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『スローターハウス5』カート・ヴォネガット・ジュニア 感想

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

時の流れの呪縛から解き放たれたビリー・ピルグリムは、自分の生涯を未来から過去へと遡る、奇妙な時間旅行者になっていた。大富豪の娘との幸福な結婚生活を送り……異星人に誘拐されてトラルファマドール星の動物園に収容され……やがては第二次大戦でドイツ軍の捕虜となり、連合軍によるドレスデン無差別爆撃をうけるビリー。時間の迷路の果てに彼が見たものは何か?現代アメリカ文学の旗手が描く不条理世界の俯瞰図。
紹介文より

1922年、第一次世界大戦争の三度目の休戦記念日に、アメリカのインディアナ州でドイツ系移民の子としてカート・ヴォネガット・ジュニアは生まれました。大学では生化学を学びましたが、第二次世界大戦争の勃発に伴い兵として召集されます。そして軍役の一環として機械工学を学び、斥候として戦場に駆り出されたものの、ドイツ軍に捕らえられて捕虜となります。

第二次世界大戦争終盤の1945年、年明け直後から連合軍は、戦争の終止符を打つことを早めるべく、ドイツへ攻め入るソビエト連邦軍に助力する形でドイツへの大規模空爆を企てます。ドイツ国家殲滅を強く押し進めるイギリスは空軍爆撃機司令官アーサー・「ボマー」・ハリスにドイツ東部の絨毯爆撃を指示します。僅か二日の間に大量の爆弾や焼夷弾が落とされ、炎と黒煙に逃げ惑う生存者を機銃掃射で追い討ちます。こうしてドイツの美しい都市ドレスデンは月面のような廃街となりました。
戦争の早い帰結という大義名分があったものの、実際的には当時すでに「戦局は明確で終息に向かいつつあった」として、爆撃投下側のイギリス国民さえ否定的な感情を抱きました。つまり、不必要な殺戮であったのではないかという風潮が広まったのでした。このような感情は連合国側の国民全体で少しずつ膨れ上がり、世の論調は国家や軍を批判するように傾倒します。その弁明を求められたアメリカの陸軍軍航空軍司令官であるヘンリー・アーノルドは「戦争は破壊的でなければならず、ある程度まで非人道的で残酷でなければならない」と反発しました。

この惨劇の最中にヴォネガットは現地にて大規模空襲を受けました。ドイツ系移民のアメリカ軍人が、ドイツのドレスデンでアメリカを含む連合軍に襲われたのです。

一九六八年、『スローターハウス5』を書いた。わたしはこのときようやく、ドレスデン大空襲を書けるくらいに成長したといっていい。あれはヨーロッパ史上最大の虐殺だった。もちろん、アウシュビッツも知らないわけではないが、わたしにとって虐殺というのは、突然に、ごく短時間の間に膨大な数の人間を殺すことだ。一九四五年二月十三日、ドレスデンでは約十三万五千の人間が殺された。イギリス空爆隊によって、ひと晩のうちに。とことん無意味で、不必要な破壊だった。
『国のない男』

受けた被害を受け止め昇華し、半自叙伝とも言える本作を書き上げました。

時間を超越する手法を用いたサイエンス・フィクションで描かれます。語り手であるビリー・ピルグリムは「痙攣的時間旅行者」となり、人生の端から端までを自己の意思ではなく飛び回ります。恋愛、悲壮、不可思議、場面ごとに感じる違った感情を読者に語りかけます。そして、ドレスデンの大規模空爆へ収束されていきます。
痙攣を起こすたびに変わる場面には物語の脈絡は無く、為されるがままにビリーは過ごします。この描写は心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状の一つである「フラッシュバック」を思い起こさせます。痙攣を起こし、時間と空間を移る際には共通させる小さな結び目が存在します。これはまさに、フラッシュバックを起こすきっかけと重なり、本作の特異なプロットはヴォネガットが生涯悩み苦しんだ症状の再現を文体で表現したと憶測できます。

本作は「反戦争」を掲げた内容ではありません。ですが、読み手は必ず「戦争は人が起こすもの」である事を突きつけられます。
『スローターハウス5』が出来されたのは、ベトナム戦争の只中である1969年です。米軍による北ベトナムへの爆撃に対して、ヴォネガットは思いを投げかけていたのかもしれません。

本文では、万物の死を「そういうものだ」という言葉で繰り返し締められます。これはヴォネガットが体験した「理不尽な惨劇」による感情の憤りを消化させた、一つの結論であると見ることができます。そして悟りのような、諦めのような解釈は、究極的で退廃的とも言える境地に至ります。

今日は平和だ。ほかの日には、きみが見たり読んだりした戦争に負けないくらいおそろしい戦争がある。それをどうこうすることは、われわれにはできない。ただ見ないようにするだけだ。無視するのだ。楽しい瞬間をながめながら、われわれは永遠をついやすーーちょうど今日のこの動物園のように。これをすてきな瞬間だと思わないかね?

悲嘆に暮れるよりも、幸福を噛み締める時間を長く持つように心掛けることができれば、或いは心掛けて過ごすことが、今の世界と上手に付き合うことなのかもしれません。

唯一わたしがやりたかったのは、人々に笑いという救いを与えることだ。ユーモアには人の心を楽にする力がある。アスピリンのようなものだ。百年後、人類がまだ笑っていたら、わたしはきっとうれしいと思う。
『国のない男』

ヴォネガットの生涯を通したメッセージは、心に重く響きます。日々を苦しく感じながら過ごしている人こそ、この作品に含まれた心の救いを見出すことができるかもしれません。未読の方はぜひ読んでみてください。
では。


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