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牡丹灯籠と牡丹燈記で見る「女性の幽鬼」

こんにちは、月邑です。

日本三大怪談の牡丹灯籠の朗読配信をいたしました。

田中貢太郎著「円朝の牡丹灯籠」を朗読用に再構成しております。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/4950_16630.html
(青空文庫:田中幸太郎の小説「円朝の牡丹灯篭」)

元とした作品のお話の筋を大幅には改変しないよう配慮しておりますが、万が一、権利者様のお申し出があった場合は削除させていただきます🙇‍♀️

さて、今日のお話は「牡丹灯籠」について。
日本三大怪談と呼ばれる牡丹灯籠ですが、その話の成立が四谷怪談・皿屋敷と異なる出自になっていることはご存知でしょうか。

1.中国の小説から産まれた「牡丹灯籠」

田中貢太郎の題名にも入っている円朝と言う人。
牡丹灯籠は、大落語家・三遊亭円朝がさまざまなドラマを組み合わせ、複雑に絡み合う人情物として作り替えたのだそうです。

元となったのは中国の怪異小説・牡丹燈記。
読んでみると大筋の流れを追っていることがわかります。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/1636_13110.html
(青空文庫:田中幸太郎の小説「牡丹燈記」)

落語も文字として残っているのですが、これがとっても複雑!
https://www.aozora.gr.jp/cards/000989/files/2577_38206.html
(青空文庫:三遊亭圓朝 「怪談牡丹灯籠」)

へっへっへ牡丹灯籠を朗読でやっちゃうんだぜ…と、最初に開いたのがこちらの落語版・牡丹灯籠でした。
こっちを呼んで落語や演劇という形じゃなきゃ再現不可能な大話じゃん!
とっても一人じゃ作れないよ!

…と思って、田中貢太郎の小説・牡丹灯籠を朗読した次第でございます。

田中貢太郎は話の大筋だけを拾って「円朝の牡丹灯籠」という小説に落とし込んでいます。


落語や演劇の出自を持つ古典怪談を朗読しようと思ったら、田中貢太郎さんの小説に限る。
ちなみにすでに配信中の四谷怪談・皿屋敷・牡丹灯籠、どの朗読も田中貢太郎さんの小説を元にさせていただいております…!

【stand.fm 怪談朗読チラウラ配信ページ】


2.お露さんと麗卿さんの違いについて

牡丹灯籠のヒロインはお露さん。

元となった牡丹燈記では、麗卿さんというヒロインがいます。

この二つの話は「恋をした男性につれなくされたことを恨み、あの世へ連れて行くという話」なのですが、それぞれの作品でヒロインの性格が異なります。

まずは原典となった牡丹燈記の麗卿さん。
麗卿さんは年下の下女を連れ、灯篭祭をみに来ていた喬生君をナンパして家に連れて行きます。

月が傾いて往来の人もとぎれがちになってきた。それでも喬生はぽつねんと立っていた。軽い韈くつの音が耳についた。彼は見るともなしに東の方へ眼をやった。婢じょちゅうであろう稚児髷のような髪をした少女に燈籠を持たせて、その後から若い女が歩いてきたが、少女の持っている燈籠の頭には、真紅の色の鮮やかな二つの牡丹ぼたんの花の飾がしてあった。彼の眼はその牡丹の花から後ろの女の顔へ行った。女は十七八のしなやかな姿をしていた。彼はうっとりとなっていた。
 女は白い歯をちらと見せて喬生の前を通り過ぎた。

引用:(牡丹燈記・田中貢太郎)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/1636_13110.html

ご覧の通り、見入っている男に気づいて、きちんと誘惑している描写まで入っています。
なかなか大胆な女性ですね…!

一方、お露さんはというと、

「伴蔵、ちょっと此処ここへつけてくれ、往ってくる処ところがあるから」
 と云って船を著つけさして、陸おかへあがり、耳門くぐりの方へ往って中の容子を伺っていたが、耳門の扉が開いているようであるから思いきって中へ入った。そして、一度来て中の方角は判っているので、赤松の生えた泉水の縁へりについて往くと、其処に瀟洒しょうしゃな四畳半の室へやがあって、蚊帳かやを釣り其処そこにお露が蒼あおい顔をして坐っていた。新三郎は跫音あしおとをしのばせながら、折戸の処へ往った。と、お露が顔をあげて此方こっちを見たが、急に其の眼がいきいきとして来た。

引用:円朝の牡丹灯籠
https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/4950_16630.html


待ってる!!!!
お露さんは夢の中での逢瀬を待っている!!!

