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母屋の女

「いつになったら降りてくるんだ」
 階段の下から、義兄の声がした。僕は、ろくに返事もせずに奥に進んだ。



大叔父がなくなってから1か月が過ぎたころ、僕のところに一本の電話が入った。

「母屋を取り壊そうと思っている」

 義兄は大叔父とは不仲で、いつも喧嘩が絶えなかった。大叔父が入院した時、老朽化が進んだ祖父の家を取り壊そうとしても、母屋の屋根裏だけは立ち入るなと言われていた。祖父の家を継ぐはずの父は早く亡くなり、養子になった義兄の父も事故でなくなった。まだ幼かった僕と義兄には任せられないと、大叔父がまた、祖父の家の管理を引き継いでいた。

「大叔父様のことだ、母屋にはそれなりの金目のものがあるかもしれない。まぁ俺には関係ないが、君には伝えておいた方がいいと思って」
 義兄からの電話を受けた時、これはチャンスだと感じた。
 
 ギャンブルで作った借金は、もう首が回らないほどに膨れ上がっていた。飲み屋で知り合った女にたぶらかされ、怪しいと思いながらも金を注ぎこんでいた。返さなければ、多分、命はない。これを逃せば、もう生きる手立てがないのだ。借金のことは、妻も、妻の両親も知らない。ギャンブルに手をそめたことを知られれば、見捨てられるに違いない。

 大叔父は、骨董品を集めるのが趣味だった。その骨董品が眠っているのが、どの家族も近づけなかった母屋の屋根裏だ。亡くなる前に、大叔父は周りの反対を押し切って、ほとんどをオークションに出品した。それで得たお金は、慈善団体に寄付をしたと聞いた。敵が多かったこともあり、死後を恐れた大叔父の最後の悪あがきだと、揶揄するやつも大勢いた。

「明日、見に行かせてください」

 大叔父の性格から、きっと最後まで手放せなかった宝が眠っているに違いない。僕は確信していた。
 義兄には、大叔父から頼まれたと嘘をついた。大事な絵画があり、それだけは手元に置いておきたい、それが大叔父の願いだとまで、勝手に作り上げたストーリを熱く語ってみせた。

 義兄は、お金にはあまり興味がない人で、代々続く旅館や不動産やらを引き継ぎ、なんだかそれを忙しくも楽しくビジネスしているような人だった。絵の一枚くらい、僕に譲ったところで、別に痛くもかゆくもないはずだ。
  

 足場の悪い母屋の屋根裏は、懐中電灯を照らしても、どこか気味が悪く、湿った空気が身体を冷やしていくようだった。僕は、せき込みながらも執念で宝を探した。と、何かが視界に映る。

 「あった!」
 
 思わず、大きな声を出す。屋根裏の一番奥に、数枚の絵画が積み重なるように並べてあった。蜘蛛の巣を避けながら、僕は、震える手を伸ばす。絵画に手をかけると、思ったよりもずっしりと重さを感じることができた。
 どれくらいの価値があるものなのか。風景画や意味のわからない形をした絵を見比べ、どれもそうは思えなかったのだが、きっとそれなりの金にはなるだろうと自分に言い聞かせた。

「義兄さん、ありました!」
「おぉ、あったか」
 
 義兄も、その言葉に階段を駆け上ってきた。

「こんなところに!1枚ずつ降ろしていくか?」
「はい」
 
 僕は1枚ずつ手に取ると、義兄に渡していった。義兄は、まじまじと絵を見ては、ほぉう、と価値を計るように呟いていた。

「まだ、あるのか?」

 僕はまた、返事をしなかった。最後の1枚を手にかけた時、かなしばりのように体がビクとも動かなくなっていたのだ。

「おい?聞いているのか」

 下から聞こえる義兄の声で、僕はようやく体を動かすことがした。最後の一枚は、力強い目つきをした女性の自画像だ。その絵の女は、まっすぐと僕を見ていた。どこかで見たようななつかしい瞳をしたその女に、僕は、ハッとする。

「どうしたんだ?」
「うわぁー!!」

 僕は、心配して上ってきた義兄を置いて、一人階段を駆け下りた。

 あの女、どうして。

 ギャンブルを作った原因の女が、あの絵の中にいる。肌は白く、青い瞳をしたその女性は、あの日、僕が埋めたはずなのだ。借金の取り立てにきたその女は、僕にこういった。

「あなたは、もう、逃げられない」

 僕を蔑むその目は、忘れない。怒りで我を忘れた僕は、震える手でその女の息の根を止めた。

 大叔父は、生涯独身を貫いていた。なぜだかは、わからない。そんな大叔父が昔、こんなことをいっていたことがある。

「この家には、女の霊が彷徨っている。その霊は、見るものによって姿を変える。弱い心の持ち主には、死に神に見え、強い心のものには、仏に見える。気をつけな」

 そして、最後にこう言ったのだ。

「その女は、何度でも生き返る。ただ、死んだ女を2度見たらもうそれが最後。見たものはそう永くは生きられない」

 父も、義兄の父も不慮の事故で亡くなった。善人だと言われていた2人も、また僕のように裏の顔があったというのだろうか。

「危ない!」

 義兄の声がした。僕は、ふと見上げる。母屋の天井がゆっくり崩れていくのが見えた。崩れていく天井の狭間から、絵画に描かれた女性が全てを理解しているかのように微笑んでいる。

 あぁ、僕もまた、これで終わりだ。

  

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