『深夜の酒宴』椎名麟三 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
文学における第一次戦後派は、戦争時代の体験によって起こった精神変化、情勢変化、生活変化を文学に収め、観念や倫理を社会に映し出そうとした作家たちです。野間宏、武田泰淳、埴谷雄高、梅崎春生などが挙げられ、椎名麟三(1911-1973)も代表者作家のひとりです。彼は貧窮の少年時代を過ごします。ともに愛人を持つ両親は、二人ともが自殺、拠り所を無くした彼は文字通りに世界を失います。生きるために至るところで雑役に就き、命を繋ぐようにして過ごしました。私鉄の車掌となった彼は、カール・マルクスに強く影響を受けて共産党に入党し、労働運動に没入します。世界を失った生活は一変し、芯からの党愛を持ち、大衆への愛を自ら感じながら激しく活動を行います。
党においても目立ち始めた彼は、当時の特別高等警察に検挙、投獄されます。文学に対する蔑視を持っていた彼は、獄中でフリードリヒ・ニーチェ『この人を見よ』に出会います。この読書は彼にとって、失意の思想転換とも言える運命的な変化を齎し、文学そのものの見方に変化が起こります。人間らしさとは、生き方とは、革命の手段とは。投獄に至った己の行動を省みて、自身が声高く思想を叫んでいたことは、真に思想を伝えるもので無かったと気付かされます。マルクスの「共産主義」からニーチェの「自我主義」への転向は、彼にとっては「脱落」の意味合いも持っていました。革命によって劇的な変化を齎すことが大衆への愛に報いることと信じていた彼には、革命を諦めて自我主義へ傾倒することに空虚さを感じます。
そして手に取ったフョードル・ドストエフスキーの『悪霊』に触れると強烈な「叫び声」が聞こえ、彼の中の文学の目が開きました。答えが見つからない、生き方がわからない、そんな思いのままで「助けてくれ」と叫ぶことは構わないのだと理解します。彼は胸の内に渦巻いていた不安や恐怖を「叫び声」にして執筆を始めます。
本作『深夜の酒宴』は、第二次世界大戦争を終えた間もない1947年に発表されました。特別高等警察による暴力的な取り調べを受け続けて「思想の破棄」を余儀なくされました。彼は取り戻した愛情の矛先を取り上げられ、虚無に打ち拉がれ、思考を無にする空虚な精神へと仕立て上げられました。その心に吹き込んだドストエフスキーの思想は、生命力の復活の兆し、或いは命を繋ぐ目的を見出させることになりました。彼は虚無の中において居所を見つけられませんでした。言い換えるならば「ニヒリズムの拒否」を正当化し、そこからの解放を望む心を手に入れます。彼は虚無を克服して心を解放する、「ほんとうの自由」を探求します。
椎名麟三の心の底には「両親の自殺」という事実が観念に影響し、「死」という概念に束縛され、引き摺り込まれようとしていました。彼自身が吐露する文章に自殺を仄めかせるものまで見受けられます。
襲いくる「死」の束縛に捕まれた自身を、本作では「幽霊」と表現します。探し求める「ほんとうの自由」が手に入らず、行くあてもなくさまよい続ける精神は、成仏できない霊の彷徨と重なります。鏡に映った自らの顔を「されこうべ」と感じる彼は、自覚を裏付けると同時に、向かい合う自身を確かめるように受け入れます。空虚の日々の中に居ながら、成仏せずに自由を探し続ける自身を認めています。しかし、「虚無の克服」には至りません。死から解放される「ほんとうの自由」は、死を持ってしか得ることができないのか、答えが出ぬまま彷徨を続けます。実存を持たない幽霊は、実存的な自由を求めながら現在を堪えて過ごします。
彼は、被虐を堪え、空腹を堪え、貧困を堪え、現在を堪えています。堪えること、堪え続けることは、「ほんとうの自由」を探し続けることと同義的であり、生きていることと同義的です。生きることで「ニヒリズムを拒否」し、死に負けまいと抗います。
そして何故堪えるのか、堪えて何をするのか、その意義を本作の翌年に発表した『永遠なる序章』において、次のような文章で語っています。
死から自由になるために堪える、それは「ほんとうの自由」を手に入れるために堪えることになり、明確な「虚無の拒否」となります。つまり、堪えることは「生きること」と言えます。
朧げで漠然とした心を持った加代、仙三の妾の血の繋がりのない子である彼女は、語り手の実在を求める「ぼく」と対比的に描かれ、彼自身も彼女に対して侮蔑的な印象を覚えます。しかし、どこかに鏡写しのような錯覚を覚える点に苛立ちが現れます。虚無を拒否し、生に意義を持たせようとする姿勢が共鳴したとも言えます。彼女から語られる言葉は、掴みどころがなく、不明確な表現ばかりです。それでも彼女との対話において、彼は探し求めていた「ほんとうの自由」を手に入れるための手段を明確に理解します。
一夜にして大革命が起こり、世界が幸福に溢れるということは幻想である。そして世界が一挙に変化しないのであれば、変わる必要があるのは自分自身である。小さな行動を一つずつ続けて変革の一歩とするしかない。このように受け入れました。
椎名麟三はひとつの決断をします。1950年にキリスト教へ入信します。洗礼を受けても、ただ作業的に感じるほど信心は浅いままでした。彼は純粋な信仰心ではなく、「ほんとうの自由」を求めて入信しました。イエス・キリストに賭けたとも言えます。聖書を斜め読みしながら、小説を読むように頁を捲ります。そして、イエスが自分を霊ではないという証を見せるために、自分の身体を弟子たちに見せる描写を読んで、急激に靄が晴れるような強烈な感銘を受けます。喜びの感情に溢れて目が覚めるように気持ちが晴れやかになっていきます。その数年後、芸術選奨文部大臣賞を受賞した『美しい女』を書き上げました。
蟻のような小さな一歩であろうとも、死ぬまで歩き続けるという独白は、彼の決心を言語化したように感じられ、読者の心に強く響きます。
同じ第一次戦後派の同志である埴谷雄高は、椎名麟三に対して以下のように感じたことを述べています。
椎名麟三が踏み出す小さな一歩は、彼の作品の一頁であり、一文字であり、その決心の通り彼の死の際まで歩み続け、小説、随筆、映画脚本、戯曲台本などを合わせて五十以上もの作品を生み出しました。彼が堪えた数だけ文字が生まれ、彼が書いた数だけ変革の道が歩まれました。この多くの作品に触れた人々は、少なからず意識に影響を与えられ、生きることへの意味を見直すことができた筈です。彼が共産党に入党した頃に抱いた大衆への愛は、彼の地道な歩みにより多く伝わったように思います。
生きる目的を改めて考えさせられる本作『深夜の酒宴』、未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。
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