他者否定感 【エッセイ】
自己肯定感の無い諸君どうもこんにちは、
自己肯定感あるとのたまい給うかたがたには気だるげな拍手を送ろう、
パチ、、パチ、、、
さてたいそう礼儀知らずなはじまりのご挨拶をさせていただいたが、僕は君たちが自己肯定感があろうがなかろうが心の底からどうでもいいと思っているということを端的に表したかったのである。
これは僕から見た話をしていると思うかもしれないが、これはあなた方達があなた自身を見る時も同じことだという話である。
あなた方が自己肯定感があるとかないとかそういうことに悩むのはたいそう馬鹿らしいという話。
さてそもそもの問題として何故自己を肯定などしなければならないのか、僕から言わさせれば最初にその疑問が立ち塞がる。僕の直感的な結論で言えば肯定なんてしなくてもいいからだ、となると次に思い浮かぶのは自己を肯定しなければならないと思いはじめたのかが疑問として出てくる。
僕たちは自分の肯定などというしち面倒くさいことなど本来はしなくてよかった、しかしいつの頃から自分を肯定するという作業を欲しはじめた。
これが何故行われるようになったのか
他者から否定されるからである。僕らは本来は肯定も否定もされないたいへんニュートラルな状態で存在していてそれこそが自然な状態である。
しかしいつ頃からかどうにもこうにも他者に否定される、もしくはされたと感じるという経験を残念ながら逃れようもなくしてしまうのである。
この文章のはじまりで自己肯定感があると自信を持っていた方々の中には自己が否定されたと感じた方がいても不思議ではない。
さきにも言ったように僕らはどうしても否定される世界で生きている。だから僕らには自己肯定感が必要なのだ!
と声を高らかにあげ自己肯定感のあげ方を教えてしんぜようということは出来ない、出来ないというよりはする気がない。
僕らには自己を肯定することより他者を否定することの方が容易くできるのだから
他者否定のやり方を教えよう、とは言っても行うのになんら難しいことは存在しないしいて言えば他者を否定をするのが悪いことだと思うその気持ちをどうにかできれば他者を否定することなど容易いことであろう。
まず最初になぜ他者否定をするのかな理由を簡潔に説明すると自己肯定をするより他者否定するほうが簡単だからである。そもそもなぜ自己肯定が必要なのかをさきに説明したがそもそも他者に否定されるからである。ならば否定された相手を否定したほうが簡単に行える。そもそも自己を肯定するのはたいへんだ。なぜなら自己を肯定するのなんて本来出来ないからだ。
もちろんこの世の中にはたから見ると自己肯定感が高いひとは存在する。しかしそういう人達のほとんどは他者から肯定されることで自己を肯定できる人か、否定されるものを否定してきた人たちである。
他人から肯定されるのと他人を否定するのどちらかが簡単かは明らかである。なぜなら後者は圧倒的に主体的に出来るからである。前者は受動的であるがゆえに肯定されようと生きるのはたいそう素晴らしく心の底から手放しで褒め称えることが出来ることだが報われるかは分からない。最初から目標達成出来ない可能性があるものを頑張るより確実に進捗が確認できるものをやったほうがいいことである。
ここまで聞いて他者を否定するのが嫌だと感じる人間がいるならば素晴らしいと僕がその名も知らぬあなたのこと肯定しようと、そんなのいらないと思ったならばおめでとう他者否定ができたことを賞賛しようと思う。
さて
ここまで聞いて、
こんなことは思わないだろうか?
自己肯定感なんてくだらない
こう思えたとき君ははたから見たら自己肯定感のある人物に見えるようになったということだ。
それがあなたにとって喜ばしいことかは知らないがね、、
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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