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新しい息吹を感じる舞台 ~劇団アラホシ・第一回公演「Be Born」

こんにちは、お久しぶりです。月邑弥生です。
今日は劇団アラホシさんの第一回公演「Be Born」を拝見するために天神山文化プラザさんへ行ってきました。

最近、若い劇団がたくさん生まれている岡山県です。
全部追いきれないのが申し訳ないなぁと思いつつ、久しぶりに新しい劇団の息吹を感じてきました。

以下、考察を踏まえた感想となります。
このお話の特徴を鑑みるに、おそらく観られた方それぞれにストーリーや世界の受け止め方が違うと思います。
またラストが2本あるということで…

私は3/10の昼回をもとに考察・想像をしております。
物語の解釈を上書きしてしまう可能性がある部分は、見出しに『★』をつけておりますので、避けていただければ幸いです。

読まないでも記事が成立するように頑張って書いてみます!!
(失敗したらごめんね)


劇団アラホシさんとは

劇団アラホシは、
代表が自由な演劇を追求するために集めた集団です。
キャリアもなし、人生経験もまだまだ。
だからこそ興る不特定多数の事件。
それこそが、この劇団の旨味です。

ハタから見れば、とても不器用で、もどかしいかもわかりません。
​ですが、水を与えすぎるとフニャフニャになってしまうので、
今はお水を控えめで、甘さもご堪能ください。

新米劇団アラホシ
​成熟までどうぞ末永くよろしくお願いいたします。

劇団アラホシ様 劇団概要より

↓劇団アラホシ様 公式WEBサイト

WEBサイトがおしゃで可愛い!!!

★Be Bornの世界観について

お話の内容を説明するのがとても難しかったりするので、ざっくりと。

全体の世界観は4階層構造の世界になっていて、上から順番に地上・黒服の世界・白服の世界(病棟)・ダストシュートの構造になっています。

4F 地上は天国(楽園)
3F 黒服の世界(大人たちの世界)
2F 白服の世界(子供の世界)
1F ダストシュート(死・地獄)

こういう階層構造です。
()内はこんな感じの概念で世界観を作っていたのかな?という推測部分です。

疑問形で書いてしまうのは、作中に置いて概念部分ははっきりとした定義が示されてないので、断片的に出てきた情報から想像していったためです。
もし解釈ズレあったらごめんね。
とはいえ、私が受け取った世界観としてはこんな感じでした。

世界観が構造化されてる物語ってSFみが強くて好きだったりします。
天国・現実・地獄っていう3層構造の世界観は、結構馴染みがあったりするけど、不思議なことにこのお話は4層構造だったりするんだよね。

黒服と白服が出てきて、それぞれのふるまいから「強者の世界」と「弱者の世界」という階層構造になっていると思ってたんだけど。
話を見ていくうちに、強弱ではないのではないか…?という線を見つけてきました。

今回お話するのは、そんな解釈の物語。

★幼年期から青年期へ

あらすじをめっちゃざっくり説明すると、
記憶を失った真っ白の状態で地上から落ちてきたドリー。
それを白服の世界に住む子供達が助け、ドリーは言葉を覚え、歩きはじめ、思考するようになります。
成長したドリーは地上を目指すため、階段の世界に行ったところ、性別不明の「モニター」という他者に出会います。
その出会いをきっかけに、「モニターの過去」に関わる事件が動きだし、世界はよかれあしかれ終末を迎える。
ざっくり説明するとそういうお話でした。

このお話が何を描きたいのかっていうのが、中盤くらいまでよくわからなかったのですが、階段の世界でモニターという他者に出会ったときに、「なるほど、子供が大人になる話か!」と閃きました。
階段を上るか否かで、ドリーとモニターは対立したり、苦しんだり、理由をつけて避けようとしていたりします。

物語の解釈がおいつかないので、ほぼ終盤頃になってやっと、世界はこうなっているんだ、と整理がつきました。

4F 地上は天国・楽園
3F 黒服の世界は大人たちの世界
2・5F 思春期の世界←NEW
2F 白服の世界は子供の世界
1F ダストシュートが死・地獄

つまり、生まれて・育って・恋をして・大人になっていく。
Be Bornという物語は、人生の前半生をメタ表現した舞台と捉えることができるのです。

そこがわかると、ドリーの回想記憶(映像で示されたイメージ図)にも納得がいってくる。
ドリーが思い出す記憶がなぜ地上ではなく、地下の子供部屋なのか?っていう部分はしばらくわからなくて頭をひねっていた部分でした。

