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天使にでもなりたかったのか?〜ヨガ哲学から学ぶ!執着を手放す⑦〜

こんにちは、りってぃです(๑・̑◡・̑๑)

嫌いだったインスタグラムを始めて

SNSの発信で純粋なかんじにとても惹かれて
ヒーラーとかヨガの先生のアカウントとかいいなと思う人が多かった

そして、自分の発信の仕方を考える中で
ふと問いかけた言葉

Sattva(サンスクリット語で純粋)になりたいのか…
天使にでもなりたかったのか?

11歳の時に人間の醜さと卑しさを感じて
なんで人間に生まれたんだろう
と漠然と思った

その思いは根底にあり続けていたんだろう

ある意味黒い部分を理解しているからこそ
優しさに溢れた人でありたいと思い続けていた

でも

ただの理解だけでは本当に優しい人にはなれない

そもそも、そう思い続けることで
自分でも気づかないうちに
『優しくしなきゃ』という気持ちになっていた

以前のわたしは
優しさに溢れた人でありたいと思う故に
自分の気持ちを抑え込むことも多々あった

結局のところ

我慢してでも他人に優しく振る舞う
自分に酔いしれている偽善者
だっただけ

優しくしてほしいなんて誰も頼んでいない

ただ、自分がそうありたいだけ

なのに人のためだとこじつけをして

優しさを演じる時があった
(私の場合パートナーとの関係で特に)

どんどん優しい人でなければいけないという
義務感が私の中に刻まれていった

自分の感情と向き合わず
素直な自分じゃ嫌われるかもしれない
という恐怖から逃げていた

純粋さへの憧れと感じていたけれど
純粋さへの執着が故に
黒い部分の自分を押さえ込もうとして

自分の一部を否定していたから
苦しくもがいて
自分自身を生きづらくしていた

心の底ではありのままでいいって
その時感じたことを押さえ込まないでって
訴えていただけだった

憧れに囚われて
そうでない自分を否定している人いませんか?

今のままで素敵

だって熱心にNOTE読んでくださってて
しかもこの記事ここまで読んでるんだもの🥰笑
(もちろん読まなくても素敵だけど💛)

今生きてるだけで十分

その上でなりたい姿への行動を小さいことから始めてみよう






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