#10 承認欲求と睡魔と白と

3年ほど前から過眠症という病気に悩まされている。
過眠症とは読んで字の如く寝過ぎてしまう病気である。
不眠症という病気があるが、不眠症は眠れないことが顕著であることから周りにも伝わりやすく、日本でもある程度は浸透している病気なのだが
過眠症はいわば不眠症の逆で、学校の授業中、会社での仕事中などに急にフワッと睡魔が押し寄せてくる。例えそれが7時間バッチリ睡眠してきてもだ。
ちなみに私は酷い時はバスを待っている時に立ちながら居眠りしていた。

なので周りには「ただただ居眠りしている怠惰な人間」にしか見られない。
そのためイマイチ世間には浸透していないとネットで調べて分かった。
でも実際はちゃんと睡眠時間を確保したり早めに消灯したりなど病気を知る前の自分は無知なりに小さい努力を重ねてはいた。
(深夜ラジオを聴いていた日もあったが、自分を正当化していいなら長く寝ても短く寝ても変わらず眠かったというストレスや反動から夜更かししてしまった)
学校で寝たくないけど寝てしまう自分と周りからは居眠りする奴としか見られない自分。
同じ自分なのに、睡魔により生じる謎の二面性からのズレ。
そのズレに何度自分でイライラして腹立たしく思ったことか。

「いや、ちゃんと寝て来ましたよ!」って反論しても「じゃあなんで寝るんだ!」って言い返されて学校の先生の怒りを助長させてしまうのは目に見えていた。だから、特に言い返す気も起きずに下を向いて怒られることも多々。思えば人の顔色を窺って何手か先を読んで怒られないよう自分を押し殺すような行動をとるような性格を形成していったのはこういう過去の出来事が原因だったと思う。
おかげで古文と地理は本当についていけなかったし、特定の科目で寝てしまうことから自分は ”そういう奴” だと自分でも認識していた。


”そういう奴”から脱却出来たのはなんてこともないキッカケ、というよりは怒られたことがキッカケだった。
相も変わらず7時間は寝ていったにも関わらず眠い。で、ウトウトしていたら上司に怒られた。そして相変わらず下を向く。
ただその時だけは違った。
その後、席に戻りこっそりパソコンで不眠症でネット検索をしました。
そこで初めて関連ワードとして過眠症を知ることになる訳で。


不思議なもので過眠症を知った時は少しテンションが上がりました。
”そういう奴” という大きな岩のようなものが砕け散って目の前に港でも広がったかのような感覚。

承認欲求という言葉の意味を辞書で引くと「他人から肯定的な評価を受けたい、否定的な評価をされたくない、自分を価値のある存在だと思いたい、という欲求」と書いてありました。
症という字がついているのでネガティブな印象になりがちですが、病院で過眠症と診断されて安堵と高揚感で包まれました。

病気なのに何故こんな気持ちになったのか?と考えてみました。
おそらくですが、自分にとっての承認欲求が満たされた感覚なのでは?という結論にいたりました。
仮にもし何の病気でも無いただの寝不足です、なんて病院の先生に言われたら本当にどうしようかとその時は思っていたのだろう。

病院に行くまでは
ネットで調べて
検査が出来る病院を探して
手続きをして
日程が決まって
準備をして
1泊2日の検査をして
診断が発表される。
診断の瞬間なんて判決がくだされる瞬間のそれでした。

きっと「ここまでして検査をお願いしてるんだから、もう過眠症というカテゴリーに自分を当てはめてくれよ」「過眠症という自分なりに回答した答案用紙にマルをつけてくれよ」という変な承認欲求にまみれていたのだろうと思います。
安堵と高揚感は過眠症が分かってからの「じゃあ、ただ怠惰な人間じゃないんだ!取り除くべき要因があるんだ!」「ズレを軌道修正出来るんだ!」という思いから前に進めるだけの手がかりにたどり着いた感覚だったのかなと今なら分かります。

検査は先ほど、書いたように1泊2日の日程で行われました。
検査前日の夕方に病院に入り、夕食を食べて22時には就寝。
頭には脳の周波を計測する器具をつけられました。
翌日は朝ごはんを食べ、それから隣の真っ暗な部屋で眠り脳波を計測する検査。1時間ほど眠ったら30分休憩を4セットほど行いました。
宿泊した部屋も検査のために眠る部屋もテレビ、トイレ、ベットとシンプルな作り。
感覚的なものであれば ”白” という他ない。(実際、白が多かったからだけど)


話は変わりますが、ハチミツ次郎さんのnoteを課金して読みました。
内容は口外出来ませんが、強く胸を打たれた。
興味のある方はぜひ読んで下さい。

先日、東京ダイナマイトが漫才師としての活動を休止することを発表した。
そこに行きつくまでには自分なんかには計り知れない過程があったはずだ。

東京ダイナマイトの漫才は二人からにじみ出る威圧感やただずまい、ワードのチョイスや決して媚びないぞという意志表示をそのまま体現しているかのようで凄く好きだった。
遠い所に住んでいるので見にいける機会は中々無かったが、東京まで電車1本でいける距離ならお金を払って生でぜひ見たかった。


内容は言えないが、ハチミツ次郎さんは「過程」を大事にする人だった。
休止にいたるまでの経緯の道のりはあまりにも中身が詰まり過ぎていて。
そこまで詳しくないが
東京ダイナマイトの漫才は
ハチミツ次郎の生き方はロックだった。
一つお願い出来るなら過眠症の検査を1泊2日しただけの自分ですら感じたのだから、病院は退屈を減らせるように白を減らせないだろうか。


過眠症を知るまでの自分はただただ無知でしかなかった。
今は有難いことにネットがありそれのお陰で過眠症も知れた。
過眠症を知って以降は知らない事に直面する度にネットで調べるくせもついた。
承認欲求を高めたいならまずは己を知るべくネット検索という簡単な過程を経て人に話を聞く事に長けていこうと思う。
もちろんネット=承認欲求のためのツールでは決してないけど。
あくまで使い方の一つ。

人に否定されても別にいいと思っている。
その代わり頑として持っておくべきものは持っておこうと思う。
己を知り、感覚的な白を無くす。
それが今のちょっとした目標でありたい。

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