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なぜ自分を「全知全能の神」とでも思えるのだ

こちらの動画が先日からバズっているようで私も気になって見てみました。

なぜ挨拶することにそこまで敵意むき出しなのかが私にはさっぱりわかりませんが、確かにしない人が増えているなと感じるのも事実。
営業で外回りをする際、小中学生とすれ違うこともありますが、彼ら彼女らですら、知らない大人である私を見てとても気持ちのいい挨拶を投げかけてくれます。

なのにこれだけまぁまぁの大人が挨拶はいらないと言っているのです。

ですが確かに、私は周りの人間を見ていても、「あぁ、挨拶【ごとき】軽視してもしょうがないのかなあいつらは」という思考に落ち着いたのです。

※こちらを作成した後にご本人のポストが流れており、少なくとも「この方が挨拶をしない人である」ということについて大きく誤解がありました。大変申し訳ありません。

ですが、この先の私が感じたことと言いたいことに関しては変わらないためこのまま記載してみようかと思います。

片付けしないものたち

どこの会社でもきっとそうかと思いますが、私の会社では結構大きなオフィス用のコピー機が鎮座しております。

そしてデジタル化を進める昨今ではありますが、私の会社ではまだまだ紙の資料を持っての訪問が大多数であるのでとにかく大量に印刷します。

ですので大量にコピー用紙を補充します。コピー用インクの交換も大量に行います。

では交換した後の包み紙、利用済のコピー用インクはどうなるのか。

そのままです。少し歩けばゴミ箱があるにもかかわらず、コピー機の周りに乱雑に置きっぱなしにして自分の業務に戻るのです。

どうしても急いでおり、それを片付ける余裕がなかった…とかいう言い訳も言われそうですが、そんなもん周りに言ってから離れれば誰かは助けてくるのではないでしょうか。通用しません。

昼間お客さん周りでほとほと疲れて帰社した際にその惨状を見て、「ここ動物園かよ…」と悲しい気持ちになることは二度三度という頻度ではありませんでした。

論理不明で逆ギレするものたち

かといって、そういった状況を私自身放置し続けたわけでもありません。

ちょうどその場面を見てしまったときに、ある後輩に声をかけ、それについて話したことがあります。

私「あ、ごめん。ちょっといい?」
後輩「はい!なんすか?」
私「今コピー用紙を変えてたのって君だよね?」
後輩「そうです!」
私「ありがとう、包み紙とかそのままだけど…」
後輩「はい!誰か捨てると思って!」

えっ…!?
耳を疑いました。彼にとっては本当に「その場に置いとけば誰かが勝手に片づけてくれる」という認識でしかなかったようなのです。
誰がやってくれるっていうんでしょうか?お母さんでしょうか?笑

これは彼にとってもマズイことなのではないかと思い、その日は大切な食事会がありましたが彼に対して話をしてみることにしました。

途中から私も頭にきてしまい覚えていませんが、どうやら彼にとっては本気で自分がやっていることが間違っているという認識はなかったのです。

というか近くにいたスタッフに話しかけても彼の肩をもちます。
私の会社は比較的若いスタッフで構築されており、私も老害の一部になってしまっているのではないか…と思った矢先、思いがけない言葉が飛んできました。

後輩「わかりました、それについては謝ります。でも、あなたは例えば僕が誰かをぶん殴ったとして、それについて『僕にもそれなりの理由があったのではないか?』とかって推測はしてくれないんですか?

あ、ダメだこれ。
何かがプツンときました。

私の目の前にいたのは会話が通じない宇宙人であり、昨今の社会が生み出した自己重要感クレクレのモンスターだったようです。

すべてがどうでもよくなってしまった私は「そうですね。私が悪かったです。君の言うことがすべて正しいし口を挟んだ私がすべて悪かったです。すみませんでした。どうかこれからも誰からの言葉も聞かず自分にとって正しいと思う事だけを会社でしてください。でも責任は自分で取ってくださいね。」

それだけ彼に言葉を投げかけました。
彼は大層驚いた顔をしていましたがもうどうでもよかったです。

食事には彼の意味の分からない論理破綻の言葉を聞いていたおかげで1時間遅刻しました。そしてそのあとに生まれた結論が上記であったことが悔しい気持ちもありましたが、もうそういう時代なのかなとか諦める気持ちも出てきました。

彼は今でもよく電話口と切った後のお客様への口調を使い分け、クレームを乱立させているようですが自身の本当の問題には気づくことはないでしょう。


挨拶如き軽視するかもねってことと本当の問題

いろいろ思い出してしまいましたが、彼らのような考え方を持っていれば挨拶なんてしなくていいという結論になってもしょうがないのかなと感じます。

人によって問題の大小はあるかと思いますが、私にとっては「それだけ色々自分ルール作って気持ちよくなってんだから、挨拶くらいは適当にやるよね」って答えでした。

問題はその裏側にあると思います。
「挨拶すら軽視する若者が本当に舐めている社会の正体」は、一体どんな世界観なのでしょうか…

それが標榜されるのはいつの日になるのでしょうか。

私たちはとても不安ですが、果たしてどうにかしようがあるのかないのか…

とりあえず来たる日に備えて自身の身くらいは自身で守れるようにスキルは整えておこうと感じました。

彼らの困難はきっと彼らのママがどうにかしてくれることでしょう。

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