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後ろ姿美人なら、もういいだろ

ぼくは、好きな人やものに、一方的に熱をかけるけど、振り向いてもらえたことがほとんどない。
これは、恋愛だけのことを言っているわけではない。
とはいえ、ぼくの人生はいつも「片思い」ばかりである。

前のnoteにも書いたが、ぼくは最近、自分の人格や性格、人となり、人生についてよく考えている。
どう考えても、捻くれているし、残念ながら好かれるような感じではない。
とは言っても、今更そこを矯正できるとは自分でも思っていない。
だから最近、自分の原点を考えるのだ。
原点の考え方は2パターン。
自分の人生の中での出来事と、親戚など先祖の築いた人生。

曽祖父の弟の愛が空回りしていた

今回は、最近思い出した、先祖の築いた人生から「ぼく」を考える。

ぼくの曽祖父は、戦争で亡くなっており、曽祖母一家は戦後、曽祖父の弟一家と暮らしたそうな。(まだ終わらないよ)
その、曽祖父の弟(便宜上、おじさんと呼ぶことにする)の話である。

おじさんは、飼っていた猫を溺愛していた。
家で過ごす時間のほとんどを猫と共に過ごし、日々を幸せに過ごした。
もちろん寝る時も、ご飯の時も。

誰もが寝静まった、ある日の夜中のこと。
おじさんの部屋から、とてつもない叫び声と、声だけで分かる苦悶の呻き声が聞こえてきたそうだ。
「強盗でも入ったのか?」
「急病か?」
その叫び声で目が覚めた住人達は、恐る恐るおじさんの部屋に向かい、合流した。

襖を開けると、月夜に照らされて部屋の中が見えた。
「うう…」と呻くおじさん。
布団に目をやると、真っ赤に染まっていた。
血だ。
おじさんは怪我をしている。
襲われたのかもしれない。
恐る恐るおじさんの元に寄っていく。
ある者は箒を持ち、
ある者は鍋を持った。

布団を勢いよくバッと捲ると、
なんとそこには、うずくまるおじさんと、
そのおじさんの股間に噛み付く愛猫の姿があった。

おじさんは、とびきりの愛を注いでいたのに、その晩、金玉を失った。
何が猫の機嫌を損ねたのだろうか。
そんなこと誰も分からない。

おじさんに学ぶ

ぼくはこの話を思い出した。
おじさんは金玉の機能を失ったが、その後も猫を愛し続けた。
盲目になっていたのではない。
そんなところも愛していたのかもしれない。

見返りを求めるから、怒りが生まれる。
軋轢が生まれる。
ただ無性の愛は、与えているだけでいいのだ。

そう考えている必要があるのかもしれない。
所詮、自己完結し切っているのだ。
ぼくにそれができるだろうか。

後ろ姿美人が、振り返って残念な見た目だった時、人は悪く言う。
でも、後ろ姿だけでも美人なら良くないか?と思う。

満足の落とし所は、きちんと決めておくのだ。
背伸びは素晴らしいけど、背伸びを適度に。
ありのままで、身の丈にあったものを。

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