二人の「主人公と出会うまでのシーン」の在り方で、それぞれのキャラクターの性格が描写されています。

これの性格の違いは、二人の性質の違いに通じるものがあります。

麗卿さんは高位の幽鬼。
(実際、何匹かの邪鬼を従えて登場するシーンがあります)

お露さんは因縁に囚われた霊魂。

存在よ違いが主体性の有無に絡み、キャラクターの性格の違いとして現れているように思います。

お露さんは基本、お米さんという女中とセットで現れます。お米さんはお露さんを守り、彼女の願いを叶えるように行動を起こします。

牡丹燈記では麗卿さんが行動を起こすのですが、牡丹灯篭ではお露さんに変わってお米さんが行動を起こすのです。

この、主体となるお露・麗卿と下女(手下たち)の主従関係に注目すると、筋が同じお話が違う国で語られた結果、ヒロインがどのように変遷したのかを知ることができてとても面白いポイントなのです。

3.女性が主体になれた中国と、主体になれなかった日本

中国では唐の時代。
中国史上、唯一の女帝・則天武后という女性が天下を統治した歴史があります。
中国三大悪女とか言われている彼女ですが、なかなかの策略家。
なかなかえっぐいこともたくさんやってるんですが、唐というでっかい国を皇帝として20年統治した優秀な人でした。
(垂簾政治時代を含めると確かもっと長いはず)

このほかにも、中国の皇帝の妻や、妾になった女性は多かれ少なかれ、政治的な手腕を発揮することがありました。
楊貴妃なんかが代表例で、唐の玄宗皇帝に嫁いだとたん、溺愛されまくって一族を重臣に抱え込んでいます。

一方、日本。
女性天皇の存在感が薄いといわれている私たちの国でも、多くの女性天皇が即位しています。
有名どころで推古天皇・持統天皇のお二人が最も有名ですね。他にも、8人の女性天皇がいたことがわかっています。
推古天皇から始まった33代〜48代の間で6人の女性天皇が即位しています。だいたい8世紀あたりのことなので、平安時代に入る前のことですかね。
その後、江戸時代に入るまで女性天皇は生まれていません。

単純に二つの国を比較すると、女性の統治者が君臨した年月でいえば日本の方が長いです。

しかし、天皇という地位が、特定の時期以外は統治者として機能していないことの方が多いこと。
そして、血筋継承での戴冠が原則なので、「女性だって国を統治した時代があったんだぜ!」というのを日本では言いにくいのかも。
その違いが、女性感の違いに関わってきているのかもしれないと思います。

4.お露さんはちょっと狡い女? お米とお露の異常な関係性

牡丹灯籠で気になったのが、お露さんがとにかくお米さんに依存していること。

話を端折ったときにそうならざるを得なかったのかもしれませんが、基本お露さんって人と交渉するのを全てお米さんに任せているんですよね。

新三郎の家に泊まる時も、伴蔵に札を剥がして欲しいと交渉する時も、話はお米さんが全てまとめています。

このお米さんという人の行動が実に謎めいています。
いくら下女といえど家を追い出されてお金がない、念仏唱えてばっかりのお露さん。
普通であれば、お金払えないなら付き合ってらんないわよってなるはずなんです。

この二人の関係は、どうにも謎めいています。

しかも、お米さんは死んでしまったお露さんの後を追って自殺をしてしまうのです。
「いくらなんでもお露さん好きすぎて。尽くしすぎて、この人やばいでしょ」と思わずにいられないエピソードです。

主従の関係は、あくまでも利害の一致によって生まれる雇用関係です。家を勘当されたお露に付き添って、お米が町に一緒に降るというのはとっても不可解な行動です。(たとえ幽霊の戯言だとしても)
お米の雇い主はお露の父であるはず。

その点を考えても、お米の行動は謎なんです。
だって、お露が新三郎と一緒になりたいっていったとたん、忠義を立てているはずのお家に背く行動になるんですよ。
しかも、お露は一人娘。その恋路を応援するのはいくらなんでも変すぎる!

この二人をみていて、清少納言と中宮定子の主従関係を思い出しました。
この二人も歴史上、なかなか密接な関係です。
清少納言は定子に仕えることに喜びを感じ、定子の傍で彼女を助けました。
しかし、そんな清少納言も定子の後追いはせず、定子が生きた一時代を華やかに書き残すことに注力をました。
やはり、お米さんとお露さんの関係はただならぬ匂いがします。

しかしお米さんは、一体何がしたかったのでしょうか?

お露さんのためにと動いているのはわかるけど、どうも変なのです。

本当にお露さんを思っているなら、3世も4世も前から恋慕の情に絡め取られて輪廻するお露さんを成仏させてあげるのが相手の為。
新三郎への執着や未練を切ることが、お露さんの幸せにつながるのは明白です。

たしかにお米さんは、作中で新三郎を諦めようというセリフはを言ってます。
言ってはいるんですが…この言い方が実に。
実にいやらしい。

お嬢さま、昨夜のおことばと違って萩原さまは、お心変がわりあそばして、あなたが入れないようにしてございますから、とてもだめでございます。あんな心の腐った男は、もうお諦あきらめあそばせ。

引用:田中貢太郎 円朝の牡丹灯籠
https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/4950_16630.html

