「いつも幸せになれない」「不幸な恋愛ばかり」「自分を責めがち」深層にある罪悪感という感情について
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・頑張りすぎてしまう
・背負いすぎてしまう
・完璧主義
・競争主義
・自分が大嫌い
・自分を責めて苦しくなることが多い
そんな人は「罪悪感」が強すぎるのかもしれません。
罪悪感は「自分は罰せられる存在である」「自分は幸せになってはいけない存在である」「自分は楽してはいけない存在である」「自分は害毒である」そんな深層心理でして、ほとんどの人が多かれ少なかれ潜在意識上に抱いているものです。
罪悪感が強すぎる人はそれを埋め合わせようと仕事ではハードワークしすぎたり、恋愛では自己犠牲的になりすぎたり、無意識的に不幸な恋愛に突撃していったりします。
罪悪感を癒やすのは幸せな人生を生きるための必須事項であり、幸せな恋愛結婚をするための必須事項と言っていいと思います。
そんな罪悪感の特徴、成り立ち、癒し方について解説してみました。
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【ご相談はここから】
私は自分のことが嫌いで悩んでいます。
小学生の時にいじめられていてそのことも悩みの種になっていると思うのですが、逆に陰口を話したり人を馬鹿にしたりするようなことをしたことがあり罪悪感があります。
やられて嫌なことだと知っているのにやっていたので、私がいじめられていたことで傷つく権利はないと思っています。
いじめられていたことにもいじめていたことにも罪悪感を抱いていて苦しいです。
自業自得なのは承知していますが、アドバイスをお願いします。
【ここまで】
罪悪感という心理について解説したいと思います。
罪悪感という言葉は「深夜にアイス食べちゃって罪悪感、、」みたいに日常的にけっこう使われているのですが、もともとは心理学用語でして、定義としては「自分は罰せられるべきである」という深層心理的な観念のことを表します。
「自分は悪者である」「自分は害である」「自分は毒である」そんな思い込みのことだと言い換えても差し支えありません。
毎度のことながら私が「深層心理的な思い込み」という言う場合、その思い込みはその人の行動や言動を日常生活レベルで、無意識に、コントロールし続けるものを指します。
他にも色々と「深層心理的な思い込み」についての記事は出していますが、代表的なのは「○○すべきである」「○○しなきゃいけない」という拘束の思い込みである「観念」や、「自分は無価値で魅力がない」という思い込みである「無価値感」などですよね。
今日そんな「思い込み」の中でも特に協力な「罪悪感」について深く見ていきましょう。
この罪悪感、「自分は罰せられるべき存在である」「自分は不幸になるべきである」「自分は害毒である」「自分は悪者である」という思い込みのことを言うと書きましたが、この罪悪感が強いと日々の生活やパートナーシップで実に様々な問題が噴出してきます。
まず繰り返しますが深層心理ってあらゆる行動の前提みたいなところがありますので、この罪悪感が前提になっていると自分を幸せから遠ざけようとする行動ばかりとるようになります。罪悪感を頭で意識できてる場合もありますが、ほとんどの場合は無意識的です。
後ほど述べますが「罪悪感を自覚できてる」ということは罪悪感を手放す準備ができてるということでもありまして、圧倒的多数の人は罪悪感を自覚できていません。
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人は誰もが自分が一番好きですし、頭では「幸せになりたい」「素敵な彼氏欲しい」「愛されたい」と思ってるものですが、罪悪感が強烈だと口では「幸せになりたい」って言ってても矛盾するような行動ばかりとるようになります。
これを「頭と心の分離」なんて言ったりもするのですが、よくある例では「幸せになりたい」「落ち着きたい」と女友達に言いつついつもダメ男とかクズ男とかギャンブル男とか浮気男と付き合ってるパターンなどモロにこれです。
本人は幸せになりたいと頭では思ってます。それが本心だと思ってますし、実際主観的には本心なのでしょう。そして周りにも「素敵で誠実な彼氏が欲しいな」と言って回っています。でもフタを空けてみると「え、そいつといて幸せになれる?無理じゃない?」と思ってしまう男とばかり付き合ってしまうわけです。
頭では「幸せになりたい」と思ってる。深層心理では「自分を罰したい」と思ってる。だから不誠実っぽい男とばかり付き合う。
当然、思考の力など強力な深層心理の力には歯が立ちませんし、現実はいつも潜在意識が投影されたものになりますので、「私を罰する」のほうが現実化することになります。すなわち、「クズ男と付き合う」という結果になります。完全なる「頭と心の分離」です。
また、いわゆる自立系女子もこの潜在的な罪悪感がめちゃくちゃ強いことが多く、それゆえにパートナーシップ含め様々なことに四苦八苦しています。
自立系女子名物といえば「公私ともにハードワーク」ですが、ハードワークの心理もまた罪悪感が生み出しています。
