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本当はタイトルを「普通ではないこと」としたかった。
どこからが普通で、どこからが笑い話になるのか、100人いたら100人が同じ答えを出すような明確な線引きはこの世界には無い。
人間にはあって、他の動物には無いもの。
逆も然り。
それは心だと、私は考えている。
心無い行動、思い遣りの無い、投げやりな態度、相手の顔を一瞬で七変化できる言葉や目や手足。
動物に心があるのかは、人間である以上死ぬまで、或いは死んだ後ですらも未知である。
が、知ろうとすること、少しでも同じ気持ちでありたいこと、そしてそれらを証明したいこと、
これが、人間と他の動物の共通点、心。
それが通じ合わないから、思いが思いのままに伝わらないから、予想したものと目の前で起きていることが真反対だから、私たちはぶつかる。
時には避け合う。
命を賭けてでも、守りたい、譲れないものがあるから。
ここまで書いて、私は一体何がしたいか、未だに永遠に分からないが、枕や布団が粗方見えるのは、月の光なのか或いは液晶なのかも分からないが、
私は今70億人と同じ真夜中と真昼を生きていて、
その事実が繋ぐ心や音楽が私達のスマホには備わっていて。
朝はどこでもないどこかへ出来るだけ心を空っぽにして支度をして、昼は心と食べ物で互いに心臓の不随意さを見出し、私たちは再び夜の冒険に繰り出す。
失恋とか友情とか愛情とか、
子宮では1人で居たくせに、
その一切を臍の緒で賄えない程の量を求める。
当時の私はさぞ心地が良かったんだろう。
産声を上げた瞬間、全てが空中に舞ってしまったような。
それを一つ一つ拾い上げることも出来ず、
会いたい人に会いたいと思われないことに、
黙って離乳食だけ口にすれば良いものを、
やけに熱い、やけに大きい、やけに複雑な料理を、
乾いた感情で皿から掬って取り分けて食べる私たちに、
その成長が一体何を意味するというの。
疑問が生まれると、神様が生まれる。
僕は今生きていますか。
神様のお気持ちが知りたいんです。
僕の不幸は僕だけじゃ抱えきれないけれど、神様はきっと共に背負ってくれていて、
それが僕にはとても不幸で。
あの子のあの子に僕がいるみたいに、
僕のあの子にはあの子がいて、
僕らは血や言葉や心で通じ合っているかもしれないのに、
突然意味の分からない人間に阻まれて、
出会うべきあの子に僕は出会えていないのかもしれない。
でもそれは僕のまだ生きていく理由にもならなくて。
何のチカラにも変えられなくて。
エネルギーにエネルギーが必要なように、
電気と水と火が必要なように、
相互に愛される方法を僕は知らなくて。
君が生きる道は君以外知らないのに、わかったような振りをして、わかったような顔で、わかりきった道を進ませようとしてくる。
本当はそうじゃなくて。
こんな言葉を綴りながらも、僕は僕のことしか考えていない。
だから、何も知らずに、でもまるで知っているような口ぶりをする。
温かくて柔らかくて、時に心臓が萎むくらいの、優しい言葉に身体中が包まれた時、
そうでない時、
大丈夫 という言葉が口を衝く。
好意が100パーセント好意ではない。
少なくとも1パーセント未満は、君へ向けた君以外の子の気持ちが入っている。
それを知った上で、或いはそれを知らずに、僕は了承して、愛が何なのかを絶えず天の川を失踪している。
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