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踏切の向こう側(前編)

 夏の終わり、僕は、ようやくそこにたどり着いた。遮断機が警報音とともにゆっくりと降りていき、赤いライトが、周りを照らしていく。しばらくすると、電車があっという間に通りすぎていった。遮断機が上がると、また静けさが続く。
「渡らないのですか」
 僕の問いかけに、藤沢珠樹は静かに呟いた。
「向こう側へいく勇気は、まだ私にはないんです」
 彼女は、そういうとその場で立ち尽くしていた。

※※※

「ごめん!寝坊した。待ち合わせ30分ずらせないかな」
 慌てて送ったメッセージに、ひなこからは、「ゆっくりでいいよ」と返信が返ってきた。これが最後のやり取りになるなんて、半年経った今でも、僕は受け止められないでいた。
 ひなこは、この踏切で死んだ。高齢女性が踏切内で転倒し、それを助けようとしたようだと、警察から聞かされた時、僕は、あの時、寝坊さえしなければと自分を責めた。高齢女性も、結局は助からなかった。
 高齢女性の孫・藤沢珠樹は、泣き崩れる僕に、ただ、頭を下げ続けた。彼女が目を離した隙に、家を抜け出したらしい。認知症を患っていたと聞いても、僕は怒りを抑えきれなかった。
「あなたが!ちゃんと見ておけば、ひなこは死なずに済んだんだ……」
 僕の怒鳴り声を、藤沢珠樹はただ黙って聞いていた。

 祖母が、母親代わりをしていたらしい。そんな話を冷静に聞けるようになったのは、ほんの数ヶ月前だ。塞ぎ込む僕を心配して、ひなこの弟が、僕の家を訪れていた。
「あれから半年以上も経つんだ。悠人さんも、前を向いて欲しい」
 ひなこの両親も弟も一切、言葉で僕を責めなかった。ひなことは、高校3年から6年も付き合っていた。家族ぐるみの付き合いもあったし、このまま結婚するんだろうと、当たり前にそんな未来を描いたりもした。
 ひなこによく似た弟の顔を見ると、僕はまた、あの日の自分を責めるしかなくなった。

 藤沢珠樹が目撃者を探しているらしい。ある日、ひなこの弟からそう聞いた時、僕は怒りに震えていた。事故として処理されたはずなのに、ひなこに非があるとでも言いたいのか。僕は、感情のまま、藤沢珠樹の家へ押しかけていた。

「どういうつもりですか!今更、なんで…」
 怒りをあらわにする僕を、藤沢珠樹は、何も言わず迎え入れた。
「ごめんなさい」
 彼女に謝って欲しいわけではなかった。ただ、どこかに怒りをぶつけておかなければ、自分を保てずにいた。
「今更、目撃者を探して、どうしようというのですか……」
 絞り出した言葉に、藤沢珠樹は、絞り出すように話しだした。
「違うんです。祖母の最後が知りたくて。ただ、それだけなんです」
 ひなこは、踏切を渡りきっていたが、藤沢珠樹の祖母が踏切内にいることを見つけ、駆け寄っている。その姿は、遠くの防犯カメラにも映し出されていた。
「あの日、あなたがいうように、私が目を離したから……」
 涙声の彼女を前に、あなたのせいではない、その一言が出てこなかった。僕はまだ、彼女を許してはいないのだ。
「私、あの日はいつもに増して言うことを聞かない祖母に苛立って、家を出てしまったんです。ほんの10分、途中で怖くなって引き返したのですが、その時には、もう……」
 涙が、藤沢珠樹の頬を濡らしていく。
「本当に申し訳ありません」
 僕は、何も言えなかった。僕に彼女を責めることができるのだろうか。


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