつだということである。読書が好きなら、素直に読書感想文を楽しむことだってできただろうに。”読んだ作品に対して感じたことを言葉にする”以上に、”それによってどんな評価が得られるか”が目的になりつつあった。もっと子どもらしくピュアであってくれ私。かわいげがないぞ。

でも、ただ大人に褒められたい、それだけで自然とこの力を身に着けたのだとしたら、それはそれである意味、まっすぐでピュアだと言える気もするような。とか自分で言っちゃダメか。

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,937件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?