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【小説】虚像

「繰り返します。これは訓練ではありません。直ちに安全な場所へ避難を行ってください。これは訓練ではありません。身を守る行動を最優先で行ってください。繰り返します・・・」

懸命に電脳世界の中で叫んでいた戦争反対!とか、ギターのメロディに乗せて歌い上げた、平和で国境のない世界を!みたいな、薄っぺらい意思表示は、圧倒的な力を持った権力者の前で、何の抑止力にもならなかった。攻撃の指示を一言告げ、軍隊が子供たちが通う学校を破壊している間、ふかふかのベッドで眠っている。ホットコーヒーでも飲みながら、ミサイルは指先一つで発射できる。スマホでネットショッピングを楽しむように、自国を拡げるという大義名分さえあれば、1つの都市や国の破壊なんて何の躊躇いもない。ましてやそこに住む人々の生活など、考えるにも値しないだろう。

何が言いたいかというと、あまりにも無力だった。よく力の差を表す表現でライオンと蟻みたいな言葉を使ったりするが、そんなレベルではない。もはや戦いの土俵にも乗っていない。ライオンと砂粒みたいなもんだ。


外から爆発音が聞こえ、窓枠がカタカタと揺れた。遠くにある高層ビルは激しく炎上しており、黒煙が空に吐き出されていた。それも1か所ではなく、見える限りで高い建物は全て同じように壊滅的な景色を映し出していた。空はまるで水たまりのような鼠色になっていて、本来の青い部分を探す方が難しかった。

いつの間にか付けていたはずのテレビが消えている。恐らく発電所や送電線も破壊され、シャットダウンしたのだろう。残り僅かの充電となったスマホが何かの通知を繰り返しているが、裏向きにしてベッドに放り投げる。ポケットから煙草を取り出し、火を点けた。俺が織田信長で、ここが本能寺だったら潔く腹を切るシーンだが、生憎その度胸はないな、こんな状況でそんな事を思い浮かべた自分自身が何だか可笑しくて、煙でむせてしまった。

10時42分。本来であれば近所の小学校から子供たちの笑い声が聞こえるような時間帯だが、今は生まれて初めて聞くような不快な重低音、誰かの叫び声、絶え間ない車のクラクション、飛行機のエンジン音が入り混じり、さながら阿鼻叫喚と言ったところだった。あっという間に1本目を吸い切り、2本目に手を伸ばしたが、煙草の箱は空だった。ふうと喉の奥に残った煙を吐き出しながら、窓の外に吸い殻を思い切り投げ捨てる。吸い殻は風に揺れながら、音もなく下層へ吸い込まれていった。

ニュースの中の、それも果てしなく遠い世界の出来事としか思っていなかったドス黒い魔物は、徐々に、それでいて確実に、こちらに向かって距離を詰めていた。それでも、誰かが退治するだろう、まさか襲っては来ないだろうとそっぽを向いていた。その間、魔物はみるみる大きくなっていき、手が付けられないほどの凶暴性を備えた。そして、私たちが視線を背けた瞬間、容赦なく牙を剥いた。首筋に噛みついてきた魔物に反撃を試みようと拳を振り上げた時にはもう遅く、背後からまた違う魔物が襲い掛かってくる。それも2体、3体と、牙を使い、爪を使い、吐き出した毒を使い、致命的な一撃を与えてくる。最後には噴き出す鮮血を見ながら、うっすらと笑っていた。それが唯一見えた魔物の感情だった。

さっきより何倍も大きい爆発音が耳の奥に突き刺さって、思わず呻き声が出た。下腹部に鈍い痛みを感じ、じわっと嫌な汗が噴き出た。体内の鼓動は感じたことのないほど早くなっている。魔物がすぐ後ろに立っているのは確実だった。

もう強がるのは終わりにしよう、と思い、先ほど投げ捨てたスマホを手に取る。最新の通知は母からだった。慌てて通知をタップするが、指の先が思うように動かせず、溢れてくる汗で上手く反応しない。頼む頼む頼む早く反応してくれ。5度目にしてメッセージは展開された。

とても心配しています。このメッセージを見たらすぐに電話くだ


音が聞こえるよりも先に視界が消えた。

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