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『黄金の壺』エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン 感想

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

ドイツ・ロマン派の異才ホフマン自らが会心の作と称した一篇。緑がかった黄金色の小蛇ゼルペンティーナと、純情な大学生アンゼルムスとの不思議な恋の経緯を描きつつ、読者を夢幻と現実の織りなす妖艶な詩の世界へと誘いこんでゆく。初期の作品ではあるが、芸術的完成度も高く、作家の思想と表現力のすべてがここに注ぎこまれている。


1789年、フランスの封建社会に確立したアンシャン・レジーム(旧制度)に締め付けられていた市民階級は、「自由、平等、平和」を掲げて王権や貴族などの支配者層に対して、武装蜂起して市民革命を起こしました。このフランスで起こった革命は、ナポレオン・ボナパルトという新たな支配者を確立して近隣諸国へと勢力を拡大していきました。ドイツはライン川の左岸から順にナポレオンに取り込まれていき、イギリスからフランスへと流入していた産業発展の産物がドイツへと流れてきました。ドイツの封建主たちはフランスへ政治的干渉を図りますが、革命の勢いに押されるように政治的に迎合していきます。このようなフランス革命の動きは、ドイツの哲学者、思想家、作家たちに或る種の期待を抱かせました。プロイセンとオーストリアを始めとする領邦国家分裂の問題や、土地貴族ユンカーによる農奴制度など、「自由、平等、平和」を望み、そして啓蒙しようと努めていたなかであったため、フランス革命の余波が社会変革の後押しになるのではないかと考えました。ところが、ナポレオンによる勢力拡大は各地へ思想の混乱と過激化した暴動を与え、目指す啓蒙は絶望へと変わります。真の自由を見失ったドイツは、国政を乱され、社会秩序そのものが消え失せてしまいました。しかしこの混乱は、作家たちに改めてドイツの後進性を理解させ、目指すべき社会を見つめ直す機会を作り、ドイツ文学を先進させようとする姿勢を正すことで新たな思潮が生まれました。


文明の進歩は人間に多くの益を与えました。しかしそれは、産業の発展のために人間を専門的にして、社会という目を見る視野を狭め、自身の益のみに固執する「功利主義」へと進めてしまいました。フランス革命の混乱も、王侯貴族による私利私欲の発展のすえに市民が蜂起したのであると考えると、近代人としての人間形成に問題があったのだと理解ができます。ドイツの作家たちはこのような人間としての反省を見出し、「ではどのような人間社会が望まれるのか」を考え、古代ギリシアまで遡ります。人間に備わる素質としての知性や感性を活かし、自然の世界に対して向き合うための「教養」を身につけることが重要であると辿り着きました。古代ギリシアに描かれる思想や人間像にこそ、人間のあるべき姿が描かれていると認識します。とは言え、ジャン=ジャック・ルソーのような「田園地帯での孤独」へと向かう訳ではなく、文明を構築した理性はそのままに、寧ろ理性を活かした古代ギリシアの人間像への傾倒を目指します。そして、自然から文明へと移行した人間は、自然に戻るのではなく、文明による混乱を乗り越えて、文明を維持した自然との共存こそが、訴えるべき思想であると作家たちは考えました。


作家たちは、古代ギリシアの模倣ではなく、文明の否定でもなく、理性をもって自然との和解を目指した新たな文学を探究します。そして、それまで啓蒙主義として抑圧され続けてきた文学的思想から逃れるため、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテやフリードリヒ・シラーは、文明からの思想的解放としての「理性に対する感情の優越」をもって既存の文学から離れようとする「シュトゥルム・ウント・ドラング」(疾風怒濤)運動を起こします。抑圧から発散へと「個」が変化したことで、「個」の尊重と飛翔が描かれるようになり、啓蒙主義の対極へと逃れることができました。しかしシラーは、「個」の尊重から人間愛へ、「個」の飛翔から人類愛へ、つまり自然における人間の存在を改めて見直し、どのようにあるべきかを再び思考します。古典まで遡り、そこに見出した人間存在は、自然と文明が共存するという、新たな価値観となってシラーの目の前に広がります。古代ギリシアに見られた理想的な人間性は、自然と一体となった人類だからこそ現れたものでしたが、栄えた文明を手にした今(当時)、自然と文明の和解、或いは共存を原理として創作活動を行うという方向性に、ドイツの作家たちは共感して新たな文学思潮「ドイツロマン主義」を生み出しました。逃れる反発から精神の自由へと変化したこの思潮は、幻想を帯びた芸術として多くの作品が生み出され、そこには不可思議な奇跡が数多描かれました。


