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掌編「西からの使者、空に。」

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星語《ホシガタ》掌編集*12葉目

(4352字/読み切り)

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空は夜でもなく昼でもなく、なんというか“灰”だった。

遠くの方で、ゴゴ…と不穏な音が響く。

西の空だけがまるで大きな蛍光灯を消し忘れたような、うるうると不気味な白さのまま、ずっと沈みもせず、満ちもせず、欠けもせず、ただ往来のわたしたち、虚無、空っぽの横顔を薄暗く照らしていた。

───買い出し用のリュックを背負って、寝癖も直さずショートパンツと寝巻き代わりのでかいTシャツ姿で何も考えずふらふらと出てきたわたしは、かれこれ2時間ほどポカンとしていた。

≪この星があとちょっとで滅びてしまう。≫

どうやらそういうことみたいだ。

わたしがそのことを知ったのはアパートから一か月ぶりぐらいに保存食が尽きてしまって、やっと買い出しに出た、───そう、今日だった。滅びるカウントでいうとあと1日ぐらいのあたりだそうだ。

───久しぶりのシャバの風はいつの間にかぬるく、湿気を帯びていた。小説が生業のわたしの暮らしぶりは偏屈そのもので、油断してたら季節がまるごと一つ飛んでる事なんかざらだった。

「あ“~…まぁ…」ばりばりと頭を掻く。

地球なんか何億年もこの宇宙にいたのだ。たまにはそういうこともあるかもしれない。

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店という店に「世界が滅びる為、休業」という張り紙。どの店もイナゴでも通り過ぎたように、すっからかんになっていた。

往来をうろついてる人種は、しょぼくれた脱け殻みたいなおじさんばかりで、おかしな光り方をしてる西の空を呆然と眺めているだけだった。

女の人は見当たらない。わたしは一応武器というかカッターをポケットに隠し持つことにした。

こういう世紀末っぽい展開だと、獣どもが、メスだ。メスを狩れ!生け捕りにしろ!とか言って獲物を探してたりするからなぁ。う〜セックスセックス…。

腹がグゥと鳴った。

「あ~…」
「しまったなぁ…」

最後に何かおいしいものとか食べて死にたかった。

それにしても、わたしもこのなんにもないような往来のおじさんたちを馬鹿になど出来ない。かつては良くしてくれた友達も、そして恋人も、わたしの周りから去っていったあとだった。

ふと思い出す、昔どこかで読んだ物語。地球が滅びる前に徒歩で大切な人に会いに行く恋のお話。

(…大切な人かぁ)

かつての恋人のシャツの匂いを思い出す。最後にもう一回嗅ぎたいなぁ。とも思うけど、隣の県まで迷子にならずに行ける気がしない。

(でんわ…)

ちょうどネットでの些細ないざこざがしんどくて、ケータイを床に叩きつけてそのまま一か月ぐらいアパートに引きこもってからの納得の展開だった。

思えばこの世界に受け入れてもらえた。なんて思えたことが一回もなかった。錯覚ならたくさんあった気もするけど、掴もうとした手のひらを開いてみても、残り香が風に乗って流れていくばかり。

もういいや…こういうのもあと──────

(あと1日…)

逆に少し気持ちが軽くなる、やっと誰からも理解されないままの人生が終わるのだ。本当はもうちょっと小説が書きたかったけど、後悔がないぐらいの量は書いていた。

わたしは少し考えて、カッターをリュックに戻した。

例えば滅びるのがガセだったとしても、どこかのおじさんどもとまぐわうぐらい、まあ別にどうもない。と思ったからだ。失うものなんか大してない。もしかしたら気持ちいいかもしれない。

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ヘイ、アンクル、いつでも来いよ…とか多少力みながらペタペタとクロックスで終末の町を散策すると、見事に誰も寄ってこない。まあこなきゃこないでいいのだ。多少傷つきながらも、寝癖がピョンと返事をした。

