新しい宗教を作ったった

私が最近信じているのが、日本における伝統的「神道」と「浄土真宗」を合わせた新しい宗教だ。新興宗教って言うと怪しげだと思うけど、少し時間をとって読んでくれると嬉しい。馬鹿な話かもしれないけど、悪い話じゃない事は保証する。

法然の語る浄土宗と、親鸞の語る浄土真宗の違いは、簡単に言うと浄土宗は「南無阿弥陀仏」と唱える事で浄土に阿弥陀如来が連れていってくれる、浄土真宗は阿弥陀如来が浄土に連れて行ってくれるのは確定していて、「南無阿弥陀仏」はあくまでお礼として唱えることだ(間違ってたらゴメン)自分の作った宗教はこの浄土真宗を大きく拡大解釈するものだ。

仏教には畜生地獄というのがあったりと、動物と人間は明確に区別され、動物は人間に劣るとされる。でも浄土で最愛のペットと会えないのは寂し過ぎやしないか?ただ動物というだけで浄土に連れてきちゃダメというほど阿弥陀如来は心の狭い仏様なのか?自分はそれは違うと思う。何せ悪人ですら救う仏様だ。ペットとして家族の一員だった動物を浄土に連れて行かない訳がない。では大切に育てられた植物は?同じ理由で浄土に行かない訳が無い。

では、無生物はどうだろう?刀剣乱舞の流行りを見るまでもなく、精魂込めて作られたモノは、日本の神道の考え方からすると神が宿る。モナリザは?ミケランジェロのダビデ像は?太陽の塔は?清水寺は?サグラダ・ファミリアは?

全て作った人の魂が込められ、今でもたくさんの人に愛されている。何世代にも渡って愛されメンテナンスされて来たこれらの物品が、人類がいなくなった時に単に朽ちて滅びるだけなのか?魂を込めて作られ、何世代にも渡って感動を与えたモノが浄土に行けない訳が無い。なら自分が精魂込めて作ったプラモデルや愛した人形やぬいぐるみも浄土に行けない訳が無い。

では、無生物ですら無い情報概念はどうか?例えば「サザエさん」や「ドラえもん」だ。作者は亡くなってしまっているが、続きを作ることでメンテナンスされ、知られ愛され、見る人に感動を与えている。アニメがいいなら映画は?音楽は?物語は?

これらは映画のフィルム、CD、本などのモノを介しては居るが、最終的にはヒトの脳細胞の中に概念として残るものだ。少し難しい言葉で言えばこれらは「ミーム」と呼ばれる。『「ミッキーマウス」ってこういうヤツだよね』というある種の合意によって成り立っている情報だ。反感を買うことを承知で言えば、ギリシャ神話のゼウス、インド神話のシヴァやパールバティ、そしてキリスト教の神すらミームという意味では同じものだ。

つまるところ、ありとあらゆるものが浄土に行く。自分が好きだった人も、動物も、作品も、キャラクターも、神様も全部。そして自分が望む姿で永遠に安らかな時を過ごす事が出来る。

これが自分の新しい宗教、「汎神論的浄土真宗」あるいは「浄土真宗ver.2.0」である。死んでも寂しく無いどころか、幸せしか無い。そう考えれば、死ぬのも怖くなくなるんじゃないか?っていう提案だ。

ちなみに「死んじゃった方が幸せなんだったら、今すぐ死ぬ方がいいという事か?」という事についての反論は、これから生きていく中でもっともっと好きになるものが現れるかもしれない。それを体験しないで今死ぬのはもったいなく無い?というものだ。多少でももったいないという気持ちが残っていれば死なないだろうし、もう構わないという人は幸せを手に入れられる。

ちなみにこの宗教はお布施も取らないし、念仏も要らないし、信者を広げる義務もない。ただ知ってくれた人が「こういう考えもあるんだ。ふーん」と思ってくれるだけでいい。死ぬ前に、こんな宗教あったな、と半信半疑になってくれるだけで良い。死ぬのが怖い怖いと泣き叫んで死ぬより、浄土に行けるかもと0.1%でも思ってくれたら、苦しみが減るはずだから。

あ、この宗教まだ思いついたばっかなんで、論理に穴があるとか批判や論争は歓迎します。ただの悪口はやめてね

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