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人より抜きん出るなら3倍働く!旅行会社から始まり36年間アメリカで挑戦し続けるAグループ代表中川 富士夫さん

こんにちは!
アメリカで挑戦する日本人の生い立ちを深掘りするPodcastを始めました!
こちらから聞けるのでぜひ!

Podcastで聞くのではなく記事として見たいという声をいただいたので、配信したエピソードを記事化してみます!反響があれば続けるかもです。コメントやご意見あれば嬉しいです!


今回のエピソードでは、広島県大竹市出身、アムネット社長として36年間アメリカで旅行業界に携わり、現在ではAグループとして旅行業以外に人材業、イベント業など多岐にわたる5事業で全米展開する中川 富士夫さんをゲストに迎えました!
サンフランシスコでの留学、車の事故、客引きのアルバイトから始まり、新入社員時代の旅行トラブル案件をどう乗り越えてきたか、2泊訪れたニューヨークを好きになり、ニューヨークへの移住そしてゼロからの会社設立、9.11後の危機対応など、中川さんの波乱万丈な経験についてお話しいただきました。また、333人以上の米国労働ビザサポートを行ったり、日系企業のアメリカ進出支援など今後の挑戦についても語っていただきました。様々な経験から学び、信頼関係を構築することの大切さ、失敗を恐れずチャレンジし続けるなど、海外で挑戦したい人への貴重なアドバイスもいただきました!

映画から始まったアメリカンドリーム

ーー大学でアメリカ留学したそうですね。そのきっかけを詳しく教えてください。

はい、全ては映画から始まったんです。私は12月1日の「映画の日」生まれなんです。なので映画がとても好きで、特にアメリカの映画が大好きでした。沢山のハリウッド映画を見て、完全に魅了されてしまいました。「アメリカっていい国だな」と思ったんです。それから「アメリカに行きたい、アメリカ人と結婚したい」という思いが芽生えました。

それと、高校の成績があまり良くなかったこともあって、希望の大学に行けなくて、「この際アメリカ行っちゃえ」と思い切ってサンフランシスコに留学を決意しました。

サンフランシスコでの苦労と学び

ーーサンフランシスコでの留学生活はどうでしたか

本当に大変でした。まず、車の問題がありました。アメリカでは車がないと生活できないので、親に車代を出してくれるようお願いしたんです。でも、「そんなお金はない」と断られてしまって。

結局、5000ドルを借りて中古車を買ったんですが、購入からわずか2週間後にゴールデンゲートブリッジでスピンしてしまったんです。中古だったのでタイヤがツルツルで、雨の日にスリップしてしまったんです。

命が助かっただけでも良かったのですが、車は大破。買い取り価格はたったの500ドルで、4500ドルの借金を抱えることになりました。学生にとっては途方もない額でした。

親には心配をかけたくなくて言えず、バイトをして返そうと決意しました。そこで始めたのが、お土産屋さんでの客引きのバイトでした。

最初は全然うまくいかなくて。観光客に売り込んでもうまくいかなくて。ある時気づいたんです。自分から売り込みに行くのではなく、お客さんに「何かお探しですか?」と声をかけ、観光情報を提供することで、自然とお店に来てくれるようになったんです。

ルイ・ヴィトンを探しているお客さんがいたら、どこにあるか詳しく説明します。そうすると、お礼にお店に来てくれるんです。これだと思いました。相手が求めているものを与えれば、何人かが戻ってくる。これがビジネスの基本だと学びました。
正に「Give and  Take」!
最初に「Give」があり、それから「Take」なんです。

さらに、効率を上げるために工夫もしました。観光バスのツアー客をターゲットにして、添乗員さんと交渉し、一度に大勢の人をお店に連れてくるようになりました。

この経験は、その後のビジネス人生で本当に役立ちました。相手のニーズを理解し、価値を提供することの大切さを身をもって学んだんです。

日本への帰国と旅行業界での経験

ーーその後、日本に戻られたそうですね。

サンフランシスコでの2年間の経験を経て、日本に帰国しました。アメリカでの経験を活かしたいと思い、旅行業界に就職することにしました。ただ、就職活動は大変でした。当時の日本では、留学生があまり評価されない時代だったんです。「アメリカかぶれしている」と言われ、多くの会社に断られました。

最終的に、ある中小の旅行会社に就職が決まりました。そこで、私の旅行業界でのキャリアが始まったんです。

ーーその旅行会社での経験について教えてください。

その会社では、本当に多くのことを学びました。特に印象に残っているのは、年末年始のツアーの話です。

40席しか飛行機を確保していないのに、120人の予約を受けてしまったんです。40人集まったら普通なら断るところを、上司に「広告にいくらかかってるか知ってるのか。断ったら儲からんだろ」と言われて、120人の予約をとってしまったんです。

