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『悪魔の恋』ジャック・カゾット 感想

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

悪魔が変身した美女ビヨンデッタと、ナポリ王親衛隊大尉ドン・アルヴァーレの間にかわされる不思議な恋の物語。オカルティズムと東方趣味のうえに織りあげた、フランス幻想小説の嚆矢と目される傑作長篇。
紹介文より

フランス初の幻想小説作家として名高いジャック・カゾットの『悪魔の恋』です。本書はホルヘ・ルイス・ボルヘス編纂の「バベルの図書館 19」で、序文を添えています。

カゾットは1720年頃にフランスのディジョンで生まれました。彼は神と教皇へ従うジェズイット教団(イエズス会)で教育を受けます。彼は自身を「黙想の愛好家」と称し、空想や幻想を愛します。27歳のときに海務局監察官の資格を得て、マルティニック島へ派遣されます。イギリス人による侵攻を退けた後、地元の地主の娘と婚姻し、その財産である農場の仕事に精を出します。10年後、体調を崩したことを理由にフランスへの帰国を決意し、その土地を売却した財産を一時ジェズイット教団へ預けます。帰国後、預託金を引き出そうとするも、一切引き出すことができなくなります。(理不尽にも教団は「寄付」という名目へすり替えて懐に入れます。)これにより、カゾットは教団と決別しますが、敬虔なカトリック信仰はそのままに、神への崇拝を続けます。

こうした教団の悪魔的な所業は、カゾットの心を「オカルティズム」へ傾倒し始めます。彼が本来持ち合わせている「幻想癖」と相まって1772年に本書「悪魔の恋」が出版されました。これが非常に多くの出来部数となり、作家として大きな成功を収めるに至ります。フランス文学に幻想小説を広め、大いに受け入れられました。しかし、この成功を妬んだ者たちは「教団における秘密を暴露した」「幻視的な彼の惑乱の書に他ならない」など、誹謗中傷を浴びせます。
「神秘的思想家」としての立場と、「ロマン主義的」な作品とが、後に訪れる彼への悲劇が、今の世に幻想的な印象を与えます。

1789年に起こったフランス革命は「資本主義革命」とも呼ばれ、当時の身分階級差の緩和が目的とされていました。第一身分の聖職者、第二身分の貴族(騎士含む)、第三身分の平民(下級貴族含む)による貧富の差を是正するものでした。第一、第二身分には「年金の支給」と「免税の特別権」が存在していましたが、これが原因となり、国庫が破綻し革命へと至りました。
カゾットは当初、国と第三身分が和解(身分制度・領主制度の廃止)することを望み、革命へ賛同していました。しかし、革命は抗争によって行われ、民が死に絶えていく姿を見て悲しみと疑問に捕らわれます。そして革命の手段が「国あるいは聖職者の財産奪取」へと変化していくことに嘆き、「反革命的な意思」を持ち始めます。

革命抗争のさなか、1791年にヴァレンヌ事件が起こります。(国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットが、オーストリアへ庇護と協力を求めるために隠密で行動した際、革命派に見つかり送還された事件。)この事件を革命家たちの策謀であると見て、息子を送還中の王の元へ派遣し護衛させます。その後、王家との関係性が徐々に公になっていきカゾット自身も革命家から要注意人物として目をつけられます。そして1792年、カゾットは陰謀を企んでいるとする文書が見つかり、この疑いで逮捕され処刑されます。
彼が絞首台に上がった時に放った最後の言葉です。

私はこれまでと同じように、神とわが国王に対して忠実に死んでいく

本書「悪魔の恋」は幻想的な恋愛悲劇です。

ナポリ王親衛隊付大尉アルヴァーレが降霊術により悪魔ベエルゼビュート(ベルゼブブ)を呼び出します。おぞましい姿を現して「Che vuoi?(何ぞ、御用?)」と訊ねると、アルヴァーレは驚きながらも、下僕らしい姿かたちに変わり下僕らしく振舞え、と命令します。すると悪魔は可愛らしい小姓の姿に変わり、熱心に努めはじめます。そして行動を共にするうち、アルヴァーレが献身的な姿に惹かれ、恋に落ちていく物語です。

