死ぬほど嫌いな兄の悪口と、夢の話

お笑いを目指す兄を死ぬほど嫌っているという話と、夢ってなんだろうな、という話。

人生で一番嫌った人は誰か
そう聞かれたとき、私の頭に真っ先に思い浮かぶのは大量の人間で正直選びきれない__というリアルな話は置いといて、やはりその中でも特別にはっきり浮かび上がるのは、血を分け合った兄、兄ちゃんの顔だ。
私は小さい頃から兄ちゃんが本当に嫌いだった。なんなら私の家に住む人間は全員、兄ちゃんのことを嫌っていた。
七歳離れた兄は昔から一貫して我が家の「はぐれもの」だったし、
とにかく兄ちゃんは私にとって「ヤバい奴」だった。


七歳離れていると言っても、精神年齢という観点でいえばきっと一歳も離れていない。物心ついた頃から私の体に鼻くそをつけてきたり、叩いたり蹴ったりと幼稚な暴力を繰り返してとにかくチビだった私は毎日泣かされていたし、母さんの財布からしょっちゅうお金を抜き取っては怒られていた。高校のテストでは解答用紙にラップの歌詞を書き綴って性格の悪い妹(私)に読み上げられることで家族に散々怒られていたし、大人になったら変わるかと思ってたけど24歳になっても履き終わった靴下を私の顔に投げてきて、包丁を持って笑いながら私を走って追いかけてきた日は本気で死を覚悟したものだ。とにかく清潔感がなくてだらしなくて、大して面白くもない冗談を言っては私を虚しい気持ちにさせてくる。私だけでなく、姉ちゃんが寝ている間にまぶたにわさびやカラシを塗りつけてひとりで笑っていた、兄ちゃんは昔から、とんでもない異常者だった。
特にやばかったのは私が赤ん坊のときで、私のベビーカーの面倒を見ていた当時八歳だった兄が、(今でこそこんな萎れたババアになっている私にも可愛くベビーカーに乗って生活する時代があったらしい)何を血迷ったか、坂道の上でベビーカーの持ち手から手を離したのである。
母が気付いた時には遅く、私は既に坂道の下へと転がり落ちていて、そのままベビーカーから飛び出し、青い空へと高く浮かび上がっていた。記憶にはないが、人生で飛行機以外で空を飛んだのはおそらくこの日のみである。幸い落ちたのが芝生の上だったことと、私の頭が信じられないほど石頭だったおかげで助かったのだが、落ちた場所が悪ければ今頃私はこんな俗世ではなく、冥土の世界でのらりくらりと文章を書いていたはずだ。
こういうことが積み重なって、兄に対して良い思い出なんてものは殆どない。
いつこの兄に殺されるのだろうとビクビクしながら生きていたし、兄を思い出すといつもあの情けない汚らしい笑顔が思い浮かぶ。私はとにかく兄が嫌いだった。

そんな兄ちゃんにも、たったひとつだけ良い思い出がある。
あれは確か私が小学一年生くらい、じいちゃんが死んだ日のことだ。
ひたすらにじいちゃんっ子だった私はじいちゃんの死を受け止めきれず、家族の前でおんおんと泣きじゃくり、葬式でもボロボロに泣いていたのだが、兄ちゃんはそんな私を見かねて人のいない部屋に連れていった。何をするのだこのクソ野郎、私をじいちゃんの元に連れて行く気かと身構えたのも束の間、兄ちゃんが私に見せてきたのは、くっそつまらん民法のテレビ番組だった。
テレビなんて見ている暇あるか!と私は一人で泣きじゃくりながら怒っていたが、兄は気にする様子もなく画面を指差して、
「見て見て!これめっちゃ面白いぞ!」
と大きな声で笑い出したのだ。
さすがに頭がやられたのかとも呆れたが、そう言われると見てしまうのが人間だ。
それまでひっくひっくと号泣する声が次第に笑い声に変わった。
涙はボロボロ出てきたけれど、笑い声は抑えられなかった。じいちゃんが死んだってのに笑ってる自分が嫌だったけれど、テレビが終わるころには涙はどこかに消えていた。それくらい小学生の私なんてのも、単純な生き物だったのだ。
そしてこのとき初めて、悲しいときの笑いってのがいかに強い力を持つのかを知った。そして人を笑わすことでしか慰めることができない兄ちゃんの不器用さってのに気づいたのも、この日が初めてだった。
今思えば兄ちゃんはじいちゃんが死んだにも関わらず、単純に好きな番組が見たかったサイコパスだっただけかもしれない。(書いてるうちにそんな気がしてきたぞ…。)
だが、私はこの日なぜかとても兄ちゃんに感謝していた。むしろ人生でこれくらいしか感謝したことがないからこそ、強い印象に残っているだけかもしれないが。とにかく、兄ちゃんは本質的に人を笑わすことが好きな人だった、そのことがこの日、強く私の中に残った。