必死で航空会社と交渉し、何とか席を確保しました。最初は40席だったのが、毎回直接空港に足を運んで、航空会社と交渉を重ねて少しずつ席を確保していきました。
その時に学んだことは「人対人」のコミュニケーションの大切さです。電話やメールではなく、直接顔を合わせて交渉することの重要性を痛感しました。
何度も羽田空港に足を運び、航空会社の担当者と直接交渉しました。最初は「年末年始だから席はありません」と言われましたが、諦めずに通い続けました。すると、少しずつですが席が出てくるんです。2席、3席と少しずつ増えていって。
結果的に、120人全員の席を確保することができました。

ーー他にもツアーのトラブルはありましたか?

最初のホテルが予約が取れなくてプレハブになってしまったツアーがありました。この旅行を成功させるためにまず、お客様全員に状況を説明する前に、ツアー参加者の中で最も影響力がありそうな方を見極めました。
その方を自分の隣の席に案内し、状況を個別に説明することにしました。「実は最初のホテルに問題が生じてしまって...」と率直に打ち明けたんです。そして、最後のホテルは当初の予定よりもグレードのとても高いものを用意したことも伝えました。
すると、その方が前向きに受け止めてくださったんです。この反応に大変勇気づけられました。
その後、全員にこの状況を説明しました。最初のホテルの問題を謝罪し、最後のホテルがグレードが良くなることについて詳しく説明しました。
結果的に、ツアー終了時、多くのお客様から「とても楽しかった」「忘れられない思い出になった」という感想をいただきました。
この経験から、予定通りのツアーより、感動を与えられるツアーの方が価値があると学びました。

ハワイ支店への転勤

ーーハワイ支店へ行くことになった経緯を詳しく教えてください。

日本で2年ほど働いた後、自分からアメリカに行きたいと希望を出したんです。アメリカが好きだったので、チャンスがあればぜひ行きたいと考えていました。

すると、本社から支店長になってほしいと言われたんです。24歳の時でした。当時のハワイ支店長とは仲も良かったですし、自分が支店長になるということはその方を追い出す形になる。正直、驚きましたし、大きなプレッシャーも感じました。

ーーそのプレッシャーをどのように乗り越えたのですか?

そこで知人から学んだ「3倍働く」という考え方です。
「2倍では足りない。3倍働けば、誰もが認める差をつけられる」という教えです。
2倍働くだけでは足りないんです。自分が2倍頑張って、少し相手より良い仕事をしたと思っても、見る人によっては同じように見えてしまうかもしれない。あるいは、相手より下に見えてしまう。
でも、3倍働けば、誰が見ても明らかな差がつくんです。周りの人も「あの人、本当に頑張っているな」と認めざるを得なくなる。そうすると、負けた方も「こいつに負けたんなら仕方ない」と思ってくれる。それくらいの差をつけるのが大事だと教わりました。
この教えを実践するために、3倍は無理でも本当に必死で働きました。現地のビジネス慣習を学び、スタッフとの関係を築き、お客様のニーズを理解することに全力を注ぎました。朝早くから夜遅くまで、休む暇もないくらいでした。

ーーその努力の結果はどうでしたか?

結果として、周りからの評価も上がり認められ、支店長になることができました。現地スタッフからも「若いけど、頑張っているね」と声をかけてもらえるようになりました。

ニューヨークへの挑戦

ーーニューヨークに渡ったきっかけを教えてください。

実は、ジャマイカへの出張がきっかけでした。出張でニューヨーク経由でジャマイカに行ったんですが、その際に2泊だけ立ち寄ったニューヨークの街に魅了されてしまったんです。特に印象的だったのは、道路から立ち上る蒸気の風景でした。

後で知ったのですが、これは各ビルの蒸気発電システムから出る蒸気なんですね。独特なニューヨークという街に魅了されて、「ニューヨークに行きたい」と強く思うようになりました。

そこで当時の社長に「ニューヨークに行きたい」と相談したら、「ニューヨーク支店を作ればいい」と言ってくれたんです。29歳の時でした。ただし、「自分で全部やる」という条件付きでした。

ーーニューヨークで会社を立ち上げる際の苦労はどんなものでしたか?