ベエルゼビュートは可愛らしい女性の小姓ビヨンデッタとなり、アルヴァーレに尽くします。彼女は肉体を持ち、有限の生命となってアルヴァーレを慕います。はじめは気味悪がっていたアルヴァーレも徐々に考えが変わり、接し方を和らげていきます。そして健気でしとやかな彼女にアルヴァーレは心底惚れ込んで、彼もまた心より愛し大切に想います。
アルヴァーレの心を大きく変えたのは、恋敵が現れて打ちひしがれていたビヨンデッタを、鍵穴からのぞいた時です。彼女は歌います。

わが仇敵は勝ち誇れり。わが身の上をば定めなして、われにきたるを待つは、流難の身、或は死なり。なれが鎖を断つことなかれ、ねたましき心の乱れよ。なれは、憎しみを呼び醒さん……われは心を抑う。黙せよ、と。

その後、彼女は恋敵に刺され、死の淵をさまよいます。ビヨンデッタを失いたくないと強く思い、そして彼女への愛に気づいたアルヴァーレ。ビヨンデッタが回復した後、婚姻を結ぶべく、母親の承諾を得ようと持ちかけます。ここで彼女は抵抗します。世間的な、政治的な、体面的な婚姻は真実の愛ではない、と。二人の契りが真実の愛に基づくのならばそれで全てであると。しかし、アルヴァーレは彼女に理解を求め、そう遠くない距離に居る母親を訪ねようと押し切ります。母親が危篤であるとの情報を得て、駆けつけている道中なのでした。

彼女は求めます、愛してほしいと。彼はそれに応えますが、彼女は満足しません。

ねえ、あなた、もしできたら、こういってくださいな、でも、あたしがあなたのことを染々と思えるように、やさしく言ってくださるのよ、「僕の可愛いベエルゼビュート(悪魔)、僕は、君を愛する」って

一人の可愛い小姓を愛していた筈の心が、「悪魔」という言葉で恐怖を呼びさましたアルヴァーレは、頭を隠し寝具の下で縮こまります。気づくと昼近くになり、住まいの主人に起こされ「奥様はもうすでにお母様のところへ向かわれました」と告げられます。朦朧とした脳内のまま、アルヴァーレは母親の元に向かいます。
辿り着くと、危篤どころか元気な母親を見て安堵した彼は、泣き縋りながらベエルゼビュートを召還した最初から、ことの次第をすべて打ち明けます。母親は優しく耳を傾け、「悪い夢を見ていたのだ」と慰めます。そして懇意にしているというサラマンカの学者をアルヴァーレに紹介し、助言を乞うため、今一度話すように促されます。学者は真剣に耳を傾け、もう危険は去られた事を改めて諭します。そして心を安定させ、身を守るためにも早く婚姻するように訴えます。

私の言うことを信じてください。しかるべき御婦人と正しい関係をお結びになってください。あなたがお選びなさるに当っては、御母上様の御指図をお受けなさい。そして、たとえ御母上様のお手からお授かりなさった方が、いかに神々しい美しさや才能をお持ちになることになりましても、その方を、悪魔だなどとお考えになるような気には決してならないでくださいましよ。

この台詞は一見よくある「訓示」の印象を受けますが、最後の一文で大きな違和感に変わります。読み進めると必ず抱く疑問である「アルヴァーレは悪魔に取り憑かれたのか、或いは逃れられたのか」を解く鍵がこの違和感に隠されています。

超常的な力を持つ「悪魔の企み」を、母親が避ける事が出来るかのように学者は述べています。天候や幻視や物理を支配する悪魔が、母親を誑かす事は容易ではないでしょうか。つい先刻までその恐怖に震え、その体験を涙ながらに語り体感したアルヴァーレに説くような内容には思えません。この疑念が新たな疑念も呼び起こします。母親はなぜ危篤ではなかったのか。

もちろん推論になりますが、寝具の下で縮こまっていたあいだにビヨンデッタは姿を消します。この間に母親、学者へ悪魔の力をかけていたのではないでしょうか。すでに催眠状態にある彼らの元へ馳せ参じたアルヴァーレ。彼はすでに「悪魔の企み」の中にあり、次に母親に紹介される「神々しい美しさや才能を持つ女性」こそビヨンデッタであると考えることができます。

本書は、死の間際まで敬虔な神への信仰者であったカゾットによる「悪魔信仰を否定する訓戒」であると考えられます。このビヨンデッタは非常に魅力的な女性として描かれています。真摯で健気で一途で、読むものをも虜にする悪魔的な力を、ぜひ読んで体感してみてください。
では。


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