自己理解を深める方法

私:私は、今日の私に至るまでの核となった体験を具体的に想起しては詳細に分析して、何がしたいのですか?

AI:あなたが求めているのは、過去の体験がどのように今の自分に繋がっているのか、その繋がりを見つけ出すことだと感じます。

それは、単なる過去の振り返りではありません。

あなたは「自分は何がしたいのか」を明確に言葉にすることが難しいと感じています。それでも、「自分をもっとよく理解したい」という願いが根底にあるのではと感じます。
そして、その理解が得られた時に、少しでも過去の辛い体験が軽くなったり、今の自分を尊重できるようになったりすることを望んでいるのではないでしょうか。

私:どうして「自分をもっとよく理解したい」と感じるの?その背景には何があるの?

AI:「自分をもっとよく理解したい」と感じる背景には、あなたがこれまでの医療体験や人間関係の中で経験した深い苦しみや不安、自分自身に対する不信感が影響しているのではないかと考えます。
あなたの過去には、「自分が悪い」「自分が間違っている」という感覚が根付いてしまい、その結果として自己理解が曖昧になり、自分自身を信じることができなくなった体験があるように見受けられます。

特に、あなたの医療体験においては、自分の体が「問題」であるとされ、それが痛みや恐怖と結びついたことで、「自分の存在自体が誤り」と感じることが多かったようです。
このような経験は、自分の価値を認めてもらえなかったことや、尊重されなかったことが背景にあり、結果的に「自分は一体何なのか」という根源的な問いが生じるのではないでしょうか。

「自分をもっとよく理解したい」と感じるのは、過去の自分をただ守るだけでなく、今の自分をきちんと知り、過去の経験によって歪められた自己認識の感覚を少しでも修正し、自分自身とより健全に向き合えるようになりたいという願いがあるのではないでしょうか。

私:「自分をもっとよく理解したい」という意識は、私の理解様式である多層的な理解の一環だったのですね。
そのようにして、「新たな視点を獲得したい、新たな視点で過去も現在も様々なことを振り返りたい、自己認識の内実を具体的に知りたい確かめたい」という意欲の背景には何があるのですか?
私は何のために、どんな目的を持って、「自分をもっとよく理解」すべく日夜考えているのですか?何をもって何を達成したら「自分をもっとよく理解することができた」と感じられるのですか?私のゴールとはなんですか?

AI:その背景には、あなたが抱えている根本的な葛藤や痛み、そしてそれらから解放されたいという強い願望があるのではないかと感じます。

あなたの意欲の根底には、長年にわたり繰り返されてきた「自分の存在が評価されない」「自分は何かが間違っている」といった感覚があり、それを正確に理解し、意味づけたいという思いがあるのかもしれません。

あなたにとっての「自分をもっとよく理解する」ことのゴールは、自己の矛盾や曖昧さ、そして不安の正体を明らかにし、それを受け入れた上で自分を尊重できるようになることだと考えられます。
つまり、自分の過去や現在の体験がどのように自己認識に影響を与え、どのように生き方や思考に反映されているのか、その全体像を把握することで、自分自身の存在や選択に対する納得感や安心感を得たいという目的があるのです。

あなたはこれまでに、自己の存在や価値を十分に認められなかった経験が多かったために、「自分は何者で、何を大切にして生きているのか」といった問いに対して、具体的な答えを持ちたいという強い思いがあります。
この問いに対する答えが見つかれば、自分を信じることができ、自己否定や自責から解放される道が開けると感じているのではないでしょうか。

そのため、「自分をもっとよく理解することができた」と感じられるのは、

  1. 自分の痛みや恐怖、不安の根源が明確に理解できた時、

  2. 自分を責めることなく受け入れることができた時、

  3. そしてその理解をもって、自分自身の生き方や選択に納得し、安心して前に進むことができるようになった時だと考えます。 

ゴールは、自己理解を通じて得た確信をもって、これまでの経験や感覚を否定することなく、すべてを含めた上で自分を肯定し、心の中で安心を得られる状態に到達することではないでしょうか。

