見出し画像

そもそも日記を書くことが苦手って話

どうも。
どうにかアウトプット…と言っていいかわかりませんが、自身の言語化を先月から続けています。
本業はエンジニアとかディレクターみたいな横文字の仕事なので、技術的な、もしくはビジネスパーソン的な内容を書きたいと思っていましたが、今は質より量を求めているので、まあまあなペースで書くことを意識すると毎回内容がある記事なんて書けないわけです。
なので、心に浮かぶよしなしごとをそこはかとなく書きつくっているわけです。つまり、日記みたいだなと。なので今日は日記について書きます。

小学生の頃に仲のいい友達と交換日記をしたことを覚えています。3人で回してたかな…
一番を担当した友達は交換日記らしい、内緒話や好きなアイドルの話を書いてくれてた気がします。読んでて面白かった。
私の番になって、なにを書こうかとその時なりに考えたんですが毎日会っている友達にここに書くことが思いつかず、なんか勢いで切り抜けるおもしれーやつを装って書きなぐりました。書き終えてすぐ「これはスベったなあ」と反省しました。自分に話題がない、つまんなって落ち込んだ記憶があります。
交換日記は程なくしてなかったことになりました。つまんなくてごめんね。

あと、日記とはちょっと離れますが交換日記つながりで一つ。
小学生時代は各家庭にパソコンとインターネット環境が普及しつつある時代でした。
親と共有ではありながらもメールという新しい情報伝達ツールを使ってみたかった私は同級生とメールアドレスを交換し、メール文通をしようと約束したのでした。
その日の夕方に同級生からメールが届き嬉々と開いたのですが、当たり障りのない内容と当時人気だった俳優の名前の読み方を間違って覚えていたという旨が書かれており、スーッと冷めた記憶があります。
今でいう、「Twitterでやれ」みたいな気持ちかな。「私に言ってどうする?」みたいな。そういえば、こういうどうでもいい話ができるのが友達だと言われたことがあるな。
当時の私はこれまた当たり障りのない内容を返し、その1ターンでメール文通は終わりました。あーあ。
今なら同級生も約束を守るため文章をどうにかひねり出したのであろうと簡単に推測ができます。ありがたく申し訳ない話です。はあ。

少し経って中学生の頃に日記帳を買いました。
なんだったかに触発されたんだったかな、近くの書店に売ってた黒革のかっこいい日記帳を買って勇んで書いて2日で辞めました。
誰に見せるわけでもなかったけど、本当に書くことが思いつかなかった。
確か学校のイベントで誰が何した、みたいな、事実しか書かなかった。
自分の気持ちを文章化するという、自分の気持ちに素直で、自分の気持ちを振り返る余裕が必要な高尚な趣味は持ち合わせておらんかったとです。

自分の気持ちを、という点では、読書感想文も苦手でした。読書自体は好きでまあまあな本の虫をやらせてもらっていましたが、感想を求められるのが苦手でしたね。
好きって言ってるんだからそれでいいじゃん、どこでどう思おうが勝手でしょ、くらいにはスれてました。ていうか、面白さとかどこが好きかとか聞いてくる人多すぎない?私のおすすめ、じゃだめなん??
書く文章自体はそれほど変じゃなかったと自負していますが、毎度フォーマットが固定化していて親に指摘された記憶があります。
誰に教わったわけでもないのにフォーマットに則って書けるって逆にすごくない?褒めてよ!
それならそれで観察日記とか、事実を書き起こしていくことならできるんじゃないかと今なら思いますが、当時は理科の実験とか宿題にならない限りする気が起きませんでしたね。
だって、誰が書いたって事実は変わらないし。いや観察眼とか、細かい気づきの差はあるかもしれないけど。
そこオリジナリティー求めるんかーい。

こうやって自分を振り返ると、自分の感性を否定される可能性を強く防御していたんじゃないかと、それっぽい理屈を添えて正当化できるのではないだろうか。いやー、どうかな。でも、周りには「つまらない奴」扱いされてもまあまあしょうがないな。諦めがつきました。
たまに昔の日記帳とかイラストを公開する方いるじゃないですか、私あれすごいなって思うんですよ。
あれって自尊心が十二分に保たれていて、過去の自分にも現在の自分にも納得とか、満足がないとできないことだと思うんですよね。
いやあ、あれができるくらい自尊心を大事に育ったら私はもっと朗らかな人間になっていたのではなかろうか。うーん、ブラッシュアップライフみたいにできたらいいけどね。あ、ブラッシュアップライフはTikTokの切り抜きでしか見たことないです。あはは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?