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サクラノシノ(後編)

「くだらない」
 黒板に貼りだされた2枚の写真を見たクラスメイトの一人が呟いた。
 一枚は七海、もう一枚は高橋、そして二枚の写真に写っていたのは担任の桂だった。そこに写る姿は、教師と教え子という関係には見えない。この戦いは七海と高橋、桂の痴情のもつれであることを悟ったクラスメイトは、今までの戦いが不毛なものであると知り、呆れた。

 その日から、七海と高橋は、ピラミッドの頂点から底辺まで見事に転げ落ちていった。不思議なもので、七海と高橋が転落したのをいいことに、クラスはまた、1つになっていった。誰もが二人をいないものの様に扱い、日常が流れていく。
 先に耐えられなくなったのは七海で、学校を頻繁に休むようになっていった。高橋だけは、どんな嫌がらせをうけても変わらず堂々としていた。

 七海がとうとう学校に顔を出さなくなったころ、桂が学校に復帰する。ただ二人の相談に乗っていただけで、特別な関係はない。熱意ある教師の行き過ぎた指導だった。学校は、桂を守ることで体裁を保とうとした。桂は何の罰則もないまま、平然と担任として戻ってきたのだ。
 何もなかったことにされたことで傷ついたのは、七海か高橋か、それとも二人だったのかもしれない。何も語らない七海と高橋に対し、クラスメイトは皆、ますます避けるようになっていき、桂だけが何事もなかったかのように教師ぶっていた。

 それからしばらくして桂は、藤本先生と結婚することが決まった。それを知らされた時、クラスは何とも言えない空気になった。お茶らけた男子生徒のおかげで、桂はようやく表情を緩めることができたのか、ベラベラと話し始めた。藤本先生とは、もう1年も前から付き合っていたらしい。一足先に退職した藤本先生が、とても幸せそうに見えたのはきっとこのせいだろう。 

 あの日、一番最初に飛び降りようとしたのは七海だった。七海の姿を窓越しに見つけた時、桂は、授業中だというのに青ざめた顔をして屋上に向かった。クラスメイトらも面白がって後を追った。
 屋上に集まった生徒らはスマホを取り出していた。高橋だけは、最後まで教室に残り、まるでその様子を静観しているようだった。
「馬鹿なことはやめろ!」
 桂の声もむなしく、七海は何かを呟いて飛び降りていく。悲鳴とともに、地面につぶれたような音がした。
 ネットでは、七海のいわれのない中傷が続いていた。七海がストーカーをしていたとか、藤本先生に嫌がらせをしたとか、どこまでが真実でどこまでが嘘なのか。そんなことはもうどうでもいいくらい、どんどん七海という人物が勝手に作り上げられていった。もう、それは誰も止められるものではなかった。

ーこれで満足?

 気が付いた時には、高橋は反対側の校舎に佇んでいた。七海の死を確認したように、高橋もためらうことなく校舎から飛び降りていった。悲鳴が聞こえる。
 七海と高橋は、どこか不思議な絆のようなものがあったのかもしれない。僕はそんな気がしていた。

桂のせいだ。矛先は、もちろん桂に向かう。スマホを向けられた桂は、何か張りつめた糸が切れたような顔をして歩き出していた。罪の意識からか、それとも潔白を証明したかったのか、桂もまた、呆然と七海と同じ場所から飛び降りていった。

 僕の罪は消えない。僕は、七海が大好きだった。桂との関係を知った僕は、七海を止めようとした。高橋との関係を、藤本先生との関係も知っていたからだ。必死に止める僕を、七海は軽蔑するような目で見つめていた。僕とは住む世界が違う、気安く話しかけないで、そう言われたような気がした。
 
 僕は、2枚の写真を黒板に貼っただけだ。少しだけ合成し、脚色した。あとは、勝手に空気が流れるように噂は大きくなって行くことを僕は知っていた。僕は、ただ、七海に気が付いてほしかった。ただ、それだけなのに、その噂は僕の手を放れ、どんどん巨大化していった。

「桜、今年も綺麗に咲くよ」
 八重が言った。八重は、僕の罪を知っているのだ。あの日、写真を貼りつけた時間にすれ違ったのは、この女しかいない。
「あの日、君がしたこと。私は忘れない」
 何が目的なのだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。僕は、隣で笑う八重を見つめ、また、間違いを犯す決意をした。罪は罪でしか償えない。七海との物語は、僕と七海だけの物語だ。誰の邪魔もされたくない。
 僕は、少しだけ後退りをして八重の後ろに回ると、背中を思い切り押した。

 桜は今年も綺麗だ。

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