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テクテク派閥#03|ふるまい

「貧乏やからって貧乏くさくなるな」と母に言われたことがある。今考えても実家の収入は最低限で明らかにお金はなかったけれど、母の生活力のおかげで「お金がない」と言われること以外で貧乏さを感じることは全くなかった。

愛情かはたまた親としての矜持か、ある種の自己防衛力を子に身につけさせようとしてたのだと思う。おかげで僕は高校までお金持ちのお家のお坊ちゃんだと思われていたし、大学に入って一人暮らしを始め、初めて自分で服を選んで買うまで「タイのスラムみたい」「限界家庭の中学生」などと言われることはなかった。(言った人たちは本当に反省してほしい。)ともかく、育ちがいいとはこのことなのだろう。

ただ最近は、育ちのよさを示す以上の意味があるように感じている。

大体一年前、学校にも仕事にも行けず、躁鬱病・ADHD・社会不安障害・睡眠障害で精神科に通っていた当時、何もかもがつらかった。あらゆる電話に出られず、LINEやメールの返信ができず、お風呂に入れず、生きていることが苦痛だった。死んだような顔で起き、もそもそと食べ物を胃に入れて、排泄したり、体が臭ったら風呂に入ったりして、ゲームして寝る。自分は無能で社会生活不適合者だと思っていた。当時はtwitterで「等身大でいいんだよ」「嫌な言葉を浴びせられて我慢しなくていいんだよ」「無理して働く必要ないんだよ」みたいな優しい言葉が飛び交っていたし、自分の実状と人格を鑑みて、最適なことをしようとしていた。「一本筋を通さなくては」「私とは」「何をすべきか」「どの文脈に在るべきか」といった問いや今まで生きてきた責任、、のようなものが頭のなかで堂々巡りしていた。

「貧乏やからって貧乏くさくなるな」はずっと心にあったとかではなくて、その状況で、同居人やディスコードの友人たちとminecraftをしていたときに思い出した。僕が勝手に建てた拠点、駅舎、6時間くらい掘り続けた丸い穴をみて、同居人が「(リアルの生活でも)別にレンチンがやりたいと思ったことやったらいいと思うよ」と言ってくれた。その時に、これまで頭にかかっていた汚くて濡れた重い雑巾がぺろっと取れて、髪の毛も乾かしたら風になびくんじゃないか?という気すらした。

つまるところ、自分がどういう生まれか、どんな環境で育ち、教育を受けてきたか、そして今どんな状況かというのは、自分が今からするふるまいに関係はない。お金がないからといって、みずぼらしい格好で外に出る必要はない。めちゃくちゃ頑張って社会学の本を読んだり、ピアノを10年以上やってたり、ジャズを勉強してたり、大学に行ってまで音響や映像を作れるようになっていたとしても、現場仕事をしたいならやったらいい。躁鬱病・ADHD・社会不安障害・睡眠障害を同時に患っていたからといって、家でじっとしている必要はない。眠くても、最近睡眠取れてなくても、もしくは明日朝早くても、夜散歩したかったら56km歩いてもいい。散歩に出たからって、10秒で帰ってきてもいい。

「貧乏やからって貧乏くさくなるな」一見見栄とも取れるこの言葉は、同居人の補助線があったからとはいえ、僕にとって大事なものになった。誤読っていいなと、初めて心から思えた瞬間だった。

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