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わたしと憧れ【文章】


小学校4年生のとき、我が家にWindows98がやってきた。

学校でパソコンの授業があり、私はまんまとその魅力にハマった。
高額だし買ってもらえないかと思ったが、機械好きな父の後援もあり、デスクトップパソコンを迎え入れることとなった。
今思えば父が使いたいだけだった。

当時の私は、自分らしさに縛られすぎて
友達を作ることもままならなかった。
下記の記事を参照してほしい。


これは、この現実の裏側で
ひそかに暗躍していたインターネットの話である。

インターネット上では、誰も私のことなんて知らない。「私らしい私」から解放されているひとときだった。

Yahoo!きっずのページをくまなく見て、熟読。
ミニゲームを発見、ハマる。
MSNとか、gooとか、それぞれミニゲームがあることを発見、ハマる。
無料ゲームを集めたランキングページがあることを発見、ハマる。
りぼんわくわくステーションのゲーム。ハマる。
サンリオタイニーパーク。ハマる。

ゲームばっかりじゃないか、という突っ込みはさておき、
私はパソコンに向かう時間が長くなった。視力は順調に落ちた。

英語の授業の自己紹介では、ずっと"I like the Internet"って言っていた記憶がある。そのくらい夢中だった。

おえかき掲示板との出会い


小学5年生の時、おえかき掲示板と出会う。
パソコンでおえかきができる、というのは、当時の自分には衝撃だった。
そこでは別のおえかきソフトで書いたものを投稿するのではなく、
そのWEBページサービス上で書いたイラストを投稿する。
途中保存もレイヤーも特殊ブラシも使えない。
マウスで引くガタガタの線。謎の機能マスク。なんだかわからんベジェ曲線。

はじめて完成させたうさぎの絵は、投稿時どうやってコメントつけたらいいかわからず、「かわいいと思う」と自画自賛した。
そしたら、「自画自賛かよ、確かにかわいいけど」と言った趣旨のコメントがついて、とても嬉しかったのを今でも覚えている。

能力的にも技術的にも大した絵は描けなかったけど、人からコメントをもらうと嬉しい、というのを知った。

そのおえかき掲示板はひらかれたWEBページだったが、ある程度来る人は決まっていて、軽くコミュニティができていた。

そこに、ソラさん、という人がいた。
かわいくて、やわらかい、ふわっとした猫のキャラクターを描く人だった。

ソラさんは女性で、1個年上だったが、言動が大人びていた。

当時、ネットでは正義感を盾にイキっていた私は、荒らしに油を注いで大炎上させていた。
ソラさんは「反応が欲しいだけだよ」と言って無視していた。
荒らしは、そう言われた途端に捨て台詞みたいなことを言って消えていった。

まさに北風と太陽の、太陽。そして、透き通る静けさをもった人だった。
「ソラって名前になりたかったから」という、彼女のハンドルネームの由来を今でも覚えている。
会ったこともないのにそのすべてが憧れだった。

同年代の人間に心を開けなかったのに、
ネットの向こうのソラさんには好かれたいという思いが強くあった。
(今考えると、犯罪とかに巻き込まれなくてよかった。)

ソラさんはそのうち「ソラの部屋」という個人サイトを開いた。
私はそこに毎日足を運んだ。
自分のホームページを持っている、ということがもう本当にすごいことだった。
影響された私は、自分のもほしくて父に登録してもらった。が、HTMLがわからずすぐ挫折した。
レイアウトもままならないまま、骨組みしかないサイトがネットの海に流されていった。
今、どこを漂流しているんだろう。

学年が変わり、ソラさんは中学に進学して忙しくなったのだろう。
更新頻度も低くなり、いつのまにかサイトは見つけられなくなっていた。

パソコンのメールアドレスを交換したが、それも続かなかった。
あとから私からのメールの表示名が父親の名前だったことに気づいて、怖い思いをさせていたのかもしれない、と思った。

ソラさん、その節はごめんなさい。


小説投稿サイトとの出会い


そしておえかき掲示板はだんだんアップデートされ、機能も充実、徐々にうまい人ばかりになっていった。
制作に1時間以上かけた絵ではないと運営から削除されるようになった。
「うまい人以外は投稿しちゃいけない」と言われているようで、投稿を控えるようになった。

そのあと、SNSの前身のような、小中高生の情報交流サイト「ふみコミュ」を見つけた。

そこではおえかきはできなかったが、オリジナル小説を描いて投稿しよう!という趣旨のページがあった。

その中でひときわ異才を放っていたのが、志信さんだった。
明らかに他の人と違う文章量、熱量。空白で語りがちな携帯小説とは違い、行間が詰まっていて、一話一話の内容がいつも濃い。
志信さんのまわりには固定ファンや、いつも交流している投稿者がいた。

すごい人だ、私も仲良くなりたい!
書いてみたら、もしかして私もあんな人気者になっちゃうかも!