このような初期のロマン主義は1790年代後半より隆盛し、フリードリヒ・シュレーゲルやノヴァーリスなどによって作品が生み出され、「芸術性」を至高のものと捉え、描く世界を幻想に包んだ美しい芸術世界として描いています。これには産業の発展による近代科学やその産物が大きな着想となっていることが窺え、それらの奇跡は芸術的な自由へと導く標となり、人間の文明発展が芸術との和解へと貢献する思想が込められています。しかし、これらには「政治的視野」を度外視した、自然と芸術の調和が主に描かれていました。芸術としての文学を突き詰めた人類の幻想世界は、現実世界の変化によって大きく揺らぎます。フランス革命は、市民革命から「皇帝ナポレオン」を生み出し、ドイツの主国であるオーストリアとプロイセンを次々に侵略し、作家たちを取り囲む世界は変容します。1806年には神聖ローマ帝国までが解体され、封建諸国との争いから大陸の支配者ナポレオンによる民族解放戦争へと様相を変化させました。侵略(解放)された国々の民衆は、民族としての意識団結を図り、政府による近代化政策に背を向けるように「民衆尊重」が謳われて、文学もやはり、同様の変化を見せていきます。初期のロマン主義は「芸術へと導く詩人」こそが人類を幻想的な芸術世界へと導く原動力でしたが、ここから始まる後期のロマン主義は、「民衆こそが芸術の源泉」であると見て、伝承や民謡によるメルヒェンを見直して、民衆のなかの芸術性を原動力とした物語が描かれていきます。自然と文明との和解という思潮から、人間の持つ「人格」や「無意識」へと目を向け、芸術の源泉を人類の底に見出し、自然と文明をともに行き来する幻想世界を、彼らは詩的に描きました。特に詩人アヒム・フォン・アルニムやアーデルベルト・フォン・シャミッソーが代表作家として挙げられ、本作の著者エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン(1776-1822)もその一人です。


後期ロマン主義になると、前期に見られる詩性に溢れた無条件な芸術の肯定描写から、現実の社会と芸術家の詩性との相違による葛藤が露わとなり、時に詩性を「社会から離れた狂気」として映し出します。現実社会に見られる文明の進歩は「功利主義」を肯定し、詩性を重んじる人間を排斥します。ホフマンは、このような功利主義社会で苦しむ芸術家の代表的な存在であったと言えます。その筆名に「アマデウス」を取り入れるほどに敬愛していたモーツァルトの存在は、ホフマンにとって代え難い存在であり、法律家の家系に生まれながらも、持って生まれた詩性を表現する場を探し求めるように生き続けました。法廷上級顧問官や裁判官などの法律家としての現実を生きる傍ら、幼少期から学んだオルガンやピアノの演奏に取り組み、モーツァルトを耽溺し、バッハを尊敬していました。また、絵画にも関心があり、自ら筆をとって描き上げることもできました。そして戯曲、小説なども手掛け、どの方面の作品にも輝く才能を見せつけ、芸術家という生活を現実から離れた(仕事を終えた)夜間に過ごしていました。まさに文明と芸術の二重生活を送っていたホフマンですが、残した作品は多岐にわたっています。


音楽ではモーツァルトへの敬意を感じさせる「ピアノ三重奏曲ホ長調」(Grand Trio in E major)、オペラではフリードリヒ・フーケから依頼されて創作した「ウンディーネ」、また、ホフマンの文学作品を基に作られたバレエ作品「くるみ割り人形」「コッペリア」「ホフマン物語」、同様にロベルト・シューマンに作曲された「クライスレリアーナ」など、作家として括ることは困難なほどに幅広い芸術活動を行いました。昼は法律家としての現実社会を、夜は友人たちと酒を酌み交わしたのちに創作活動を、言うなれば現実と幻想を交互に過ごす生活から、その作品にも特異な二重世界が反映されていきます。そのような二重世界を描いた代表的な作品が本作『黄金の壺』です。


十二回の夜話で語られるメルヒェンは、現実と幻想が接触し、主人公アンゼルムスを通して二つの世界を行き来して進められます。現実は芸術性を排他的に扱う「功利主義」の世界、幻想は四大元素が支配する「詩性溢れる」美しい世界で描かれ、アンゼルムスは両世界に挟まれて戸惑いながらも幻想世界へ憧れを抱きます。昇天祭(イエス・キリストが神の子として天に認められて迎えられる日、復活祭の四十日目)の日、りんご売りの老婆の出店に倒れ込んでしまい、大きく不興を買って彼は老婆から「呪い」をかけられます。手持ちの金銭を全て渡してしまったアンゼルムスは、にわとこの木陰で自分の情けなさに打ちひしがれていると、クリスタルの和音が聴こえ始めて三匹の金緑色の蛇と出会い、そのうちの一匹であるゼルペンティーナに一目惚れをして恋におちました。姿を消した彼女を呼び続ける彼は周囲に狂人として見られたため、この場を離れるようにします。肩を落としながら帰ろうとすると、彼の人間性を評価して世話をしてくれている教頭パウルマンに出会い、家での食事に誘われてありがたく向かいました。そこで一つの変化が与えられます。アンゼルムスは学生で職を探していましたが、知人の書記官ヘールブラントの紹介で枢密文書管理役リントホルストという不可思議な人物のもとで筆写の仕事を請け負うことになりました。仕事の初日、彼はリントホルストのもとへ向かいましたが、ドアの把手から恐ろしい老婆の顔が現れました。恐ろしさのあまりに逃げ帰ってしまったアンゼルムスは、後日にリントホルストへ事情を伝えると、あれは私の敵である魔女だと語ります。そして、リントホルストは火の精の王子であることがわかりました。ここから、火の精と魔女との諍いにアンゼルムスは巻き込まれながら、愛しのゼルペンティーナを求める日々が始まります。


