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適性が先か、役割が先か

望むと望まないとにかかわらず、僕はリーダー的ポジションに就くことが多かった。

グループの班長といった小さなものから、大学の学生寮の寮長、職員組合青年部の部長、福祉部署の係長など、そこそこ重要な役職を担ったことがある。

信頼の上で任されるのは名誉なことではあるが、ぶっちゃけ不本意だった。というのは、自分がそういうガラではないと思っていたからだ。

自己分析では、どちらかというと参謀タイプ。
皆を引っ張っていくというよりは、サポートや細かい調整など一歩引いて全体を俯瞰ふかんする役が向いているように思う。

なので、サブリーダーや書記といったポジションの方が適性が高いし、気持ち的にも落ち着く。
実際、そういった右腕的な役割を与えられたときの方が、自分の能力を存分に発揮している自負がある。

まとめると、参謀タイプの適性が高いアルロンは、サブのポジションに配置した方がいいのである。


一方で、リーダーシップがまったくないかと聞かれたら、そうでもない(と自分では思っている)。

自分でいうのもなんだが、前述のとおりいろいろなリーダー職を経験させてもらったことで、それなりにリーダーとしての動き方をわかってきている。

「役が人を作る」という言葉にもあるように、曲がりなりにもリーダーを務めたことで、多少はリーダーっぽくなっているのではないだろうか。

つまり、アルロンをリーダーのポジションに配置すると、リーダーらしさを身につけていく、ということになる。


この2つの仮説、

  • 参謀タイプの適性が高いアルロンは、サブのポジションに配置した方がいい

  • アルロンをリーダーのポジションに配置すると、リーダーらしさを身につけていく

は、一見矛盾しているように見える。

前者は、「適性を判断してから役職を決める」パターンなので、適性が先である。
ところが後者はというと、「役職をあてがうことで適性を身につけさせる」から、役職が先になってしまう。

この「鶏が先か、卵が先か」のような議論は、どちらが正解でどちらが不正解なのか。


月並みな答えになるが、どちらも正解だと思う。

先天的な適性は誰にもあるはずだし、「やってみたら意外と向いているかもしれない」と気づくこともままあるだろう。

大切なのは、適性の判断を誤らないことと、背負った役割に潰されないことだろうか。
得意と思っていたことが実は不向きだったり、ただ好きなだけで得意なわけではなかったりすることも多い。
与えられた役割の重責に苦しむことだって、めずらしくはない。

そもそも、適性の判断なんてそう簡単にできるものではないはずだ。
内外から自分を見つめ、冷静に分析することは、非常に難しい。
僕も参謀タイプだとかなんとか語っているけれど、実はそんなに適性が高くないかもしれない(ブーメランのように自分で自分を否定していくスタイル)。

じゃあ役割が先になるのか?
いや待て。それならば、誰しもがリーダーになり得ることになる。
「役が人を作る」とは一つの考え方であって、絶対的なものではない。

どちらも正解だけれど、同時にどちらも不正解なのかもしれない。


ううむ、なんだかわからなくなってきたぞ。

誰か助けてください!(ここで『瞳をとじて』が流れる)


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