そんな邪な気持ちから小説を書いてみることにした。

本を読むのは嫌いではなかったし、妄想は大好きだったが
オチもなければストーリーさえもない半端なもので、実際に小説にできるようなものではなかった。

というわけで、実体験をもとに、当時加入していた部活を題材に半分フィクションな物語を作ってみた。小説なんて書いたことなかったから、まぁ情景描写もひどいもんだった。
それなのに、コメントを付けてくれる人もいた。楽しみにしてくれる人がいた。「ここが私の居場所なのかも」と思った。

そして腰巾着活動も報われて、志信さんも私のことを知ってくれた。コメント欄ではずうずうしくも「いつものメンバー」にしれっと混ざることができた。
現実で満たされない分の補填がインターネットで行われていた。

私の創作物は、だいたいの物語が見切り発車で、打ち切りみたいな感じで終わることもしばしばあった。
でも次第にやり方がわかってきて、こうやって書くと描写がかっこいいかも、とか、ファンタジーも考えてみよう、ここがつながったら伏線になるな、と、パソコンのメモ帳データをいっぱい増やしていった。学校から帰ったら物語を構築する、そんな日の繰り返しだった。

アイドルと、その副産物との出会い


時は流れ、中学2年生。所属しているバドミントン部の活動がハードになった。
そして国語の先生に勧誘されて、同じくバドミントン部に所属する友人と一緒に文芸部にも入部した。
その友人と一緒にリレー小説を作ったりして、少しネット小説からは離れた。

けれど、今度は別の波がやってくる。

同時期、私は人に知られないようにアイドルにハマっていた。
携帯は持っていなかったので、パソコンでひっそりと画像検索をしていた。

そしたらなんとまぁ、そこに夢の扉がひらいていたのである。

いわゆる現実の人を登場人物にした、恋愛小説……である。(便宜上、そういうことにしておく。)
主人公の名前を自分の名前に替えて読める。あたかも、自分がその現実の人と恋愛をしているような気分になる、そんな代物だ。
学園もの、芸能界もの、ファンタジーもの。まるでドラマの主人公になったみたいでドキドキした。

きっとそれを書いた人たちはきっとすごいファンで、私と同じ人を好きで、おもしろいものが書けて。ファンではあったけれど、劣等感と嫉妬の気持ちが入り混じった。

ちなみに、その頃流行していたメール送信画面や待ち受けを作る人にも憧れた。
いつか、こんな風に画像加工してみたいな、と思っていた。

今は作れるような知識も環境もある。
大人になったよ、私。

ホームページとの出会い

そのうち、簡単にHPを作れるフォレストというサービスを知る。
そこまでHTMLに詳しくなくても作れるし、そのころになるとやり方を解説してくれるようなサイトもあって、かなりやりやすくなっていた。

私は一次創作の、オリジナル小説サイトを立ち上げた。
高校生のときだった。
掲示板も、バナーも、トップ画像も、1個1個こだわって作った私の城。
今でもある。たまに怖いもの見たさに見ると、トップページのポエムが心を抉ってくる。

いくつか小説を書いてUPした。
ランキングは全然順位が上がらなかったけれど、相互リンクになってくれた子の一人二人は見てくれていたようだった。
小説家になろうにも投稿した。

高校生活では、創作が好きな友達もできて
ちょっと恥ずかしかったけど、サイトを教えた。
このあたりから、
「見てくれる人に楽しんでもらいたい」「足を運んでもらいたい」ということを意識するようになった、気がする。

SNSとの出会い


ネットと現実で全く違う自分を作り上げていた私だったが、
少しずつその境目が薄くなってきた。
それが顕著に表れてきたのが、携帯電話とSNSの台頭だ。

ほとんどみんな持っていなかったパソコンは、徐々に必需品となった。さらに、携帯電話があれば気軽にネットワークにアクセスできるようになった。

モバゲー、GREE、アメブロに始まり、中高校生の間では「りある」「前略プロフィール」が流行り、ネット上で自分の近況をさらけ出すような風潮が出始めた。

私が「私」として初めてやったSNSは、mixiだ。

当時は友達からの紹介でないと登録できず、その友達と自動的につながることになるため、「ネット上でまったく別の自分になる」ことはできなかった。「現実の私の延長線上」としての、はじめてのインターネットだった。

mixiには日記機能があり、気軽に近況を発信できた。
私はふと、「面白い文章を書こう」と思った。
みんながちょっとくすっとして、更新が楽しみだな、と思ってもらえるようになりたい。
現実で笑いなんてほとんど取ったことなかったけど、実は潜在エンターテイナーだったのかもしれない。