本当に一からのスタートでした。会社設立の手続きから、オフィスの確保、ビザの取得まで、全て自分でこなさなければなりませんでした。また、お金がなかったので、当社はイエローページ(電話帳)を椅子や机にしていました。 また公衆電話で仕事もしていました。(笑)

ビジネス面では、ホテルとの交渉が特に大変でした。実績がないので、最初は高い料金を提示されました。でも、日本での旅行会社時代で学んだことを活かし、「売れないならお互いに時間の無駄だ」と粘り強く交渉し、大手よりも安い料金で契約することができました。
その後3年ほど経った頃、新しいビジネスを始めることにしました。それが「アムネット」です。ニューヨークに住んでいる日本人をターゲットにした旅行会社です。日本からアメリカに来る観光客だけでなく、現地の日本人の需要にも応えようと考えたんです。
アムネットは比較的スムーズに立ち上がりました。ニューヨークという場所柄、日本まで行かなくても営業ができるのが大きなメリットでした。
サービス業の経験を活かして、親切丁寧なサービスを心がけ、お客様に対しては安さだけでなく、きめ細かいサービスを提供することで差別化を図りました。例えば、エコノミークラスの航空券を購入したお客様に対して、空港までの往復送迎をつけるなど、付加価値の高いサービスを提供しました。
その結果、多くのお客様がついてきてくれて、ファンも増えていきました。

ーー911テロの影響はどうでしたか?

911の後は本当に大変でした。お客様がゼロになってしまい、多くの旅行会社が閉鎖に追い込まれました。今までの利益がある程度あったので「会社を閉めた方がいい」とアドバイスされることもありました。

でも、私は社員のために会社を続けることを決意しました。これまで社員が一生懸命働いて作り上げた会社の貯金です。貯金がなくなるまで給料を払い続けようと決めたんです。

そして、アメリカが復活した時に社員たちと話し合い、「テロがあっても需要のあるビジネスは何か」を考えました。そこで思いついたのが、人材派遣業です。
食べる、寝る、着るという基本的なニーズに次いで大切なのは「人」だと考えました。これが今でも続いている「Actus」という会社です。

ーーその後、事業の多角化も進められたそうですね。

はい、自分たちのものを作りたいという思いから、フリーペーパーの発行も始めました。これはシカゴで立ち上げたんですが、ニューヨークやロサンゼルスではなく、あえて競合の少ない市場を選びました。

結果的に、シカゴは日系企業が少なく広告を取るのが難しかったのですが、これも良い学びになりました。マーケットの選び方、ビジネスモデルの構築など、多くのことを学ぶことができました。
また、日本を応援したいと思いから様々な挑戦をしています。まず、ビザ取得のサポートに力を入れています。これまでに333人以上の方のビザ取得をサポートしてきました。最近は厳しくなってきていますが、それでも毎年4、5人のビザ取得を支援できています。

日本企業のアメリカ進出支援も行っています。特に中小企業向けの支援に注力しており、2年前にアメリカ進出支援会社「Artis」も立ち上げました。

最後に、海外挑戦を考えている若い世代へメッセージをお願いします。


まずは飛び込んでみることが大切です。完璧な計画を立てる必要はありません。水に入らないと泳げないのと同じで、実際に経験してみないとわからないことがたくさんあります。

例えば、泳ぎたい時に水に入ったことのない人間は、様々な不安を抱えるものです。「これ溺れるのかな」と心配したり、「水の中で息できるのかな」と不安に思ったり、「浮くのかも分からない」と躊躇したりします。

でも、考えてみてください。そういった心配や不安は、実際に水に入ってみないと本当のところはわからないんです。机の上で考えているだけでは、水の感触や浮力の感覚、水中での呼吸の仕方なんて絶対にわかりません。

だからこそ、まずは水に入ってみることが大切なんです。ただし、注意してほしいのは、いきなり深いところに飛び込むのではありません。それは危険です。最初は背が届く範囲の水に入るところから始めるんです。

そして、少しずつ水に慣れていきます。顔を水につけてみる。潜ってみる。そうすると、「おー苦しい」とか「泳げない」といった実感が湧いてきます。でも、それこそが大切な経験なんです。

水に入って初めて、どうやって息を止めればいいのか、どうやって体を浮かせればいいのか、どう手足を動かせば前に進めるのか、そういったことを体で覚えていくんです。

要するに、水に入らないと泳げないんです。これは人生のあらゆる挑戦に当てはまります。同じように、アメリカでビジネスをしたいと思ったら、まずはアメリカに来てみることが大切です。そして、ここでビジネスの泳ぎ方を学んでいくんです。

陸で練習しても、つまり日本にいながらアメリカのビジネスについて本を読んだり想像したりしても、実際の感覚はわかりません。水の中に入って初めてわかることがたくさんあるように、アメリカに来て初めて気づくことがたくさんあるんです。

確かに最初は苦しいかもしれません。でも、さっき言ったように、熱意を持って頑張れば、助けてくれる人がいるんです。それは私自身が経験してきたことです。


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