生きる意味や理由がみつけられない
昨年12月の中旬、私の住む地域は強風にさらされた。ゴゥゴゥと吹きすさぶ風音に家が軋み、飛ばされまいかと心配になった。そんな折、遠方で鳴るサイレンが耳に響いた。「どこかで火事かな」と家族に語る。ちょうどテレビでは、大阪駅前のビル火災で多くの犠牲者が生じたとのニュースが流れていた。
火事に限らず、登下校中の交通事故に巻き込まれる子供たちや、豪雨や地震などの自然災害の被災を受けた人々のニュースが流れる。そういう痛ましい姿と出会うときに思うのは、明日の私が無事であるという問いである。毎日、漠然と平気だろうと考え過ごしているものの、本当に無事であるという保証はどこにもないのが現実ではないだろうか。
私たちは、事件のときは110番、火事や急病人の場合は119番ダイヤルと知っている。もし「生きる意味や理由が見つけられない」とき、私たちは何番のダイヤルを押したら良いのだろうか。
仏教の開祖である釈尊のテーマは、誰もが避けて通れない老病死という問題の解決にあった。老病死の苦を現代の言葉で置き換えると、孤独・無力・不安・絶望・耐え難い退屈・抑えようのない遣る瀬なさと言えるかもしれない。
このサイトを訪れてくれた仲間たちよ。覚えていてほしい。釈尊自身が深い悲しみという名の闇を心に背負い、明日の保証もない中、解答を求めて一人出家したことを…。
仲間たちよ。忘れないでほしい。「生きる意味や理由が見つけられない」と思うあなたの眼は、釈尊と同じ岸辺に立ち大海原の彼方にある、まだ見ぬ気づきの岸を見ているということを…。
仲間たちよ。知っておいてほしい。私たちの心の闇夜を晴らすきっかけが智慧の光であるということを…。
Watashiより
【ちょこっと仏教(光は智慧の象徴(ひかりはちえのしょうちょう)】
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