けれど兄ちゃんはやっぱり家族の「はぐれもの」だった。

実のところ、兄ちゃんが中学生の頃から大人になった今までの十年以上の間、「家族全員」で食卓を囲んだことは、ただの一度もない。
父親が兄ちゃんと飯を食らうのを嫌がっていたのだ。
古臭い亭主関白な我が家において、父親の意見は絶対だった。嘘つきで乱暴な兄ちゃんは誠実で真面目に生きてきた父親に理解されることはなく、父親は兄ちゃんが同じ空間にいることを激しく嫌悪していた。
家族四人でご飯を食べている間、母さんは犬を育てるかのように、毎日夕飯を兄ちゃんの部屋に持っていった。兄ちゃんは一人で飯を食べた。私は「家族の輪」に留まって、みんなとご飯を食べていた。
父親のことは今も昔もずっと尊敬しているけれど、このときの私はどこかで「父親に嫌われたくない」という意思がずっとあったし、父親に嫌われる兄ちゃんを可哀想だと、どこかでいつもそう見下していた。
兄ちゃんは学校にも友達が少なくて、いつも家で一人でご飯を食べていた。
なんとなく私は兄ちゃんに懐くようになった。靴下を投げられたり鼻くそをつけられたり殴られたりはしたけれど、私は毎日兄ちゃんの部屋に入って、隅っこにうずくまり、兄ちゃんの漫画を読んで過ごした。
別に兄ちゃんからしたら可愛くもない生意気な妹がプライバシーな部屋に入り浸って見下してくるんだから恐らく嬉しくもなんともなかっただろうけど、私はなんとなく、犬みたいにきったない兄ちゃんの部屋が好きだった。
ただの憐憫の情とも少し違う。
私は父親には好かれてたけれど、家に馴染めてないという点では、本当は私も兄ちゃんも同じ場所にいるような気がしていたのだ。


そんな兄ちゃんは、私が中学生になった頃、大学を中退して家を出ていった。
「俺はビッグになる!」
まさか人生でこのセリフを生で聞く日が来るとは思っていなかった。
そのビッグな図体で一体何をほざいてるのだ。兄ちゃんの腹を見てそう思ったのは私だけではないだろう。
とにかく兄ちゃんは家を出ていった。
漠然とした夢を持って、家から転がり出るように。
「お笑い芸人になりたいらしいよ」
あとで母親にそう聞かされた。
なるほどなるほど。
じいちゃんが死んだ日に私を笑かしてきた兄ちゃんを思い出す。兄ちゃんらしい夢だ。
って、違うだろ。

というか、嘘だろ〜〜〜〜!!!???
お前一体何歳だよ!お笑い!?本気で言ってる?そのつまんなさで?その人望のなさで?でかいのは体だけにしてくれよ。なれると思っているのか?お笑い芸人に?出たいと思っているのか?テレビに?その陰キャ気質で???お笑い芸人???それだけで充分面白いわ!!今までの兄ちゃんの言動の中でいちばん面白いわ!!
ほとほと愛想を尽かしたし、その夢を普通に見過ごしてる母親!!お前なんとか言えよ!それでいいのか母親!?お前は医者だろう!?子供三人が誰も家を継がなくていいのか??黙って見ていていいのか??
とにかく兄ちゃんはバカだ。母さんもバカだ。ふたりとも、飛び抜けた大馬鹿だ。