リントホルストの屋敷のなかは外観からは想像できない構造の広さがあり、美しく輝く自然の花々が語りかけ、多くの鳥が騒がしく迎えます。ゼルペンティーナはリントホルストの娘で、彼はアンゼルムスと彼女との結婚を望んでいます。三人の娘にはそれぞれ黄金の壺が与えられており、婚姻が成ると大きく美しい鬼百合の花が咲くと言います。しかし一方で、パウルマンの娘ヴェロニカの恋心を悪用しようと、老婆は魔術を用いてアンゼルムスとの恋の成就を試みます。現実の恋と幻想の恋に挟まれたアンゼルムスは、惑いながらも自分の精神と対話をします。そして火の精と魔女の争いは激化して、恋の行方とともに決着を見せます。


詩性は超自然として描かれ、精神の逃避的な場所として象徴的に存在しています。1814年の発表当時、ドイツはナポレオンの解放戦争でのライプツィヒの戦いを経て、その支配から逃れようとするさなか、同時的に工業が発展して街は燻み、現実の世界は騒音と煙に包まれていました。政治的な緊張で社会から逃れようとする人々は、自分の精神を内部へと進め、「内なる自己」へと意識を向けました。そして、芸術家たちは内なる詩性を表現しようと、現実に対して幻想というかたちで表現しました。ホフマンは、本作で見事にこれらを表現しています。


副題「現代のメルヒェン」とある通り、ホフマンは詩性溢れる完全な幻想世界を描こうとはしていません。現実のドレスデンの街を描き、芸術を無視した「功利主義」を賛美する人々が作る社会を見せ、そこに強い詩性を持つアンゼルムスの苦悩を表現しています。幻想世界や幻想の出来事を理解する人と全くできない人が登場するという点も、現実に見られる詩性の有無が現れています。言い換えるならば、人々の「審美眼」の有無によって、幻想の受け入れ方に違いを見せており、アンゼルムスは強い詩性を持っていたからこそ幻想世界(詩的世界)へと足を踏み入れることができたのでした。そしてアンゼルムスの抱える苦悩や葛藤は、ホフマン自身が抱くものと重なり、現実と幻想の二重世界(昼と夜)に生きていたからこそ生み出すことができた作品であると言えます。このようなホフマンの文学作品はドイツ語圏で広く民衆に受け入れられただけではなく、フランスのシャルル・ボードレール、ロシアのフョードル・ドストエフスキーなどの他国の作家たちにも称揚され、その創作に影響を与えました。


そもそもアンゼルムスの味わっている至福の生活は、つまるところ詩のなかにある生命と通ずるものなのではないでしょうか。詩のなかでは、この世のあらゆる存在がきよらかな調和をとげ、それが自然の最も奥深い神秘となって現われ出ているのですからね


アンゼルムスはリントホルストに差し出された精霊界の物語を「詩性」を用いて筆写を成し得ました。幻想として現れる精霊界での出来事を、人間の力で描き出しました。つまり、この場合での幻想は「芸術」であり、これを詩性を用いて人間の言葉に置き換える作業が執筆であり、それを成す者が詩人であると言えます。「功利主義」に包まれて息苦しい詩人は、幻想的な「芸術」の世界へと憧れます。それは逃避ではなく二重生活の双方の調和であり、自然と文明の共存を思い描いています。


ホフマンは社会の発展が「芸術」を排他的に扱っているという認識を抱いていました。文学、絵画、バレエ、オペラ、作曲など、芸術に対する優れた審美眼を持っていた彼には、民衆が悩まされていた政治的背景による苦悩以上の葛藤が、心のうちにあったと思われます。そのような社会の認識を「メルヒェン」というかたちで世に問おうとした詩性こそ、まさに芸術家であると感じました。このような心の葛藤を見事に描いた本作『黄金の壺』、未読の方はぜひ読んでみてください。
では。


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