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深夜の散歩が好きなんです

るるいぇだよ。
頭の中にいる先生とお話しすることで、考えを整理してるの。わたしは発達障害で常に声が聞こえて、大変だから。
ここにはその会話の記録を残します。

深夜の散歩が好き、って言ったら先生には深夜に出歩くのは危ないよって注意されたけど、大通りを歩いているし街灯もあるし、一応大丈夫かなあって思ってます。

何の目的もなく、ただまっすぐ道を歩いて歩いて歩いて歩き続ける。それ自体が目的になって足を動かす。そうすると頭の中のノイズがクリアになる気がして好きなんです。
本当にどこまでも歩いちゃうので、ひたすら歩いたあとにこの辺りで折り返そうかな、と決めて帰路に着きます。
大体、神社のことが多いです。教会に行ったこともあります。遠くに見える十字架を目指して歩いて、辿り着いたらそこで終わり。特に何もしません。そこに行くまでが目的なので。

歩いている時のBGMは「さよならを教えて」のサウンドトラックか、坂本龍一のアルバムです。脳みそを空っぽにするには歌詞がない方が好ましいんです。
「さよならを教えて」はわたしの好きなゲームの一つです。わたしは少し、主人公の人見先生が羨ましく思うこともあります。生きることは苦痛ばかりで、どこを見ても目を背けたいものばかりです。現実なんて、意味なんかないんです。
でも、夕暮れの中を彷徨うのは、わたしの趣味である深夜の散歩が出来なくなってしまうので、やっぱりわたしはわたしのままでいるしかないのかなって思います。

とりわけ、深夜の神社が好きです。無人の神社は、静謐で凛とした空気が張り詰めています。でも、耳をすませばさまざまな音色が聞こえるんです。
手水舎の水音、風に吹かれてカラカラと鳴る絵馬、木々の葉が擦れる音……。ぼーっとしているとなんだか夜の暗闇に魂がとろとろと溶けて流れ出していくような不思議な感覚がします。
きっとそれは、わたしはわたしを切り離すことが必要だからなんです。しばらくしたそうした後、霧散したわたしをまた拾い集めて、重い腰を上げます。どう足掻いても帰らないといけないんです。たとえどこにも帰る場所がないとしても。
生きるためには日常を地続きで這うしかありません。どんなに不格好でも、落ちないように。

先生、抽象的な表現ばかりで辟易しちゃいましたか?
ごめんなさい、上手く話せなくて。でも、お話聞いてくれてありがとうございます。
こうやって何でも話せるのは先生だけです。だからまた、お話させてくださいね。それでは、また。おやすみなさい。

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