『バグダードのフランケンシュタイン』アフマド・サアダーウィー 感想
こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。
アフマド・サアダーウィー『バグダードのフランケンシュタイン』です。著者はイラクの小説家・詩人・映画監督・ジャーナリストです。作中にもジャーナリストらしい描写や表現があふれています。主要な登場人物にジャーナリストも出てきます。
私は、中東というと『宗教』『戦争』のイメージを色濃く持っています。事実、そしてサイエンスフィクションであるこの作品でもそれらが凝縮されて綴られています。爆破テロの被害者の肉片で作られた魂のない遺体、そこに爆破テロで被害にあった死者の魂が入り込む。
日常の中にテロ爆発がいつ起きてもおかしくない状況で過ごすイラクでの日常。ここに住まう人々が当たり前に必要とするのが「神」の存在。宗教色が強いのは当然のことでありながら、宗教には思想が付きまとい、思想が生まれると対立が起こる。スンナ派・シーア派をはじめ、民兵同士あるいは沈静化を図るアメリカ軍との衝突。そこでまたテロ爆発が起こる。
想像だけでゾッとする悪循環が実際に現実で起こり、その場で生きた人、被害者として亡くなった人、加害者として亡くなった人が存在している事を改めて考えさせられました。
そして被害者の遺族、あるいは関係者の悲しみはそれらの不幸に比例し溢れていました。主要人物の一人である古物商ハーディーは酔狂で遺体の肉片を収集したわけではなく、一番近くの友人をテロ爆発の被害で突如亡くしてしまった衝撃から、このような衝動に走ってしまった訳です。
人間の弱さ、あるいは生きるための縋りが神という存在で、神を崇める宗教という団体に属し、群れを成す。つまりこれ等を必要としない存在は神である、という逆説的な答えは正に「バグダードのフランシュタイン」に他ならないと言えます。
訳者である柳谷あゆみさんの訳者あとがきの一文です。恐れるものも人間ならば、恐怖を生むのも人間。また恐怖を払うために戦うのも人間で、巻き込まれるのも人間。発端は思想ではないか、その思想は恐怖から逃れる為に崇めた神の導きを尊んだものではなかったのか。思想の共存が争いを減らす大きな要因になるのではと考えます。
物語は大変読みやすく、あまり装飾が多い文章ではないので、主題に比べて抵抗はあまりなく読むことが出来ます。国家と社会を皮肉で訴えるこの作品は「アラブ小説国際賞」を受賞し、多くの当事者である人々も認めた作品です。30カ国で翻訳されているこの作品、ぜひ読んでみてください。
では。
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