昨夜、決して見捨てないでほしいと新三郎とお露は約束を交わしています。
お米さんはそんな昨夜のことを知っています。なんせ目の前で見てるんで。

お米さんはあえて、「昨夜のお言葉とは違って」と、お露さんに昨日の約束を思い出させるようなことを言うのです。気遣うのであれば、前日の約束に言及する必要はないはずななです。
でも、まるで思い出させるように執着させるように、こんな言い方をする。

そんなことを言われちゃったお露さんは

あれほどまでにお約束をしたのに、変りはてた萩原さまのお心が情けない。お米や、どうぞ萩原さまに逢わせておくれ、逢わせてくれなければ、私は帰らないよ。

引用:田中貢太郎 円朝の牡丹灯籠
https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/4950_16630.html


と、言うのです。
泣いて、ねだるように懇願するのです。お米に。

お露が合わせてくれねば帰らぬという条件取引をするのはここだけ。

新三郎には、お母さんからもらった香箱を私だと思って持っててねとか。あなただけを夫と思ってるから見捨てないでねとか。
とってもいじらしい事ばかり言う。でも、この箇所だけは、子供のように自分の要求をねだり、訴えます。

私がお米だったら、「気が済むまで泣いたら帰っといで」と見捨てて帰るところです。
が、お米さんはこのお露の願いを叶えるために、隣の家の伴蔵の家に連日通って、お金まで用意して、お露の願いを叶えます。

そして

さあお嬢さま、今晩は萩原さまにお目にかかって、十分にお怨うらみをおっしゃいませ。

引用:田中貢太郎 円朝の牡丹灯籠
https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/4950_16630.html

なんてことを言うんですよ。

こっわ!!
お米こっわ!!!

どう考えてもお露の執着心を煽っているんですよ。

正直、お露よりお米の方が怖いんじゃ!!

5.お米さんは一体何者なのか

作中でお露は、新三郎の魂を追って輪廻転生しているという描写があるのですが…。

実にこのお露という人と新三郎の出会いそのものが謎に包まれています。
新三郎と会ったのは夢の中。

次にあった時はすでに幽霊。
お露の存在自体は作中に明言されていますが、新三郎が現実のお露に出会ったかどうかは、作中通して謎のまま。
新三郎の魂を追いかけているのであれば、二人が現世で会ってないというのは非常に不可解です。

お露さんが輪廻に囚われているわけではないのでは…?

と、ふと思いました。

お米はまるでお露を、チョウチンアンコウのピカピカするところみたいに操っているように見えるのです。

主従が反対になってるよね?と。
まるでお露という魂を誘うように、新三郎や伴蔵の行動を誘導するように立ち回ります。

人を誘うのは、怨霊がすることではありません。
お岩さんも、お菊さんも、人が悪いことをしたら報復はするけど、決して人を誘って悪道に落とす行動はしない。

お米さんは、怨霊ではない、別の何かなのではないか。
この怪異の元凶はお米さんなんじゃないか?と思うのです。
神仏の類なのか、怨霊を導く術師の類なのかはわかりません。
ですが、物語を考察していくと、おそらくこのお米とお露の主従関係は、物語で提示されるお嬢様と下女の主従実態とは、真逆。

お露さんはあくまでも使役される立場なのではないか、と思うのです。

あれ、この関係って…

なんか天皇家と統治機構の関係に、にてませんかね?
(こじつけ)


6.中国の小説を日本っぽくするために

円朝さんがこの主従の関係をあえて入れ替えたのは、中国の小説を日本の文化に馴染ませるために行ったことだと思うのです。

円朝さんが活躍した江戸幕末から明治は、天皇に政治を返すべきかどうかという尊皇攘夷について人々が関心をよせた時代でした。

日本は江戸幕府の徳川家という天皇と似た政治機構をとっていました。

徳川家と天皇家は、江戸という長い時代を通して血筋というものが価値をもってしまい、同じような仕組みになってしまいました。

そこから倒幕され、次は官僚制の議会統治へと変化していきます。

頭を天皇に戻して、官僚という存在を表に出し、責任を分散。この時代から行政や官僚が表に立って、統治をしていくという政治の仕組みが出来上がってきました。

お米が力を持つこと、主体的であること。
そして、お露とお米のまるであべこべになってしまったように見える主従関係は、当時の背景を考慮するとなんとなく納得できるのです。
お露の願いを叶えるという大義名分を抱き、お露を汚さないように交渉して行動。
そして、お露を導き、人を支配する。

お米さんがお露さんとどうしてこんなに1セットなのか。
どうしてお露さんが自分で動かなかったのかという行動原理になんとなく理屈をつけられる気がするのです。

円朝さんは落語家さんですから、当時の人々の社会感覚を一番ご存知だったでしょう。
中国の小説を原典にもつ牡丹灯籠が、人々に愛され、今も「日本三代怪談」の一つとして君臨するのは、ひとえに円朝さんの徹底したローカライゼーションによって生まれたお話だからこそなのでしょう。

いやぁ…

凄い!!!
(語彙力を失うやつ)


※あくまで現代を生きる一般人の考察です。きっといろんな読み方がある本なので、ぜひ皆さんもお楽しみいただければ幸いです!

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