例えば「公」のほうでは働きすぎてしまう、タスクを背負いすぎてしまう、チームの仲間や部下を信頼できず全部ひとりでやりすぎてしまう、モタモタしてる人が許せず「それなら私がやるよ」となってしまう、毎日睡眠不足、でも補って有り余る気力と努力でそれをカバー、そんな状態をハードワークと言ったりしますが、これもまた「自分は罰せられるべきだ」「自分は人より楽をしてはいけない」「自分は重荷を背負ってしかるべきだ」「自分を犠牲にしてでも仕事を回さなければならない」という罪悪感の心理からきていることが多いです。
バリバリ頑張ってる人って実は心の内側を覗けば罪悪感まみれで傷が深い人が多いんですよね。
この辺は「自律系女子×無価値感」の話で何度か書いたことがありますが、心理を深く読めば罪悪感から「自分をキツーく責めるため」に猛烈に働いてる人、意外と多いんです。
そして「私」のほうでは尽くしすぎてしまう、与えすぎてしまう、自己犠牲的な恋愛をしてしまう、彼に甘えられない、彼を頼れない、彼を信頼できないなどのハードワーク的要素がでてくるでしょう。
「甘える」「頼る」「信頼する」は自立系女子にとって永遠のテーマであり、自立を手放したい人にとっての最重要項目であるわけですが、それがなかなか進まない根本的な原因のなかのひとつがズバリ罪悪感であるわけです。
自立系女子は外面的にはしっかりしてそうに見えるし、実際しっかりしてるし、才色兼備な人も多いし、キラキラしてる人も多いのですが心にたんまり傷を抱えてると言うお話をよくしますよね。
その「心の傷」のうちで大きなもののひとつが罪悪感になります。
自立系女子と罪悪感は切っても切り離せない関係です。
「幸せになりたいのにいつも自分が頑張りすぎる恋愛ばかりしてる」「相手に甘えたいのにいつもしっかりしすぎてしまう」「完璧主義を手放したいのにいつも男性と張り合ってしまう」そんな心理こそ「頭と心の分離」ということでありまして、頭では幸せを求めていたとしても深層心理の罪悪感がそれを許してくれないわけなんですね。
罪悪感が深いと色々な現実的な弊害がでてくるよというお話をしてきましたが、誰もがもってるのに気づきにくいというのも罪悪感の大きな特徴のひとつです。
本人はとくに、罪悪感とともに生きているのが当たり前になってることが多く、それが心理的な異常事態だと気づくことが非常に困難なんですね。
例えば「仕事で頑張る」というのは一般的には美徳とされてることでありまして、「頑張れない人は社会人失格」なんて風潮もあるくらいですが、「頑張る」ことをよくよく考えたときにそれは果たして自然な状態なのだろうか、、、という疑問もまたわいてくるものです。
「頑張る」「自分を奮い立たせる」「気力を絞る」表現は色々あると思うんですが、私には頑張ることは人にとって自然な状態だとは思えません。逆にいえば、自然な状態じゃないからこそ「頑張る」必要がでてくるのだと思うのです。
細かい話ですが「仕事を頑張る」というのはつまり「頑張らなきゃその仕事はできない」と言い換えられると思います。「勉強を頑張る」というのはつまり「頑張らなきゃその勉強はできない」と言い換えられると思います。「婚活を頑張る」というのはつまり「頑張らなきゃ婚活を乗り越えられない」と言い換えられると思います。
「頑張っておいしいものを食べる」とか「頑張って愛する人とハグする」とか「頑張って大好きなゲームをする」とかいう表現はあまり耳にしたことがありません。人にとって「頑張る」のは不自然な状態と言っても良いようです。
それにはある種の「負の原動力」のようなものが必要でして、その「負の原動力」のひとつがすなわち「罪悪感」なんです。
みんな当たり前のように頑張ってますし、当たり前のようにハードワークしてますし、当たり前のように「つらいつらい」と歯を食いしばってます。
そしてそこには動力源の「罪悪感」が隠れているのですね。「頑張らなきゃ」と自分を追い詰める背景には罪悪感があるんです。「ちゃんとしなきゃ」と自分を苦しめる背景には罪悪感があるんです。
生まれたての赤ちゃんには罪悪感はありませんし、よって彼ら彼女らは「頑張る」ことはしません。頑張ってる人全員が大きな罪悪感を抱えてるというのは言い過ぎにしても、「頑張ってる人は多かれ少なかれ罪悪感を抱えてる」というのはけっこう当たってると思うんです。そしてそれに皆気づけていない。
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ーーいじめられていたことにもいじめていたことにも罪悪感を抱いていて苦しいです。ーー
質問者さんがこのように言う通り、罪悪感は小学時代や思春期の学生時代の「いじめ」「いじめられ」の経験が生むこともありますし、幼少期や思春期の親子関係が根源となっている場合も多いです。
質問者さんは親子関係などによりもともと罪悪感がとても強かったのかもしれませんし、「いじめ」「いじめられ」で罪悪感がかなり強固になったのかもしれません。そのあたりも聞いてみたいところですね。
罪悪感などの潜在意識上の心理について向き合う場合は、その罪悪感の原因となった「出来事」「感情」と向き合い、その感情を癒やしてあげる必要があるでしょう。
罪悪感の原因となったなんらかの強い感情があり、それにより生まれた罪悪感が日常生活レベルのハードワークや生きにくさを生んでくるわけですね。
罪悪感の根っこの部分にある感情を癒やしてあげない限り、罪悪感はいつまでも残り続けます。
根っこにある感情を癒やすとはどういうことかと言うと…
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