そこで出会ったのがミヤさんだ。
ミヤさんはニュースを題材に、自分の出来事を織り交ぜて、きれいにオチをつけて書いていた。
ひとつの日記を読んでファンになり、すぐさま過去の記事も全部読んだ。全部面白かった。

私はまた腰巾着活動として、コメントを送り始めた。その甲斐あって、マイミク(今でいうフォロワー)になることもできた。

私は、みんなの中心にいる人がずっと羨ましかった。だからこそ憧れで、近づいてみたかった。ファンだと伝え、私のことを知ってもらうことで、自分もそこに近づけるような気がしていた。

ミヤさんは九州の人だった。
対して私は関東住まい。
しかし、ミヤさんは関東に縁があったらしく、近くに来るタイミングで「会わない?」と声をかけてくれたのだ。

元祖、会いに行けるアイドル。
そしてこれが私のはじめての握手会、もといオフ会だった。

実際に会ったミヤさんは、憧れを具現化したような人だった。

文章のうまさはさることながら、分け隔てなく面倒見が良くて、キラキラしていて、本当にアイドルみたいだった。
きっとインターネットで出会っていなければ、一生話すこともできなかっただろうと思う。
ちなみに、ありがたいことに今でも交流は続いている。

まざまざと違いを見せつけられたが、憧れは消えなかったし、むしろ強くなっていった。
なにより、ミヤさんが同年代の人だったということが私にとっての衝撃体験だった。

私も、ミヤさんみたいになりたい。なれるかも。

……とは思ったけども、やっぱりミヤさんみたいな文章はまねしても書けなかったし、いきなり求心力がつくわけでもなかった。
ある日、ミヤさんと「もしかして入れ替わってる〜!?」みたいな展開があったとしても、多分誰も騙せないだろう。

憧れの誰かのしっぽを追いかけたり、自分の名前を変えてすぐに実現できたりするような、簡単な夢物語じゃない。

私は、私だけの「なにか」がほしかった。

Twitterとの出会い


流行は流れに流れ、今度はTwitterの波がやってきた。
アイドルファンだということは知り合いにまだ言えなかったから、好きなアイドルのファンアートを投稿するアカウントを作った。ほとんどの知り合いはブロックした。
そのあと、知り合い用に別のアカウントを作った。

ファンアカウントでは、私の絵を好きと言ってくれる人がいてくれた。同じテレビ番組を見て、あの顔がかわいい!と言い合える、年齢も住まいも違う友達もたくさんできた。
知らない人ばかりだったはずなのに、ネットを超えて現実のコンサートで待ち合わせをした。会ってすぐでも、初めて会った気がしない人ばかりであった。

同じアイドルが好き、というきっかけではあったけど、「私」を知って、フォローして、仲良くしてくれた。
やっぱり馬が合わない人や、次第に連絡が取れなくなった人もいたけど、それはそれで学びだった。

mixiでは、ウケを狙って書いた日記が、友達から「おもしろい」「更新したらつい読んじゃう」と言ってもらえた。実際の人物像と文章のキャラが違いすぎたのか、「大丈夫?」といわれることもあった。

でも、どっちも私だ。

少しずつ、現実とネットの私がリンクしていった。

私との出会い

2020年、私はエッセイ漫画を描き始め、インスタ、そしてnoteを始めた。
私のたどってきた道や、私の好きなものを、ちゃんと残してみたいと思った。そして、知ってもらいたいと思えるようになった。

イラストと、漫画と、アイドル、そして彼。
私の好きなものを詰め込んで、ちょっと笑えて、こんな風になりたいと思ってもらえるようなもの。

承認欲求、自己満足でもあるし、どこかの誰かを楽しませたいという思いもある。それは相反するものではなくて、両立するものだと思う。

そして今の私の夢は、「Wikipediaに載ること」である。
どうにかして、インターネットに名を刻んでみたい。
(自分で編集すればできる、という野暮なことは言わないでいただきたい)

インターネットは、私の憧れの歴史であり、これからの夢のつまった場所だ。

いつか叶いますように。
そう思いながら、私は今日もパソコンに向かうのであった。




《追伸》
もしかしたら私かも、とお思いのソラさん、志信さん、もし見てたら連絡ください。

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