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家族がみんな死んじゃったら

「家族が全員死んだら、まじで生きてる意味ないわ。後追うかもしれん。」
「やからみんな、家族持つんかな。」
「老後一人は寂しいとか、そういう問題ちゃうよね。」

これは、昨夜の妹との会話。医療ドラマが引き金になり、しんみりな夜になることが我が家では多々ある。

昨夜の引き金は、月10『ドクターホワイト』。
余命わずかの恩師の「生きられるものなら生きたい」という言葉に、研修医が懸命に治療法を探すシーンがあった。寝る間も惜しんで調べ物をする彼の姿に、周囲が心配して止めようとする中、一人の医者は止めることなくこう言った。
「ここで投げ出したら、後悔だけが残る。」

この言葉は医者に限った話ではなく、患者の家族にも言えることだと思う。

私は、父を高校生のときに病気で亡くしている。母も大学生のときに倒れ、一時生死を彷徨った。

父の病気に関しては、悔やんでいることしかない。父のためにしてあげられた、と思うことが一つもない。
だから、10年経った今でも、思い出すと涙が出る。10年経つのに全然立ち直れない。

あくまで想像だけど、もっと父のためにいろいろしてあげていたら、10年後こんなにも辛い・悲しい一色にはならず、もう少し穏やかな気持ちになれてたんじゃないかと思う。

父のときの後悔もあって、母が病気をしてからは母のやりたいこと嬉しいことを精一杯大切に生活しようと心がけている。それでも、父への後悔はまったく拭えない。他で補えるものではないのだ。

冒頭の会話に戻る。
私は今、母と妹が死んで一人になってしまったら、死んでしまうと思う。心が死ぬ、の段階でとどまるかどうかも怪しい。これは妹も共通認識のようだ。

大切な人。私にとっては家族。母と妹。それが、今の私を生かす唯一の存在になってしまっている。

何かを大切にしすぎるのって、危ういことなのかもしれない。

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