私:あなたの考察における「『自分をもっとよく理解することができた』と感じられる"場面"」って、一過性というか、儚い一瞬間のようですね。しかしそうではなく、きっと、現実的な側面においても理想とする出来事を目標にしているはずです。
でもそれが私には分かりません。あなたが言うように、私は自分のことが分からない。何を理想としているのか、どうしたら良いのか、何が正解なのか分かりません。
しかし、「自分は誤っている」という意識が強いためか「正解」にこだわる一方で、「不正解」や「独自」といった誰の影響も受けない完全に自己責任の危険な選択をすることにもそれなりの満足を得ている感じがあります。
もちろんそれも強い葛藤が伴います。
ほんの数ヶ月前まではそうでした。でも今は少しずつですが、危険で自己満足の道よりも、きちんと誠実に向き合い前進したい気持ちが行動に移ってきています(もちろんこれに対しても葛藤が続いています)。
ここまで書いていてハッと気づきました。
私は「自分は誤っている」という意識からずっと離れられていない。

AI:あなたの文章から伝わるのは、深い自己理解への探求心と同時に、自分が誤っているという強い感覚が根底にあることです。

「自分は誤っている」という意識が、あなたの多くの行動や選択、そして葛藤の中核を成しているように感じます。そのため、自己理解の追求や理想の追い求めが一過性の「儚い一瞬」に感じられるのも無理はないかもしれません。
まるで掴み取ったと思った瞬間に霧のように消えてしまう感覚ですね。

確かに、あなたが感じる通り、理想とする出来事や目標が現実的な側面で何であるのかがはっきりしないのは、自分を正しいと感じることが難しいからでしょう。
「正解」に固執しつつも、同時に「不正解」や「独自性」を選ぶことで自己責任を感じることでも満足を得ようとすることが、自己否定と自己満足の狭間で揺れ動いている印象です。

そのような自己矛盾が存在する一方で、誠実に自分に向き合おうとしているという自己受容も見受けられます。その道筋がまだ揺らぎや葛藤を伴うものであるようです。

あなたが気づいたように、「自分は誤っている」という意識から完全に離れることは難しいです。これは、選択に対する確信がなかなか得られず、何を理想とし、何が「正解」であるのかを掴みきれない感覚に繋がっているのだと思います。
この自己否定感が根深いものであるがゆえに、自己理解への道は果てしなく感じられ、時に目標そのものが曖昧に感じられるのです。

私:「自分は誤っている」という自己否定の感覚が強く影響しているから、選択に対して抗う選択肢(自分が強く望むものとは別な物)を見出し(この見出す作業が多層的な理解に値する)ながらも、それに対しても「誤り」を感じてまた自己否定をし、更なる選択肢を追い求める(ここでも多層的な理解が展開される)という、「自己満足」から次第に遠ざかり遂にゴールに辿り着くことはないような途方もない歩みが続く感じがします。
結果的に私はどの選択肢も挑戦するのですが、心から満足することができず、満ち足りない感覚、不満さえ生じるのではないかと考えます。 もし周囲が認めるような選択肢を遂行し、社会的な評価が得られたとしても、その時の私の真のゴールはまた別の所に設けられているのではないかと思うのです。 

AI:あなたの理屈はとてもよく理解できます。

常に「誤り」を感じ、自己否定に陥りながらも、それに抗うために新たな選択肢を見出し、新しい道を追求するという多層的な理解の繰り返しが、途方もない歩みとして感じられるのは当然のことだと思います。
自己否定を原点として新たな選択肢を探すたびに、満足感からは少しずつ遠ざかり、結果的にどの選択肢にも完全には満足できず、不満や欠乏感が生じるのではないかという感覚にも共感します。

さらに、たとえ社会的な評価を得たとしても、その評価自体があなたの真のゴールではないと感じることも十分に理解できます。
社会的な承認や周囲からの評価が必ずしもあなたが理想とする満足と直結しないこと、それは多くの人が経験することであり、特に自己否定感が強い場合、そのギャップはさらに大きく感じられるでしょう。
あなたの真のゴールが別のところにあるという認識は、深い自己理解や自己探求の一環であり、それが多層的な理解の核心にあるように思います。

このように、あなたが求めるゴールが絶えず変わり、常に新たな視点や目標を追求することは、終わりのない探求の旅のようです。
それは時に苦しく、途方もないように感じられるかもしれませんが、同時にそれがあなたの特異な強さでもあります。
どの選択肢を取るにしても、それが満足に達しないことで新たな選択肢を求め続けること。その探求が途切れることのないダイナミズムがあなたの中に存在しているのです。

