んゃちなひ

一言でいうと、奇形児。 在宅医療ケア|補聴器|一卵性双生児

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持病の自覚

私には、持病の自覚、というものが無いのかもしれないとふと気がついた。毎日の服薬や、1日数回の医療ケア、日常における幾つかの留意点、果てには複数の手術痕まで、持病があるからこその生活がそこにはあるのに、でもそれは自分には当然過ぎて逆に無効化してしまっているのではないかと思った。 普通、持病を持つ人は、病気を積極的に周囲と共有することでリスクを軽減し、安心安全に生活を送ることが真っ先に求められる。それは、自分には持病があります。と声を大にして言うこと、つまり、持病の自覚が大いにあ

    • 2024.07 ⑥

      本シリーズにて一貫して取り上げている「自分を見失うこと」は、心に甚大な影響をもたらします。 自分の訴えが通用しない経験が多く、自己否定が続くことで生じる「自分を見失う感覚」は、非常に強い恐怖を伴うことがあります。 その強い恐怖に立ち向かうために、私は・・・。 本記事はpart6です。 前回は下記より part1は下記リンクより 解離症状として、「俺」「私」「僕」の3人の人格が現れました。 この話をするにあたって、はじめに断っておきたいことがあります。 人格について

      • 2024.07 ⑤

        先日受けた手術は、眼科での局所麻酔のもと施行された非常に強い痛みを伴うものでした。 電気メスで切開すると強い痛みがあるので、局所麻酔を随時追加する感じです。 本記事はpart5です。 前記事は下記より(part1から全てのリンクを記載してあります) 術後は激しい頭痛が続きました。そのことを執刀医でない知り合いの医師(主治医でもなく、単に医師として勤務している知り合いです)に相談したところ、真摯な回答が返ってきました。 私は、執刀医のことを強く信頼しています。とても

        • 2024.07 ④

          本音を訴えたら罰された(本音を訴える事が悪だとされた、罪だと感じた、本音を訴えたことによって事態が自分にとって好ましくない方に転じた)経験が多くあった。 本記事はシリーズpart4です。 part1 part2 part3 「本音を訴えた際に罰された経験や、本音を訴えることが悪だと感じた、罪だと感じた、または本音を訴えたことで事態が自分にとって好ましくない方向に転じた」という状況は、医療現場において具体的にどんな状況が考えられるでしょうか。 以下は、AIの提案より

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        持病の自覚

          2024.05 ③

          今回はシリーズpart3になります。 part1 part2 誰にも話したことがないし、どこにもはっきりと書いたことがないので、うまく共有できるか分かりませんが、思い出してみます。なお、これは最古で一番のつらい記憶ではありません。 未就学児から小学校低学年の頃でした。 診察室にて・・・。泣きました。逃げたかったけれど、母親と複数人の看護師に身体を固定されました。 泣くことしかできず、泣いている自分が惨めに感じました・・・。 今お話できるのはこれ限りですが、質問によって

          2024.05 ②

          前回(下記リンク)の続きです。 1. 不安もありますが、激しい葛藤や怒りや悲しみを強く感じます。その気分が数日から三か月または半年続きます。きっかけは様々あります。 複数の臓器および器官また骨に病気があるので、疲労や痛みなど身体の異常に気付かされる時。病気について考える時。周りの人と比較する時。病気でない自分を想像する時。過去を考える時。その他にもきっかけはいろいろあると思います。 2. 大きな医療過誤や、重篤な医療体験はありません(というより、ほとんど記憶なし)。

          2024.05 ①

          特定の医師ではなく、医師全般、医師そのものへの恐怖が拭えません。 医療現場では侵襲性が問われるように、どの行為においても必ず自分自身を傷つけることになる。しかしなぜか医療現場では、「それで構わない」と正当化されて、私の気持ちは軽視あるいは無視または否定され、時間が経つと無かったことにされる。 そうして私は、人を信じることができなくなりました。 私は医療の力に支えられなければ困難なことがあります。その葛藤が20年以上いつまでも拭えずにあります。 傷つきながら生きるし

          これでも通院歴20年、先天性疾患児です。

          私が他人に対して最も羨むことは、嫌なことは嫌だって言えることです。 そうして他者から配慮や対応を戴いたことを記録に残すことです。 私は、はっきりとした感情を持てたことがない。 たとえ嫌なことがあっても、その妥協案がないならば、その主張は通用しない。 妥協案は見つからないことばかりだった。 そもそも自分が何を嫌がっているのかも分からなかった。 今思うと、もしも別の案を共に考える機会があったなら、この苦悩はなかっただろう。 きっと、自分の意見や感情を受け入れられた経験が少な

