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中学校の理科の先生が大嫌いだった

 中学2年生のとき、理科の授業を担当していた先生のことが大嫌いだった。(正確に言うと現在も。)なぜ嫌いだったのか、何が嫌だったのか思い返してみて分析することにした。

 この先生は“ポイント制度”を利用して授業を進めていた。ポイント制度のルールは次の通り。


➀挙手をして当てられ、発言できると1ポイント

②授業終了後ノートを先生に提出し、
   内容によって1~3ポイントが付与

➂ポイント合計値が、
   期末に配布される成績評価に反映される

 
  このようなルールで行われる授業はどうなったか。ほとんどの生徒が我先に「はい!」と、大声を出しながら勢いよく手を挙げる。発言によってポイントが与えられるため、存在アピールにも必死になる。さらにノートの中に入ってしまうんじゃないか、というくらいの勢いで板書の内容が書き込まれていく。

 はたから見ると熱心な生徒が集う、やる気に満ち溢れた授業だっただろう。だが私には異様な光景にしか見えなかった。他の授業では居眠りしたり、お喋りに夢中な生徒たちが、この理科教師の前では言いなりになっている。ワクワクした顔で完璧に仕上げられたノートを先生に差し出している。気持ち悪い、と私は感じた。

 「評価」という餌を褒美に作られたルール下では、人はこんなにも必死になれるのかと…。取り繕うことが重要な中学生でさえもだ。

 この教師は毎年毎年、自分が持つクラスでこんなことをしているのか。生徒たちが言いなりになり、教師に対して猛烈にアピールをする。こんな光景を見ながらずっと授業をしてきたのか。自分が設定したルールに、必死に従う生徒達を見て何を感じていたのだろうか…。そう思うと、教師に対して大きな嫌悪感をいだいた。大嫌いだと思った。

 そして私はこの教師の授業には一切参加しなかった。席には座っていたが、手を挙げることもしないし、ノートも1文字たりとも書き写さなかった。結果、1年通して私の成績評価は5点満点中“2”であった。期末テストは受けていた(といっても20~30点ほどだが)ので、“1”はつかなかったようだ。が、私の学校ではよっぽどのことがないと、2以下はつかない。なので友達には「授業真面目に受けんけえよ~」と呆れた反応をされた。

 もちろん当時は中二病真っ盛り。ひねくれた見方をしていたことは否定しない。この教師のやり方が世間的に良いとも悪いとも思わない。が、こうして当時の光景を思い返してもやっぱり気持ち悪い…。今の私がそのまま過去に戻っても同じ対応をしたと思う。

 中学時代を回想してみて分かったことがある。私は人参には興味を示さない、むしろそんなものに釣られるか!と憤る馬だということだ。これは今でも変わっておらず、給与が増えるとかボーナスがもらえるとか…そうした褒美で心は動かない。お金や物に自分の行動や考えを左右されたくない。そして、そんなもので安易に人の決定に影響を与えたくない。

 だが人参ぶら下げ作戦の良し悪しを、評価できるほどの人間ではないので、否定も肯定もしないと改めて表明する。成果を上げる手段として、上手く活用されている例も多くあるだろう。あくまで私は好きじゃないだけだ。

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