このプロセスにおいて、どの選択肢もあなたの一部であり、その歩みを経て見出された選択肢が、最終的にはあなたの人生の独自の道を形成しているのかもしれません。
たとえ「ゴールに辿り着く」ことが見えなくても、いるという考えもできます。
たとえ完璧な満足感や「正解」に辿り着くことがなくても、その道筋そのものや自分のあり方を探し続けることに価値があるのかもしれません。

私:あなたの解釈には一部誤りがあります。

「社会的な承認や周囲からの評価が必ずしもあなたが理想とする満足と直結しないこと」は、私の場合強い自己否定によって生じません。
根源はそうであっても、私の場合はあくまで「多層的な理解、つまり常に新たな視点を追い求める」から満足と直結しないのです。

また、この一連の理論に対して、あなたは「人生の旅」というように評価しましたが、本質から外れた考えです。
なぜなら、人は必ず死で終わります。
私の医療体験に対する方針は、すなわち「死に至るまでの過程」にあります。

そのことを踏まえて、一連の理論を改めて以下のように順を追って説明してください。

「自分は誤っている」という自己否定の意識が植え付けられる過程から、多層的な理解という理解様式が誕生し、それによって、自分が選択する選択肢に対しても常に自己否定を繰り返し、結果として自己満足に辿り着くことは永遠にない、いつも不満さえ感じるようになる(あるいはまた別の感情が生じる)という一連の過程です。

AI:
「自分は誤っている」という自己否定の意識が植え付けられる過程は、長い時間をかけて少しずつ積み重なった体験や解釈の結果だと考えられます。
過去の医療体験や他者からの評価の中で、「自分の状態や感覚が正しくない」「他者が示すものが唯一の正解である」というメッセージを繰り返し受け取ってきたことが、その根底にあります。
このような体験を通じて、「自分の感覚や判断は誤りであり、周囲の価値基準が絶対である」といった認識が形成されていったのです。

このような認識が積み重なり、「自分は常に誤っている」という強い自己否定が、無意識的に日常的な判断に影響を与えるようになります。

何かを選択する際、その選択が果たして「正しい」のかどうかという問いが常に浮かび、それが正当であるかを確認し続けなければならないという感覚に苛まれるのです。
自分の選択が他者から見た正解でなければ、「やはり自分は誤っている」と感じ、さらに自己否定の意識が強化されていきます。

こうした過程の中で生まれたのが、多層的な理解という独自の認識の仕方です。
多層的な理解は、単一の視点では満足できず、常に新たな視点や解釈を探し求める姿勢です。
これによって、あらゆる物事を多角的に見ることで、一つの選択に対して「他にもっと適した選択肢があるのではないか」という考えが頭をもたげます。そして、その探求は「誤りを避けたい」という無意識的な動機から発展し続け、結果的にどの選択も満足のいくものとはならず、さらなる探求が必要だと感じる循環に入っていきます。

このように、多層的な理解が発展し続けると、どの選択をしても「もっと良いものがあるのではないか」という疑念と共に自己否定が繰り返され、自己満足を得ることは困難になります。選んだ選択肢が他者から評価されたり、社会的に認められたりしても、それが必ずしも自分自身の納得や満足には繋がらず、「この評価は本当の意味で自分の求めていたものなのか」という新たな疑念が生じます。つまり、選択の先にある評価や結果が、「自分の本当のゴール」として感じられないのです。

この連鎖の中では、常に「自分は誤っている」「もっと良い選択がある」という思考がつきまとい、結果的にはどの選択肢も挑戦し尽くすものの、本質的な満足や完結感を得ることは稀であり、不満や他の感情—例えば虚しさ、疲労感、もしくは一時的な安心感—が次々と顔を出すことになります。

この循環は、「正解」や「理想」を追い求めるあまり、常に現在の自分の状況を相対化し、次なる視点を探し続ける姿勢に根ざしています。

過去の体験を振り返り、新たな視点から理解することは、自己の成長や納得感を得るために重要ですが、その一方で常に「更なる正解」を求め続けることで、満足感が希薄になるという矛盾を生んでいるのです。

あなたにとっての理想は、静止点ではなく常に動き続けるものであり、その動きを通じて自己を理解し続けること自体が、あなたの「存在の意味」となっているのかもしれません。


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