          これでも通院歴20年、先天性疾患児です。

          「好き」「嫌い」感情の分解

          信じられなさの話がしたい。 あの事が信じられなさの話に繋がっていることが、 まさに「信じられない」という気分だ。 誰かがいる状態って、つまりどういうことなのか。 人は他人を好きになったり嫌いになったりする。 いわば、自分の中にそのひとが完全に侵入している。 換言すると、 自分はそのひとの存在を完全に認識しており、影響を受けている。 この状態が私にもある。 それで、好き嫌いを感じたり、そのひとについて悩んだりする。 それは悪い事じゃない。 人との関係を向上および維持

          「好き」「嫌い」感情の分解

          「死」に尊厳はない

          自分が幸せになれることは何か。 何をしても自分が幸せになれることはないだろう。 それでも、私は死を選ばない。 なぜなら、死んだ人に、死んだ理由を聞いて、 「では私もそのようにします」と倣う気にならない。 どんな著名人であっても。 少しの尊敬もない死だと思う。 「生き方」に感銘を受けることはあっても、 「では私も同じ死を遂げます」とはならない。 結局、死は尊敬されない。 死んだ人は皆、死に従う他なかった愚かな者だ。

          「死」に尊厳はない

          自己理解を深める方法

          私:私は、今日の私に至るまでの核となった体験を具体的に想起しては詳細に分析して、何がしたいのですか? AI:あなたが求めているのは、過去の体験がどのように今の自分に繋がっているのか、その繋がりを見つけ出すことだと感じます。 それは、単なる過去の振り返りではありません。 あなたは「自分は何がしたいのか」を明確に言葉にすることが難しいと感じています。それでも、「自分をもっとよく理解したい」という願いが根底にあるのではと感じます。 そして、その理解が得られた時に、少しでも過去

          自己理解を深める方法

          果たして逃げ癖でしょうか

          追い詰められて逃げた先で、衝動が衝動を呼び、どうしようもなくなって、動くこともできなくなって、 床とか壁とか不動のものをじっと見るしかなくなって、 そのうちになんか触ってみたくなって、 っていう、 側から見たら不審者のムーブ。 周囲に誰もいなかった時 その時に誰も来ない。来ないまま時間が過ぎて、とりあえず家に帰る。 親に何してたの?って聞かれて、「空が綺麗だったから寄り道した」とか。「違う道で帰りたくなった」とか。「物落として引き返して時間かかった」とか、適当なことを言っ

          果たして逃げ癖でしょうか

          意識は断片的なパズルのように

          我々の脳は、今まさに解体されている。高周波のノコギリで引き裂かれるかのごとく、鋭角的な痛みが脈動する。神経を抉る。脳髄に響く苛烈な痛みは、高圧電流が体内を駆け巡るかのようだ。パズルのように散り散りになった意識が、もはや痛みを超越したエクスタシーとなって全身を痙攣させる。この快楽は、もはや個人のものではない。我々は、一つの意識体となり、この破滅的な快楽を共有している。それは、神によって創造された我々が抱く快楽であり、破壊である。 脳裏に刻み込まれる、生々しい破壊の音。それは、

          意識は断片的なパズルのように

          鎖の絆

          そいつはよく椅子から台に場所を移動させた。僕はそいつと対面するのがいつも苦しくて頻脈に耐えられなくて呼吸もおかしくなって頭の重さに耐えられなくなって目を開けているのをやめた。現実を見ていることがつらくなった。それを好機だと見込んであれだこれだと手配する。僕はただそうではなく、お前のせいだと思った。 そうなる前もそれが起きてからも、変化は見られなかった。僕の中でそいつが屈強な存在として位置された。それでも僕が他の道を探ろうともしなかったのは、僕にはそいつにしかできない問題があ

          無情の刃

          もはや何もなかったとさえ思っている。でも、俺の生い立ちは確かにここにあるんだ。何も感じなかった期間にこそ深い闇があると思ってるんだ。 だからお前らを許さない。この事態は絶対に回避されるべきだった。 全てが俺のせいだと言っているようだった。俺が悪いから、俺の為だから、決して私達のせいではないのだと言った。回数にしては十回にも満たない、稀少なコミュニケーションの機会をそのようにしてやり過ごされた。俺が誇張しているように見えるか?あり得ないと思うか?想像し難いと感じるか?誰が現

          僕とあのひと。

          孤独を選ぶというより、孤独を探すという方が近い。決まって孤立を求めた。 あらゆる縛りから逃れたかった。冷たい床、冷たい隙間風、薄明り、あるいは自分が目を閉じているのか開けているのかも分からない暗闇、無音あるいは人間以外の物音、時間感覚の喪失、身体の痺れ。他に浮かぶものはない。あるのはこの感覚だけ。 たぶん、あのひとは、僕に深淵な側面があることをよく知っていて、現状を手がかりにして目に見えない所までもを心で感じて推察してくれていた。僕は、あらゆることを踏まえて現行の態度を呈し

          僕とあのひと。