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beyond scattered works|バラバラな仕事たちより(20220614)

最近あったいろんなことについて書く。

こういった文章で物事を伝えるのは昨今「くどい」「わざわざ読まない」と思われがちということを踏まえても、文章でしか伝えられないことはある。

考える注1ということについて、能動的に考えることはもはや行為であり前進しているが、受動的に考えさせられる場合、特にある恣意的暴力を行使された場合は停止以外に選択肢がない。《行為すること》の暴力性を排除するのは不可能に近く、暴力が顕然化されるか否かは受け手が伝え手を客体化する能力または《受けない》能力を有するか、行使することができるか否かに左右される(ガードまたは避けるコマンド)。

諸々の傾きを無視して職業選択の自由が成立していると仮定した場合、建設業の間口の広さ注2は言うまでもないが、それが建設業従事者を卑下する理由にはならない。人間が人間を卑下する時、卑下する人間自身が卑下される側になる状況を想像できていない、もしくは、少なくともその時卑下されない努力しか・・していないことの証左を堂々と掲げている。現場作業員を言語化するための要素注3は数えきれないほどあり、限りない多様性を実現する可能性を秘めいていると筆者は考えている。「ドカタ」注4と一辺倒に表現するにはあなたは人間を知らなすぎるのではないか?

8月から番頭として入社する方と一緒に作業をする機会があり、「うちの会社、いろんな人がいるよね」と話したところ、「RNCHN君は大人だからそう言えるけど、ただ癖強くて扱いづらいでしょ笑」と言われた。単純に「愛せるし、僕は愛している」という話だったのに。



//注釈//

  1. 筆者は高校生のとき当時恋愛関係にあった女性に「考えへん人嫌いやねん」と小林秀雄の『考えるヒント』を渡されたことがあり、25歳の今でもそのことを少し引きずっている。

  2. とはいえ、現場作業員を取り巻く環境は変化してきている。企業の直接雇用者または2次下請けまでしか入場や労働を許されない現場も日に日に増加してきている。

  3. 身のこなし・純粋な腕の力や腰の丈夫さ・段取りの巧さ・空間認識の仕方・計算の速さ・資本主義的計算高さ・コミュニケーションの取り方・クラフトマンシップの持ち方・安全に対する意識の仕方・素材や道具に対する愛、扱いの特異性・機械への強さ・歩き方・物の持ち方・箒の掃き方や物の置き方ひとつとっても人間の数だけある。数えきれないどころか認識しきれない。全て作業効率、ひいては自身の日当に関わってくるため、自身の生き方的な癖を否が応でも自覚させられ、毎秒判断を迫られる。

  4. 土曜日の仕事帰り、作業着で電車に乗っていると、乗ってきた高校生グループに「うわ、汚ね」と内輪ノリをかけられた挙句「土曜日に仕事とかかわいそー」「ドカタだけはなれねーわ」などと無意味な同情をされたので筆者は怒っている。(イヤホンをつけてたので聞こえないふりをしていた。ちなみに作業着は綺麗にしていた。こういうのは何べんも経験している。)また、ジャンプ+で連載中の『てるてる建設(株)』コメント欄にて「ドカタ」という言葉を使い建設業従事者を揶揄するコメントが目立っており、筆者は怒っている。

写真:東海道線か何かの乗り換えの時に撮った、階段にあったポスターの額縁。業者の剥がした跡が面白かった。

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