思ってたより、絶望してる風の人が見当たらない。よく考えてみたら絶望というのは、望みを絶たれたって書く。

表に出て空を眺めてるだけの我々には、もともと望みらしい望みなんてないから、この星が終わるぐらいでは絶たれないのだ。

逆に言うと絶たれた。なんて思えるうちは、まだ希望があるってことだ。そういう人は今頃、家族とベランダで豆乳鍋でも喰って咽び泣いてるんだろう。

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ダラダラと歩き回ってるうち、がらんどうの小さな売店から、缶詰と賞味期限切れの4つ入りのロールパンをやっとget出来た。パンは3週間前のもの。ヤバそうで一回捨てたんだな。という感じのところに隠れていた。硬くなってたけど、嗅いでみたら大丈夫そうだった。

缶詰…。アパートに帰れば缶切りがあるけど…と来た道を戻ろうと振り向く。不思議なことにさっぱりどこから来たのか忘れてしまっていた。方向音痴だからではなく、記憶の欠損みたいな感じだ。もう一回言う。方向音痴だからではない。

諦めて缶を石でガスガス叩く。ラベルには“ツツジの蜜ジャンケン“とあった。なんだこれ…ジャンケンって食べれるのもあるのか、どんな味なんだ…。面白そうだ、そうだ、コイツを食べてから死のう。きっと成仏出来る。

───3分ぐらいは格闘した。

が、唐突にわたしは缶を力いっぱいアスファルトに叩きつけてしまった。イライラしたくて開けようとした訳じゃなかったのに、バカみたいだ。

少し遠くへっこんだだけで済んだ缶がわたしを憐れむように見ていた。

まぁいいや…こんなのもあと1日だ。

風に吹かれトトト…と紙袋が歩いてきたのでなんとなく捕まえて、なんとなく裂きはじめることにした。

イライラした時、紙を破ったり、物を壊したり、皿を割ると少しだけマシになる。いつの間にか、わたしの癖になっていた。

とにかく細かく、細かく。破ってはコンビニの袋に詰めていく。破る所、壊せる繊維がなくなるまで、取り憑かれたように、ずっとずっと。

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「缶切り、使いますか?」


振り向くと素足に病院服、トイレのゴムスリッパ。という出で立ちの、なんというか縦に細長いおじさんが、おずおずという感じで立っていた。

わたしは西の空をため息混じりに眺めながら

「ありがたいですがもういいです」
「その缶詰はあげますから…」

……見てたならもっと早く言って…といったニュアンスが伝わってしまったのか、

おじさんは若干慌てながら、
「いや…、タイミングが掴めなくて…」眼鏡をかけ直した。いかにも損しまくってそうな人だ…。

缶を拾ってぐいっと突きつけ

「蜜ジャンケンの缶詰」だそうですよ。

帰ってくれ…。

おじさんはプーっと噴きだして
「それはジャンケって缶詰メーカーが出してるツツジの蜜缶ですよ」

わたしは出来るだけ平静を装って「し、知ってましたけど…」と誤魔化した。なんだよジャンケン味じゃないのかよ。なんだよ、なんだよ…。

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西の空がよく見える高台の20m道路の縁石に座った。ガードレールの先にガタガタと広がる町並み。目を凝らすとところどころ家々に明かりが灯っていた。

少し遠く諦めきった人たちが、ろくなことがない人生だったなぁ…と、一様になにかに浄化されて楽になったような顔をしていた。

不気味に白く光る彼方。

縦長いおじさんはイリリと名乗った。入利とか書くんだろうか?どうでもいいけど。

「最後にお嬢さんと話せて良かったな」プラスチックコップに飲料水を入れて勧めてくれた。

わたしは出来るだけ平静を保ちながら「そ、そ、そりゃどどどどうも」とクールに返した。パンを水で流しこむ。思ってたより幸せな気持ちになれた。

なんでこの人、こんなちゃんとしてそうなのに、この終末に独りなんだろう。あれこれ聞きたくなったけど、なにを聞いても野暮になる。

「わたしは一か月ぶりにニンゲン界に食料調達にやってきたら、このありさまでしたよ…」イリリはまた勝手に笑い始めた。

「西の方はすでに”存在しない”そうです」

へぇ…?