ドリーが本当に地下世界に落ちた瞬間に生まれたのであれば、思い出す記憶は幼年期の子供部屋の記憶だよなぁ…。
と、劇場を後にする車の中で、ポンと膝うち。

読んだことはないんだけど、昔のSF小説に「幼年期の終わり」っていう話があったなぁと思いをはせてみたり。
多分、Be Bornのラストを見るに、これは「思春期の終わり」。

「人生は選択によって大人になるのではなく、何かを失うことで大人になるのだ」という富野節の文脈をうっすら感じていました。
いいよね、喪失によって子供は大人になるって物語。
甘くなくて、渋みがあって、私は結構好きな筋だったりします。
(※ガンダムは見たことがないんだけど、ガンダムの総監督の富野さんのインタビューでそんなことを言ってた気がするというあいまいな記憶)

モニターは全てを失った後に階段を上り始める。
子供に助けを求められて、地上に行く足を止める。

このラストシーンは、モニターが支える人を求め、自分のことを考えるだけの思春期を終わらせた象徴のように見えます。
過去の執着と安寧の関係性を捨てさせられたことで「人を助けることができるかもしれない大人」になったと受け止めることができる。

ああ…劇場の…席の上で気づけていれば…もっとアンケートでフィードバックできたな…ああ…悔しい…orz

★残酷な真実があるとしたら

舞台で描かれる話は基本的には優しく・美しいです。
けれど、地下世界を舞台にしていますから、非人道的な残酷さを持った社会構造になっているはず。

というか、書き手さんが意識してるかどうかは別として、遺伝病を抱えた病棟を地下に置くというセンスがある方です。
エピソードやヒントをつなげば、もっともっと残酷な世界の真実を手繰りよせられるのではないかと思い、悶々と考えていました。
他人の作品世界に入り込んであーだーこうだ考えるのは、少々ぶしつけな行動だとは思うのですが。

これを伝えたら、面白がってくれる人がいるんじゃないかな?と信じて書いちゃうことにします。

1Fのダストシュート・2Fの病棟世界の資源状況・3Fの為政者が下した不可解な判断の3点をヒントにしながら、この世界のより残酷な真実を(勝手に)考察していきます。


Be Bornの世界では、地上を目指す調査隊を組むというエピソードが出てきます。
このエピソード、結構闇が深くて面白いなぁと思っていました。

地上を調査するためには軍人を使うプランもあったのですが、軍人を派遣することに黒服の世界の偉い人が反対します。
軍人の変わりに病棟に住んでいる「重病者たち」を使って調査団を組織して地上を目指すプランが採択されます。

このエピソード、闇が大変に深いです。
地下世界に暮らしている人達にとって、食料・水・場所のコスト管理は大事な要素です。
彼らは「地上を探すため」ではなく、「口減らしのため」に地上に送られた可能性が高いんですよね。

物語の中で、病棟世界で「水が足りない」という描写がありました。
水が社会にいきわたってないのであれば、当然、食料についても同様です。
また地下という世界の特性上、場所のリソースも限られてくる。

