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悪い癖と仲良くしたい

やめた方がいいんだけど、ついやっちゃう。
やめた方がいいんだけど、つい食べちゃう。
やめた方がいいんだけど、ついゆるしちゃう。

やめられればいいんだけど、やめられない、この気持ちと付き合うようになって約20年。心は「つい」を実行したくて、頭は「つい」をやめさせたい。
本来心のやりたいことをやる、というのは嬉しいことのはずだ。そこに喜びがあるから行動したいはず。だが自制心がそれをひき止めようとすることで「つい」やってしまうと、決まってブルーな気分になる。この20年間続くやり取りに終止符を打ちたい。ブルーを薔薇色にすべく、全力で考えてみた。

この文章を読み終えた暁には、「つい」という自分の癖と仲良くなれる術を身に付けているだろう。さぁ早速始めよう。

「つい」食べちゃう

僕は毎朝青汁的な健康ドリンクを飲んでいる。年齢が32をこえた事を機に、月の予算の一部を健康増進に充てようと思ったのがきっかけだ。なにも健康に問題が出てきたから始めたのではない。定期的に運動もしており、健康診断の結果もいつも良い。
ただそういうドリンクを飲む事で腸の働きが活発になり、より健康的な毎日を過ごせると聞くことが増えたので、真似して始めてみた。
一週間も経つとみるみる腸の調子がよくなり、身体も軽くなっていった。それに味を占めた僕は追加で毎日トマトジュースも飲むようになり、運動の頻度も自然と増えていった。

そんなある日悪魔の「つい」がやってくる。
あるお昼前、無性にラーメンが食べたくなってきた。その当時、僕の家にはカップ麺は置いていない。頭に浮かんだのは車で20分のところにある二郎系ラーメン店だ。その店のラーメンはいかにも身体にこたえそうな油多めの出で立ちで、極太麺に野菜マシマシのインパクト大。そのラーメンが持つ悪魔的な美味しさはすっかり存在を忘れた頃にでも足を運ばせる病み付き感があった。

車で向かっている時は今日食べるメニューについて考えていた。
「今日こそは大盛はやめておこう」
「チャーシュートッピングもなくていい」
そのお店は普通盛りで他のお店の大盛ぐらいの量がある。チャーシューも通常で分厚いのが2枚。肉体労働の少ない僕には普通盛り単品で十分だと理解はしていた。
(参考情報として、過去3回行った時は全て大盛&肉トッピングを注文していて、帰りの車はお腹が避けそうだった)

食券機の前に到着した。
この瞬間、何かが起こっていた。誰かの見えざる手によって
「そんなに食べなくて良い」という決意は「お腹空いてるしきっと食べれるだろう」に決まって変換された。

誰かに🎮️で動かされていると思えるほど、その瞬間は無力だ。僕の意志とは一切関係なくゲームプレイヤーの選択に都合をつけるように強引な論理がいつも展開された。だからどういう感情の流れがあってそうなったのか、思い返そうとしてもうまく思い出せなかった。

券売機前現象の分析

もうこれは抗うことのできない「癖」なのかもしれない。「つい○○しちゃう」という本能は、自分でどうにかできると思っているが、ほんとはどうにもできない癖。

ただ、見方を変えると、この現象は縮んだバネが伸びるみたいなもので、やっちゃいけないと思うからまた繰り返しちゃう、みたいな側面もあるようだ。つまりバネを縮めてしまうのがブルーな気持ちを生み出すトリガーなのかもしれない。

だからもし、今度二郎系ラーメンが無性に食べたくなった時にはたとえお腹が空いていなくても、
「今日は大盛を食べるぞ!」
「トッピングもするぞ!」
と意気込んでるんるん気分で券売機の前に立とうと思う。

そうすればあまのじゃくなプレイヤーは普通盛り、もしくは小盛りを頼むだろう。

結果として注文が小盛りになったとしてもいいじゃないか。コンビニにはデザートがある。

もうこればっかりはしょうがない。癖なんだから。そっちがそうなら、こっちだってやり方がある。

多分コンビニに行ったらデザートにプラスしてカフェオレとか頼んじゃうだろうよ。それなら、先手を打って黒烏龍茶とミニメロンパンをかばんに仕込ませてから出発しようじゃないか。

そこまでしたとしても、黒烏龍茶が未開封だったら持って帰れば良いとか思ってカフェオレをレジに持っていくだろうさ。そしたらさ、家でカフェオレ飲んでから出発しちゃいますよ私は。

もしそれでも逆に紅茶が飲みたいとかいったらさ。もう惨敗ですわ、まけまけー!
今回は諦めて、次回負けないように頑張ります。
くせって本当手強い。

もうこうなったら戦(いくさ)しかありません。
戦じゃ、戦
みなのもの、出会え出会え~ぃ

癖との戦いはこれからも続く。

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