缶詰を開けたら、ピンクの花がそのまま3輪入ってて、ツツジのいい香りがした。どうやって食べたらいいのかわからなそうな顔をしてたら、子どもの頃みたいに、吸うんですよ。と教えてくれた。

子どもの頃、石を投げられて、植え込みに隠れ、堪えながらひとりツツジの蜜を吸って、大丈夫って笑った思い出。

「ロールパンにつけて食べようと思ってたんだけど…」

あーあとか言いながら吸い終わった花を耳に挟んだ。なぁに枯れ木も山の賑わいだ…。イリリの方をチラッと見たら何故か安らいだような顔をしていた。


──明日はもう来ないらしい。



「終わる時ってこんなもんなんですね」
だんだん近づいて来てるような西の空をふたり仰ぐ。

「地球滅亡の理由は核か隕石なのかなぁって思ってたとこあったのに、なんなんだろうコレ…」

分かりやすいようなゴロツキもいない。みんな世界の果てを沼みたいな思考の中、ただ、ただ眺めてるだけだった。

わたしはまたコンビニの袋から破ってる途中の紙袋を粉々にする作業にかかった。

「ボクは…」暫くの間の後
「………やっと家族に会える」

イリリは細く骨ばった手で目の辺りを押さえた。

死別か…。粉々になった紙を少しずつ空に放つ、流れて風のカタチの白い帯を作っていった。

「フーン」
「わたしはイリリと最後にセックスしたいな。とか、なんとなく思ってたんですけどね」付け入る隙もないってやつか。

イリリは目を白黒させながら

「…滅亡しないかもしれないんだから。ヤケになったらダメですよ」とか言って、いっぱいの咳払いと共に縁石に座りなおした。

ひらり、さらり。紙吹雪が風を縁取る。まるでこの世界の終わりを祝福するかのように舞った。

「でももういいや」
「やっと明日が来ない日が来るんだから」

西の空がさらに近づいた気がした。わたしは空っぽの瞳で薄く笑った。

「ね、ジャンケンしよう」

───さっき食べそびれた想像上の缶詰。

薄暗い空の下、蛍光灯みたいに不自然な、西からの光。

じゃーんけーん…

紙吹雪がいっそう舞い散って光に吸い込まれていった。

空に向かってふたりともパーを出した。まるで掴めなかった何かを、手放したかのようだった。

少し先、さっきまでいた人たちや、樹々が光にのまれはじめていた。どうやらもうすぐそこに”その瞬間”がやって来ているようだ。

「わたし」
「わたしね」

目の奥がツンと赤く膨らんで光の彼方、ゆらり、揺れた。遠くそびえていたはずのビル街はいつの間か霞んで飛んでいた。

「こんなでも…」

どうしてこんなことを言おうとしてるのか、よくわからないまま気持ちが溢れた。

「よ…、よく生きようって」
イリリの腕を掴んでしまった。

「ど、ど、努力だけは……」
「したんだ…」


せきを切ったように、わからないなにかが頬を伝った。
(ジャンケンの味ってしょっぱいんだな…)

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閉じる、綴じる。
面倒くさく、どうしようもなく、そしてきっと美しかったこの世界が。

この星が終わったら、またいつか始まるんだろうか。ウロボロスの尾のように、始まりも終わりも、そもそも境目なんかないのかもしれない。

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光の中、輪郭が溶ける瞬間。イリリがわたしをぎゅっと抱きしめてくれた。


────足元が、ぐら…とめくれたのを覚えている。




─了─


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夢を文字起こしして、読み物として調整したもの。書きおろし。
(c)mamisuke-ueki/2019
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