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【認知症ミツコ】パートナーの限界

母 : ミツコさんの認知年表
1937年1月 北海道生まれ 85歳(2022年現在)
2005年12月 配偶者 (私の父) 他界
2007年3月 好きな人(=パートナー)と東京で暮らし始める
( ~14年間、東京下町でパートナーと暮らす )
2021年4月 東京駅にある銀行からお金を全部下ろすと騒ぎだす
2021年4月頃 難聴がひどくなり、話が通じなくなる
2021年6月 銭湯に行かなくなる
2021年8月頃 料理ができなくなる
2021年9月頃 コーヒーすら淹れられなくなる
2021年10月 なんとなく痩せてきた
2021年10月 江東区の地域包括ケアセンターへ相談
2021年12月 医師の訪問、認定員の訪問 
2021年12月 要介護2の認定
2022年2月 江東区へ特別養護老人ホームの申し込み
2022年3月 デイサービス開始するものの、一回行ったのみ
2022年3月 札幌の施設も視野に入れて動きだす
2022年4月 札幌へ転居することを決め、施設探し
2022年5月 姉宅の近所にある介護付き有料老人ホームを契約
2022年6月 札幌へ転居、介護付き有料老人ホーム入所 


ケアマネージャーさんの訪問

2022.2.23
何度か断られたケアマネージャーさん探し。
この日は先日対応してくれたケアマネージャーさんの訪問日でした。
午後から私も行ってきました。
少し前までの母は、誰かが訪ねてくることをとてもとても嫌がっていたのに、慣れてきたせいなのか全く抵抗がなくなってきました。
江東区の職員の方、認定員の方などいろいろな人が立て続けに来ていた時は、不機嫌極まりなかったのですが・・・。
免疫がついたのか、または認知が進行して気にならなくなったのか。
私個人としては楽になった感じです。

面談の様子は

ケアマネージャーさんの質問にパートナーが先に答えてしまうので、母の出る幕はない感じでした。
私は心の中で、
「先に答えないで!!」とひそかに思っておりましたが・・・
しかし、母が答えると耳が聞こえないせいもあり終始とんちんかんな回答となってしまいます。
全く噛み合いません。
これはこれでよかったのかもしれません。

質問の間、母は聞こえないながらも自分のことについて質問をされていることはわかっているので、
「この年だから仕方ないよ」 とか
「物忘れなんて、私たちの年齢はみんなこうだよ」 とか
「薬も何も飲んでないし、歯も自分の歯だし」 とか
「お父さん (パートナーのこと) も、人のこと言えないしね」 とか
独り言のように自分を守る発言を繰り返します。

心のどこかで、
「自分は、少しボケてきたのでいろんな人に質問をされているのだ。でも私は大丈夫。」
と思っているのでしょうか。

面談が終了して

母の面談の様子や、ケアマネージャーさんの説明を聞いた後、やっぱりデイサービスを利用した方がいいよね??
と、パートナーと意見が一致し、契約方向で話を進めることにしました。
姉ともきちんと相談しなければなりませんが、おそらく同意見でしょう。

ケアマネージャーさんが帰ってからも、母と話が全く噛み合わない状態が続きました。
言いたいことの言葉がぜんぜん出てこないのです。
私の名前すら怪しいです。
指示語しか出てこない。
あっち、こっち、そっち、それ、あれ、あなた、彼氏、あの子
話しているうちに疲れて嫌になり、早めに帰ってきてしまいました。

母には、「もう少しゆっくりしていけばいいのに」と言われましたが、何言ってるのか分からなくて、理解できない私がキツイのです。

パートナーは、毎日この状態の母と接しているのに、私だけ逃げて帰ってきたような気がして申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

パートナーはそろそろ限界なのかも

2021年の夏ぐらいまでは、「二人でできるところまでやっていく。」と話していたパートナー。
しかし、最近は自分の体調も思わしくないせいもあり、弱音を吐くようになっていました。
毎日毎日、まともな話ができない母と四六時中一緒に暮らさなければならないストレスもあるのでしょう。
私が家を訪問すると、パートナーは私に母を預ける感じで一人の世界になる傾向もみられるようになりました。

早く介護サービスを利用してパートナーの自由な時間を作ってあげたい。

そんなことばかり考えていました。


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