気がつけば兄ちゃんは吉本の養成所に入学していて(あんなのお金をドブに捨てるようなもんだよ!別に事務所に入るわけでもなく吉本の傘下に入るってだけだからね!)気がつけば卒業していて、そして今もまだ日本のどこか(というかがっつり地元)でフリーターをしている。
「今あの人は立派に見事な芸人になりました」
と涙ぐみながら言いたいところだが、残念ながらあいつはまだ夢を追い続けている。この八年くらい、ずっとどこかで屍みたいに生きている。
「父親と仲直りしました」
と嬉々として言いたいところだが、最後に家族全員が同じ空間で集まったのはばあちゃんのお葬式の日、それだけだ。
ひとつ何か変わったことがあるとすれば、父親がほんの少し気まずそうに、照れ臭そうに笑っていたことくらいか。
素直じゃないのだ、私の家族は、全員。


「夢」、ね。


私が「夢を持つ」ということに対してどこか冷笑的になってしまったのも、きっと兄の影響が強い。

兄ちゃんみたいになりたくない。
そんな一心で私はマトモに勉強して、マトモに高校で優等生を演じて、家ではマトモな娘になって、マトモな大学に入った。きっとこれからなんだかんだ言いながらマトモな就職をするんだろう。
けれどときどき分からなくなる。

マトモってなんですか。夢って、なんですか。

私と兄ちゃんって結局なんだか似てるのだ。
別に家族との仲は悪くなかったけれど、私はとにかく家を出たい!と勢いづいて東京の大学に向かって家を出たし、
東京に出ればなんとかなるかな、
大学に行けば人生なんとかなるかな。
そういう甘い考えを未だに抱えて母親のおっぱいを吸いながら未だに生きている。(さすがに嘘である)
そうしてなんだかんだで、ライターになりたいなぁ、だとか、なんでもいいから物を書きたいなぁ、だとか、夢とも呼べない煩悩を抱えて生きている。
なんだかんだで社会の歯車になるという「逃げ道」を選んできたし、そこからはみ出すことをずっと恐れていた。だからこそ、生まれながらにはみ出し者の兄ちゃんを羨ましい、と思うことだってあるのだ。大学を辞めることだってかなり勇気のいることだしな。

大学で仲良くなった友達のひとりは、出会ったその日に
「私の将来の夢はカリフォルニアにでっかい自分の家を持って、でっかい犬を飼うことなんだ」
と語っていた。アホか、と思ったけれど、同時にそれをはっきり口に出して言えるのってめちゃくちゃかっこいいな、とも思った。


夢かぁ。
その日、私も、じゃあニューヨークにでっかい家を持って世界を二人で挟もうね、なんてたわけたことを口に出したけれど、それはもっと遠い未来の話で、きっと本質的な私の夢ではない。

兄ちゃんは路頭に迷ってるなんて言ったけれど、最近はずっとバイトを頑張っているおかげで、「店長にならないか」というありがたいお声がかかっているらしい。
兄ちゃんが選ぶかどうかは分からないけど、何かを目指して一生懸命頑張っていた先に、目指したものではなくても自分を認めてくれる場所があるってとても素敵なことなんじゃないか、とも思う。

夢って一概に否定できないし、夢を見ることを恐れていても何も始まらないんじゃないか、という気持ちも、強まっている。
夢を持つ人に対する素直なあこがれ、みたいなものも。

あなたの夢はなんですかね。
就活に追われるとつい「夢」なんて忘れてしまいがちだけど、本当は誰にだってなりたい自分があるんじゃないのか。就職すること以上にやりたいことがあるんじゃないのか。
(ちなみに私が昔から抱いてる小さな夢のひとつに「一家団欒」、があったりするわけだけど、それは兄ちゃんが成功しない限り実現しないらしいので兄ちゃんに期待するしかない。)

だから私はとりあえずーー
今は書けたらそれでいいかなぁ。

オ…オ金……欲シイ……ケテ……助ケテ……