物語の中で病棟世界には水が足りないという描写があったのですが、おそらく水も食料も乏しい状態なのだと思います。
だから白い服の子供達は「楽園たる地上」に夢を見る。

しかし、おそらく資源が困窮しているのは白服の世界だけで、黒服の世界にはまだ資源の余剰があると考えていいと思います。

黒服の世界の偉い人達は、社会が安定しているから、地上の調査作戦については消極的。
運がよければ見つかったらいいなーくらいの「どうでもいい世界」。

かつ、ダストシュート(地獄・墓地)の世界には、数多くの人間がすでに埋まっている状態であり、飽和直前なのかもしれません。

溢れる前に、外へ出そう。

もし為政者が本当に楽園を欲しているのであれば、社会的に生育コストが最も高いかわりに成功率が高い「軍人ユニット」を出すのを渋るわけがないのです。

「病人ユニット」たちを地上に送るのはなぜなのか。
為政者は楽園を必要としていないから。
死体の廃棄所になるダストシュートが満杯になる可能性を危惧しているから。

この2点を補助線に入れると、「病人を地上に向かわせたエピソード」に信憑性が出てきます。
ただ、残酷すぎる描写ではあるよねぇ…。

このお話の輪郭がはっきりしなかったのは、こういった社会構造の残酷さを描かなかったからなのかなーと思いました。

ただ、この構造の残酷さを描くことで、2人の研究者の指針の違いに触ることができたんじゃないかなぁとも思います。

人を救って楽園に行くのか。
人を犠牲にして楽園に行くのか。


せっかく対極にいる研究者同士なので、コンプレックスによる存在の後追いではなく、指針の違い・信念の違いで物語の軸がつくれたかもなーと思ってみたり。

まあ、この線で解釈を作っていくと、「薬の調合変えて病人を全部なくして、リソースを解放する。そして、地下帝国を楽園にする」という筋で話がつながっちゃうので・・・これはこれでえぐさがある。

地上を目指したい、という欲求にまつわる理念の相違があれば、対立軸なり葛藤なりがより分厚くなったのかもなぁ…。

しかし、物語の中で研究者の一人は死に、もう一人は大人の世界にいまだ留まっていました。
二人とも物語中で楽園にたどり着くことはできませんでした。
もしどちらかが楽園にたどり着いて身を灼かれていたなら、また異なった描き方ができていたのかも。

青年期に必ず一度は体験する「必要悪の是非」。
それをどう受け止めるかで二人の研究者の結末が変わっていたら、ドリーはなぜ地上を目指すのか、モニターはなぜ階段を上らなければいけないのか?に、意味をもっと含ませられたかも。

ただお話で直接的に描くと、受け止めきれない人がいるかもしれないと、私でも躊躇する内容です。
描くとかなりヘビーな話になっちゃうし、ショッキングなシーンには絶対になってしまう。

私が少々年齢を重ねるにつれ、過激でショッキングで、頭ぶん殴られるアートが大好きな嗜好が育っているだけで!!

そういう激物的な刺激を避けて描く物語が悪いと言いたいわけじゃないんだ。お許しあれ。

「いいなぁ!」と思ったシーンについて

Be Bornはビジュアル全体が凄くアート的で好きでした。
没個性だけど社会構造を表すような衣装、死後の地獄を思わせるダストシュートの世界、ドリーの回想を表す手書きの絵の世界。

平場のシーンはじっくり芝居が見れるように視覚効果を削ってあって、ここぞという時に照明や映像を使って効果的に場面を見せる演出。
これは本当に素敵だったなぁと思いました。

ドリーの深層心理の成長を表す、ライトを照らす探索隊の表現も結構面白くは感じていて、ストーリーラインと合致出来ていれば、もっと効果的に面白く見えただろうなぁとは思う。

視覚効果に関しては全体的に「お客さんに何を見せようか?」と頭をひねって考えていたんだろうなとは感じていて、野心的な試みが見えて面白いなぁと感じました。

アラホシさんの今後、めっちゃ楽しみです

SF×アートアプローチ。
描こうとしている題材自体は普遍のテーマで、難しすぎない。

舞台で演じる物語のテーマを難しくしすぎない、って。
実は簡単なように見えて、めっちゃ難しいんですよ。
だって、似たような話の類型があちこちにあって
「ああ、これもできん」「ああ、これもやられとる」って考えちゃうから!!

でも、アラホシさんの題材は20代の大人にとってはとても身近な題材だった。
演出はシンプルかもしれないけど、手が混んでいて
「久しぶりに演出効果で映像効果を上手に使ってる団体さんがいたぁ…」って、感動したりもしてました。

メタファーから物語を立てていくっていうアプローチ、個人的にめっちゃくちゃ好きなので、これからもたくさんの作品を作っていってくれたら嬉しいです。

演出さん・脚本家さん・役者さんたちがお互いに切磋琢磨していくためには、とにかく作っていくことしかない!

沢山作って、沢山挑戦して、いい作品をどんどん届けてくれたら嬉しい。

岡山の片隅でそんなことを思っています。

劇団アラホシさん、旗揚げおめでとう!!!
めっちゃ記事を書き散らしてしまったけれど・・・誰も傷つけてないといいんだけれども…!!!(まじでそれが心配)

これからも作品を作り続けてください。
楽しみにしています!!!






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