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大人になれない僕たちは 第11話 ジェンガのような恋をして

 生きていく上で必要なものをあげるとしたら、人は何と答えるだろう。愛、夢、金、きっとこんなものだろう。生きていく上で一番必要なもの、それは間違いなくお金で、金さえあれば大抵のことは解決できると、俺は思っている。そう言い切ってしまうと、そんなことはないと、愛を語る人間は、俺の意見を決まって拒絶する。

「でも、あなたの書く物語は、夢や愛を語るものが多い気がするんけど」

 ナナは、そう言うと笑っていた。今日の読書会は、3ヶ月ぶりに開かれている。地方の奴らは、まだ移動が厳しく、リモートで参加することになった。画面越しのやりとりも、もう慣れたものだ。カフェの片隅を貸し切ったものの、今日この場に現れたのは、俺とナナの二人きりだった。

 ここでは、自分のおすすめの小説を一つ紹介し合い、それについて語り合う。読書会に集まってくる奴らは、職業も年齢もバラバラだ。参加人数も決まっておらず、ほとんどの会に参加しているのは、俺とナナくらいだ。

 職業は、高校の国語教師ということになっている。以前、初めて参加した女性に質問され、慌てて咄嗟に嘘をついた。口に出した職業は、母が俺に望んでいた将来だ。プライベートは深く聞かない。それが、この会の暗黙のルールだった。

「俺が書いたっていう証拠はないだろう」

 とぼけてみても、作者不明の小説は、俺の作品だとナナにはバレているようだった。ナナが、俺の作品を持ち込んできた時には、驚いて思わず咳き込んでしまいそうになった。彼女は、俺の作品を気に入ったようで、顔を合わせると読書会とは別に、個別に感想を教えてくれるようになった。

 ネットの片隅で、数年前から始めた小説の投稿は、誰にも見つからない場所だと思っていた。小説家になりたかったわけではない。ただ、自分の描いた物語の中に溺れてみると、何かが変わるような気がしていた。

 図書館で司書をしている、そうナナが話したのは、出会ってから随分と経ってからだ。やけに本が好きなのは、職業柄かと伝えると、ナナは国語教師だと思っている俺にも、同じようなことを言ってきた。

「やっぱり、愛は必要よ」

 ナナは、いつも俺の考えを正そうと必死になる。彼女といると、どこか落ち着くのは、本好きだからだけではない。愛を語るナナもまた、どこかそれを斜めに見ているような気がした。

「愛がなければ、人間でいる必要がなくなる。そう思わない?」

 ナナは、自分に言い聞かせているようだった。

 俺の母は、お金に苦労していた。その事を知ったのは、母が過労で倒れた時だ。俺は、その時まだ中学生で、母と離婚した父に引き取られていた。母は、男にお金を貢いでいたらしい。そんな噂を耳にした時、母は一体、何を求めていたのか分からなくなった。久しぶりに見た母の顔は、随分と痩せていた。母は、それから入退院を繰り返し、今でも細々と一人で暮らしている。

 読書会は3時間ほどでお開きになった。久しぶりに顔を合わせた仲間たちとも画面越しに手を振り合い、俺はナナと駅まで歩くことにした。途中、本屋の大きなポスターが目に入る。映画化されるその作品には、芸能人の顔が並んでいた。

「これ、ヒットするかな」

 映画の原作は、1年前に読書会で紹介され、俺もナナも目を通していた。

「私ね、凶悪犯が最後には死んでしまう物語って嫌いなんだよね」

「え?」

「だってそうでしょう。どんな凶悪犯を描いてもさ、エンディングで死んじゃえば、その物語って一体なんだったんだろうって思う」

「書く方としては、それが簡単なんだよ。人間には、人には言えない本性みたいなものがあって、その汚い部分を思い切りぶつけたくなるんだ」

「でも、心の闇を描きながら、結局はその闇を消してしまうことで終わらせるなんてどうかと思う。それは、駄作よ」

 ナナは、そういうとどこか遠い目をした。

 それから、しばらくして、彼女の本名が、眞島かほだとニュースで知った。彼女は、職場の金を横領して捕まった。図書館で勤めていると言っていた彼女は、銀行員だった。横領した金は、ホストに貢いでいただとか、ギャンブルに溺れていたとか、そんなことが週刊誌には書かれていた。真実かは分からない。人生で必要なのは、愛だと笑いかけた彼女の笑顔は、偽物だったとは思えなかった。

「ほら、青田、次の現場行くぞ」

 俺は今、脱け殻のようだ。彼女は、俺と同じだったのかもしれない。あの場所では、自分ではない誰かを演じていた。きっと、少しの希望を信じて。その希望を壊してしまったものは、崩してしまったのは、いったい誰だったのだろう。あの時、ナナの手を掴んで入れば、彼女は道を踏み外さずに済んだのかもしれない。

 死んでしまえば、駄作になると言った彼女は、自分の物語を駄作にして、飛び立った。生きていく上で必要なものは愛だと、俺は、彼女に教えてもらった気がした。

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