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恋人的女友達とアイデンティティ形成|社会不適合と希死念慮 【ゴーストワールド再上映感想】

ポッドキャスト「恥を抱きしめて」#23「恋人的女友達とアイデンティティの形成|社会不適合と希死念慮【ゴーストワールド再上映感想】」の後書きです。

今回は再上映されている映画「ゴーストワールド」を観る中で気になった、「恋人的女友達とアイデンティティの形成」、「社会不適合と希死念慮」について自分の経験をあげて話してみました。

この映画を夢中になって観ていたのは20歳前後の時。
当時の自分は主人公のイーニドに自分を重ねており、この映画は自分のことをわかってくれる。肯定してくれる。と感じていました。
10年ほど経った今、自分はその時とはずいぶん違うところにいるのだと気づきつつ、当時の感情や状況をありありと思い出して泣いたのでした。

学生時代、排他的な二人だけの関係を築いた女友達は、自分の分身であり、自分を知っていったり肯定するのに必要な存在だったなあ。
しかし一方で、常にその関係には終わりがちらついていて、社会に出たり恋人ができる過程で、破滅的に二人は離散するんだよなあ。

また社会人になるというときに、自分だけみんなのように上手に足並みを揃えられず、居場所がなかった。
全ての選択肢を選びたくなくて、そんな時に引き寄せられる「死」という選択肢があったよなあ。
そんなことを思い出しながら詳しく話しています。

あらすじ

高校を卒業したものの、進路も決めず好き勝手に過ごすイーニドとレベッカ。新聞の出会い系広告に興味を抱いた彼女たちは広告主を呼び出す。その正体はレコード・コレクターのサエない中年男。イーニドはそんな彼に共感を覚えるが……。

映画ナタリー

イーニドと自分の共通点

当時自分とイーニドを重ねていた私。
共通しているなと思う点を並べてみました。

<イーニド 高校卒業前後>
・恋人のような関係だった親友とすれ違ってく 
・進路がない 仕事に馴染めない
・実家に居場所がない 母不在で父の恋人が嫌い
・親友の方がモテる
・ちょっとした出来心で信頼を失う
・居場所を求めて中年のコレクターに夢中になる
・バスに乗ることを選ぶ(死を連想させる)

<自分 大学卒業する頃>
・恋人のような関係だった親友に裏切られる
・就職活動ができなかった お先真っ暗
・実家に居場所がなくなった 父は働け、母は育児終わった〜、兄は結婚
・過食症になって見た目が醜かった
・大恋愛が失恋に終わった
・自分を注いできたサークルに居場所がなくなった  
・自分で作ったバンドの関係もボロボロ
・死ぬことを選ぼうとした

高校卒業と大学卒業という年齢に若干の差はあるものの、どちらも学校生活から社会人への移り変わりのタイミング。
その大きな変化の時に、親友、仕事、実家、見た目、恋愛、コミュニティ どこにも居場所がなくなり、どんな選択もとりたくないと追い詰められる。
その時、死を選ぼうとしてしまう。というところに共通点を見出していたなと振り返ります。

恋人のような女友達とアイデンティティ形成

劇中ではイーニドとレベッカという恋人のような女友達が登場しますが、私にも20歳前後で2人の恋人のような女友達がいました。(別時期です)

”恋人のような”というのは
・ずっと一緒に時間を過ごしている
・人に見せないものまで見せ合うような排他性
・自分の分身かというほど近すぎて傷つけあったり、依存してしまう 
という意味合いで使っています。

二人は合わせ鏡のように同じ部分を見つけあい、影響しあい、同じところと違うところで自分を確認し合い、安心したり傷つけ合います。  

いつも一緒にいるものの、恒久的な関係ではない予感がずっとあり、最終的にどちらかの恋愛関係が進み、進路が食い違うことでバラバラになりました。

そして他の友人関係のような「ちょうどいい距離感の仲良しな友人」というのにも戻れず、破滅的にさようならをしたのでした。
そんな意味合いで私の中でその二人は「元恋人」のような位置付けで心の中に残り続けていて、思い出すたびに甘酸っぱさとほろ苦さを感じるのです。

劇中のイーニドとレベッカが、二人だけのコミュニケーションルールみたいなのを楽しんでいる様子も、そのような関係からすれ違っていく様子も、当時のことを懐かしく、しかし悲しく思い出させて涙が止まらなかったです。

(ラジオでは詳しく二人それぞれのことを話しているので、よかったら聴いてみてくださいね)

社会不適合と希死念慮

劇中では卒業後、実家にも居場所がなく仕事もうまくいかないイーニドと、すぐに仕事に馴染んでいそいそと自立の道を進んでいく親友のレベッカが対比的に描かれます。

自分も卒業する頃は、居場所のなさから4年生を丸々卒論に注ぎ込むことで孤独を埋め、自分の存在意義を見出していました。

残業が前提なことに納得がいかなかったり、リクルートスーツを着たくないと思ってしまったり、そういったところを飲み込めずつまづき、就職活動を一切できなかった私。

「だるいよね、くだらないよね、音楽が最高だよね、社会なんてね、」
とか言っていた先輩たちもみんなしっかりと進路を決めて進んでいく。
いつの間にかインターンをして説明会に行って身だしなみを整えて何社も面接を受けに行っている同級生。

そうかみんなはしっかりその波に乗れるんだ。

卒論後の予定が真っ白だった私は急速に社会に馴染んでいく周りに戸惑い、選びたい選択肢のない中ふわふわとしながら居場所のなさに絶望していました。

さて今回久しぶりにゴーストワールドを見ていると最後の展開が自殺の描写のように思えました。

〜最後の展開〜
廃線になった街の路面バスでバス停でずっと待っている老人男性。
もうここにバスはこないよとイーニドが教えるが、待ち続ける男性。
ある日彼がバスに乗り込むのを見かけたイーニド。
行き先がなくなったイニードも最後バス停でバスを待ち、やがてバスに乗り込み遠くへ消えていく。

卒業する頃の自分はほぼ寝たきりの日々を過ごしており、まさに行き場もなく、死ぬことが正しく感じられていました。
ある日死にに行こうと、大事なぬいぐるみをリュックに入れ、家をでて行きました。
最寄りの駅に着くと人身事故で電車が止まっており、なんとなく思いとどまったのでした。

その後のことはラジオで話していますが、死ぬという選択を取らなかったのは本当にたまたまだったなあと感じますし、イーニドは確実に自分の中にいるなあと思うのでした。

地に足のついた現在

現在、自分には恋人のような女友達はいません。

友人関係は、それぞれの人生があって、大事なものや考え方が違うのが当たり前。その上でリスペクトしあったり励まし合えたら最高。
共通点あって話が少し合えば仲間。
そんなふうに変わっています。

大きく変わったことといえばやはり自分に「家族」という居場所、そして「娘」という守るべき存在、「母親」という役割が与えられたこと。

ふわふわしていたところからはっきりと軸ができて、これまでも話してきた通り「育児鬱」になるなどそれはそれで大変だけれど、地に足はついたなと思います。

今回産後初めて映画館で映画を見たのですが、内容も相まって、一人だった時の自分と再会したような感覚になりました。
一人の時間を過ごせる幸せを感じながら、しかし帰る場所がある現在の自分を自覚するきっかけとなりました。

ぜひぜひ、まだ行ってない方は再上映見に行ってくださいね!


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