筋トレってすごいんだ

何年か前のこと。

あらゆることが楽しくなくなった。

鬱だったのか、軽いのか重いのか、何もわからなかった。

日々が暗かった。

陽は昇っているのに、一日中夜のようで、不満が塵のように積もっていった。

あの頃楽しかったことと言えば、、、もう覚えていない。

「人生長いな…」と思ったことを確かに覚えている。


そんな毎日だったもんで、体もまあ弱々しくなっていくよね。
何がきっかけだったのか、覚えてないのが悔しいけど、あのときの自分は筋トレすることを選んだらしい。

我ながらいい選択だ。

というか、そんなメンタルで筋トレが選択肢にでてきたのが不思議でならないがまあいいだろう。

筋トレといってもジムになんて通えないから、部屋で簡単にできるものしかやっていなかった。時間もせいぜい10分とかそれくらい。
腕立て伏せとスクワットを一週間くらい頑張っていたかな。
本当に、それは筋トレといっても最低限のものだった。

効果はそれほど期待していなかった。
ほどなくして体に、ではなく、メンタルに変化が現れた。

ちょっぴり行動力が上がっている??
なんだか…楽しい?

そう思えることが増えた気がした。

運動を毎日していくうちに、それは気のせいではないことがわかった。

「今日も筋トレやったな」「今日もできたな」「なんだかんだ毎日やれてるな」そんなことでいい。今日もできた自分をなんとか褒めていた。そうでもしないと、保てなかったのかもしれない。

それらの行動は実を結んだ。
暗かった日々に光が見え始めたのだ。

以前より、少し積極的になれた。少しの好奇心が芽生えた。
ひと言で言えば、元気になったのだ。

ありがとう、筋トレ。
今も運動せずに同じ日々を繰り返していたら、と思うと怖くなった。
これからも、この習慣を続けたいと思った。
自分には必要なものなのだとわかった。



やればわかる。
みんな、筋トレはいいぞ





さて、本題に入ろう。
後ろ向きな考え方かもしれないが、あるとき私はこう思った。
「人って、、脳内の反応で生きてるんだなぁ…」

筋トレや運動をすることによってドーパミン、セロトニン、テストステロン、他にも多数あるが、心のケアに良い影響を与えるホルモンが出るという。
自分をできるだけ褒めようとしていたのが、どれほど影響したかはわからないが、運動によるホルモンの分泌のおかげで、自分のメンタルが快復していたことに気付いた。
つまり、これまでに起きた嬉しい変化は全て脳内の信号の変化でしかなかったのだ。
前向きになれるタイプの物質が出てくれるなら、やることは筋トレや運動でなくてもよかったのだと思ってしまった。 

人間の?いや、自分の?
単純さが嫌になったが、これは変えようもない。
だから諦めた。

「それでいいじゃん。わかりやすくて助かる」
そのくらい楽に考えるようにした。

物事のプラスの面を見たあとにマイナスの面を見てしまった。
そのあともう一度、プラスの面を見た。
マイナス面がそれほど悪いことではないと思えた。

私がこのnoteで伝えたいのは『筋トレはいいぞ』ということ。

筋トレはきっと複雑だ。しかし、私の中では単純なものだ。

自分が少しがんばれば、きっと脳が少し応えてくれる。
自分がもっとがんばれば、きっと脳がもっと応えてくれる。
がんばった分だけ応えてくれる。それだけ。

過去の私のような人がいたら、「ぜひ」と勧めたい。
初めの一歩は怖い。二歩目もきっと怖いだろう。
三歩目は…四歩目は…

歩けば歩くほど、歩き易くなるはずだ。
自分のペースでいい。

なんだかまとまらないがここで終わり。

暗い日々を過ごしている誰かに陽が昇りますように。

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