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2023年は気付きと内面の変化が大きい。ここまでの心境を纏めてみようと思う。

思うことを全部書いてしまいそうなので、なるべく端的に書いてみる。
ナレーターの道が閉ざされ真っ暗闇になったが、友人の言葉で何か運動系の資格を取ろうと奮い立たせた。
恐る恐る申し込み、その後は猛スピードで進んだ気がする。
虚無の数ヶ月を塗り替えるように自主練に取り組み無心になった。
そして今、インストラクターをしている。私の中で、トレーナーは指導者寄りで、イントラは現役に近いイメージを持っている。
故障後もトレーナーはやれたが、まさか再びイントラをするとは考えていなかったから、自分でとても意外だった。
やるからには自身もある程度、鍛える必要がある。トレーニングをしていて、
たまに不思議な気持ちになる。引退したダンスほどの負荷ではないとは言え、
またこうして筋肉と向き合うことになるとは。
リハビリでなら向き合って来たが、マイナスを0にではなくプラス方向に鍛える意味では久しぶりだった。
人生って分からない。
その時々の状況でやれることは変わるものだから、
ずっと、という言葉は軽々しく使えないけれど、「今」やらせていただける流れなのだから、悔いのないように指導したいな。

次は役者の話。
舞台に立つ気持ちはないことに変わりない。
ただ、しつこく夢(睡眠中の)に現れるのが舞台の、と言うより「役者の」自分だった。それをこれまで否定し続けていた。何でこんな夢ばかり見るのか?本気で分からなかった。
それがつい先日、なーんだ、と分かった。
自分が何者なのか?と考えた時、その場に応じて皆色々な役割があると思う。
私の場合、そのベースが「役者」という呼称だっただけのこと。
ダンサー仲間と居ても、イントラ仲間と居ても、トレーナー仲間と居ても、友人知人と居ても、ピンと来なかった。近いところに居るのにどこかが交わらないような、少し異質な感じと言うのか…そういう意味ではナレーター仲間と居る時もそうだった。それがずっと分からなかった。

先日、久しくイベントの現場で初めて会った方に何となく同じ空気を感じた。
あれこれ話していたら、その方は役者だった。
そう言うことだ。

何だろう。どこか劇団に属するとか、また舞台に立つとか、そうではなく。
ただ属性が分かっただけだ。
それが、自分で自分を受け入れられたような感覚で、久しくとてもクリアな気分になった。
林檎が苦手だと思っていたら実は好きだったのか、なーんだ、そっか!みたいな感じ。

林檎が好きと分かってさてどうしよう?と思わなくもないが、分かっただけでも充分幸せだ(役者に対する厄介な自己否定が解けたのだから。口では役者だと言っていても心の中での反発が激しかった。ぞれが消えた幸せ)。
今は今やれることを、やらせて頂けることを優先して、この先の道を作って行けたらなと思う。
凸凹道を歩いて来た身としては、私がこう!と決めたところでそのように展開するとは限らないのだから。決め過ぎないで歩く方が個人的には好ましい。

そんなこんなで、スタエフのりずむチャンネルを整理した。
作品と作品っぽい雑談?は残した。
通常の雑談は消した。一つずつ消すしかなくて、古い題名に行くにつれて声の勉強に励んでいた日々が思い出された。
私の中で、スタエフを始めた切っ掛けが、声の勉強だった。
ほんの数年前と思えないほど、変化と気付きが多かった。出会いと別れも。
クリアになった自分で、この先の道を作って行くには、何となく、ナレーターを目指していた自分の雑談は整理したいと思って。
余談。発声と滑舌の基礎は、指導時にとても役立っている。

まだ今年は4ヶ月ある。
変化して行く中で、変わらないものもあって、一冊の本みたいだなと思う。
また数年後には何か気付きを得ているのだろうか?
今回は日記みたいな感じで書いてみた。

いつもありがとうございます。

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